国債の本当の転落がやってくるのは、その信認がなくなった時である

(写真:アフロ)

 新型コロナウイルスの感染拡大とその拡散防止のための緊急事態宣言により、人や物の移動が制限され、日本を含め世界的に景気が急速に悪化した。これに対処するべき政府は過去最大規模の経済対策を実施した。これは緊急時であり致し方ない面はあるかもしれない、しかし、マネタイゼーションにも写りかねない状況となっている。このリスクを見る上でのひとつの事例を紹介したい。

 第一次世界大戦中のフランスはドイツよりも激しいインフレに見舞われたものの、フランス国債の利回りは比較的安定していた。ドイツからの賠償金をあてにして放漫な財政運営が行われていたが、ドイツからの賠償金が滞るとの観測により、フランス通貨であるフランが売られ、国債価格も下落した。国債発行が困難になると、政府は中央銀行からの借入を増やした。

 1924年にフランスのポアンカレ首相は財政再建、金利の引き上げ、為替介入を行った。しかし、これによる効果は一時的であった。左翼勢力が資本課税を導入しようとしたところ資本逃避が起き、さらにフランや国債が下落した。1924年6月の下院選挙で政権が後退しポアンカレ首相はいったん退くこととなるが、1925年6月に3%の国債は7%にまで上昇した。

 財政赤字を削減しても過去に発行した国債の借り換えが必要となり、借換債の発行が困難となり、償還財源は中央銀行に依存せざるを得なくなった。これがさらにフラン安と金利上昇をもたらした。1926年には物価上昇率が年率で300%を突破して、当時のフランスはハイパー・インフレーションの瀬戸際まで追い込まれたのである。

 このフランや国債の危機の要因として、政府債務に対してのマネタイゼーションの圧力があったとされる。当時、かのケインズはフランの下落に対し「赤字予算が崩壊の最初の原因であっても、本当の転落がやってくるのは、一般国民の信認がなくなった時である」と指摘している。国民の信認低下も大きな要因であった。

 フラン危機が最も深刻となった際に再度登場したのがポアンカレである。ポアンカレは蔵相も兼務し、組閣に際して自ら含めて6名の首相経験者を入閣させるなど、資本課税の導入に反対したすべての政党による挙国一致内閣を成立させた。これを受けてフラン安は急速に沈静化した。インフレにより債務が帳消しにされ、財政悪化が食い止められた面もあるが、政府に対する国民の信認が戻ってきたのである。

 ポアンカレは国債のマネタイゼーションを行わないという姿勢を明確に打ち出し、フランや国債の信認を取り戻した。 通貨であるフランも上昇した。これが、ポアンカレの奇跡と呼ばれたものである。

フリーの金融アナリスト。1996年に債券市場のホームページの草分けとなった「債券ディーリングルーム」を開設。幸田真音さんのベストセラー小説『日本国債』の登場人物のモデルともなった。日本国債や日銀の金融政策の動向分析などが専門。主な著書として「日本国債先物入門」パンローリング 、「債券の基本とカラクリがよーくわかる本」秀和システム、「債券と国債のしくみがわかる本」技術評論社など多数。

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