東日本大震災から8年。ポスト復興庁に求めること

福島県楢葉町の立入禁止区域(写真:ロイター/アフロ)

 また「あの日」がやってくる。東日本大震災から8年。この時期になると、東北の震災関係の報道が多くなる。現地の人からしばしば聞くのが、「3月になるとテレビを見ない」という言葉だ。見たくもないのに津波の映像が繰り返し流れるのは耐えられないのだろう。

 勿論、復興の様子などを報道で全国に伝えるのは大切なことである。決してその意義を否定するものではないが、問題があるとすれば3月にならないと東北の報道がなされないことではないだろうか。

震災から8年の復興の様子は

 私は2011年から2015年まで被災地の陸前高田市で復興の仕事に関わり、それ以降も年に数回は大船渡市・陸前高田市・楢葉町・浪江町などを訪問している。住宅再建や商店街の再建状況を踏まえると、岩手県や宮城県においては、復興は終盤に来ていると考えられるが、新しく出来上がった商店街が必ずしも賑わっているわけではない。

 震災から時が経つにつれて県外からの訪問者は確実に減っている。震災前から課題であった人口減少・高齢化が(震災の被害と相まって)よりクローズアップされていると感じる。他方で、福島県の復興は困難を極める。未だ帰還困難区域が残っていることに加え、避難指示が解除された区域でも住民が100%戻るわけではない。

 実際、楢葉町が公表している数値を見ると、町内居住率は63%程度(世帯数ベース。人数では53%)であり(2019年2月28日現在。同町HPより)、避難指示が解除されても震災前の水準まで即座に住民が戻るわけではない(これでもよく戻っている方かもしれない)。浪江町は居住率を公表していないが、まだ帰還困難区域が残っていることもあり、数字はもっと低いと聞く。住民が十分に戻っていない(しかも、これからどのくらい戻るかも不明確である)状況の中での学校や公共サービスの提供範囲や水準を考えなければならず、まちづくりの前途は多難だ。

ポスト復興庁はどうあるべきか

 このような中、復興庁は先月で2012年の発足から7年を迎えたが、同庁は2年後の2021年3月末が法律に定められた設置期限となっている。政府は本日(3月8日)の閣議で「東日本大震災からの復興に関する基本方針」の見直しを決定し、復興庁の後継組織設置を明記した。詳細は明らかになっていないが、福島以外の岩手・宮城は終盤に来ているとはいえ、復興庁の機能を福島対応などに縮小して単に内閣府に移管するだけでは勿体ない。むしろ強化すべきではないか。

 復興庁の今後について、私自身が共同通信社のインタビューに答えたのは次の内容である。(一部の内容については、本年2月10日付京都新聞などに掲載)

(1)2年後の期限にこだわらず、仮設住宅居住者が残る限り復興庁は残すべきである

(2)復興庁と内閣府の防災部門等を統合して「防災省」を常設すべきではないか

(3)「防災省」に省庁や全国の自治体から職員を集め、災害発生時に被災地に派遣してはどうか

 陸前高田市在任中によく住民から聞いたのは、当初2年とされていた仮設住宅の入居期限が迫るたびに「追い出されるのではないか」という声だった。2年後までに仮設住宅をゼロにできればよいが、そうでないのに復興庁がなくなれば、仮設に残る被災者は「切り捨てられた」と感じるだろう。したがって、設置期限が切れたから機械的に消滅させるのではなく、仮設住宅ある限り復興庁を柔軟に残せばよいのではないだろうか。

 また、全国知事会なども災害対応を一元的に担う「防災省」の設置を求めている。昨年も災害が多発した年であった。復興庁は東北以外は所管外だから対応できない。災害直後に必要なことは、現状の正確な把握と復旧・復興の対応にあたる被災市町村のバックアップである。関係省庁や全国の自治体から職員を集めて防災省を構成し、これらの機能を持たせることにより、迅速かつスムーズに対応に当たることができるのではと考える。

 被災自治体の立場からすれば、自前の職員が被災する中で膨大な災害対応業務には全国からの派遣応援職員に期待したいが、東日本大震災以降も「災害対応は初めてですが派遣されて来ました。なんでもやりますのでご指示をお願いします」という派遣職員が多かった。被災地では十分に指示もできない(する暇がない)ことが多く、自分で動ける職員を求めている。その意味で、過去に災害対応経験があったり、復興庁(防災省)で防災業務経験がある職員が派遣されてきたら、どれだけ心強いだろうか。

 平成の30年間は阪神大震災や東日本大震災以外の大小の災害も含めて災害が多発した時代だったが、新たな元号となっても残念ながら災害は起こりうる(そのように予測されている)。国も自治体も過去の経験から学びながら災害対応を強化していきたいものである。