そういえば1989年のバブル時には株より先に国債が下落していた
1986年頃から始まった地価や株価など資産価格の高騰はのちにバブルと呼ばれた。1989年に入ると日銀は公定歩合を数度に渡り引き上げ、完全に金融引締策へと転向した。それでも、バブルの勢いは年末まで続き、日経平均株価はその年の大納会の大引けで38915円を付け、これがそれ以降20年以上にわたる株価の最高値となった。
1989年当時、私は債券ディーラーとなって3年目となっていた。1987年に起きたタテホショックも何とか乗り切り、ディーラー業務にもだいぶ慣れてきた。そのディーリング業務も主戦場が債券市場であったことで、株式市場に対してはやや距離を置いてみていた。
債券先物は1989年のタテホショックで一時的に大きく下げていたが、その後切り返し1989年途中までは比較的しっかりした相場となっていた。しかし、日銀による公定歩合の引き上げなどを受けて下落基調となりつつあった。公定歩合とは何だろうという人もいるかもしれないが、当時の日銀の金融政策の政策目標は公定歩合という金利となっていたのである。
国債価格は下落していた、つまり長期金利が上昇トレンドとなっていたにもかかわらず、高値を更新し続けていた日経平均を見て、当時の私はどうしてなのだろう、これはおかしくはないかと違和感を持っていた。日銀の金融緩和が両者ともに上昇要因のひとつとなり、いわゆる過剰流動性相場であった。その前提となっていた日銀の金融政策が引き締めに転じ、それを受けて国債が下落したのにもかかわらず、株は上がり続けていたためである。結果として、1989年の年末まで株は上がり続けた。
しかし、1990年は債券安・株式安・円安のトリプル安でのスタートとなった。米国での金融緩和期待の後退、ソ連情勢の悪化、日銀による公定歩合の再引き上げ観測などが要因となっていたと思う。日銀は3月20日に1.00%という大幅な公定歩合の引き上げを実施し、5.25%まで引き上げた。バブル退治に本腰を入れた格好となったが、すでに調整入りしていた株、そして債券はこれを受けて売りを加速させることになった。
1990年8月2日にイラク軍がクウェートに侵攻すると原油価格が急騰し、インフレ懸念が一段と高まった。その後、原油価格は下落したものの、物価上昇を気にしてか日銀は同月30日に公定歩合を0.50%引き上げ、年6.00%とする第五次公定歩合の引き上げを実施。これを受けて債券先物は急落し、9月27日には債券先物市場開設以来の安値となる87円8銭にまで下落した。株価も大きく下落し、10月1日に日経平均株価は2万円を割り込んだ。
過去のことを引き出して何が言いたいのかと問われそうだが、現在の相場状況が当時と多少なり似ている気がしたため、当時の状況を確認してみたのである。もちろん市場を取り巻く状況は大きく異なる。しかも当時のバブルは日本だけで起きた特異な現象であり、国内での過去の出来事がいろいろと積み重なって生じたものといえる。
今回については米国を中心に日米欧の株価の上昇と国債の価格上昇が重なっていた。米国の株価指数はファンダメンタルズからはやや乖離した格好で過去最高値を更新した。この背景には中央銀行の金融緩和が大きな影響を与えていたことは確かであろう。
株価が高値を更新し続けているなか、国債の価格が下落し始めた。ここからの中央銀行の追加緩和策はかなり限定されることも予想され、引き締めに転じることはなくても金融緩和で市場をフォローするにはどうやら限界も出てきている。となれば財政政策となるかもしれないが、これは国債価格の下落に火に油を差すような事態ともなりかねない。
これはあくまでひとつのリスクシナリオであり、不安を煽るつもりはない。今回の国債の下落もあくまで一時的な調整という見方が素直で、いずれ歯止めが掛かり、株式市場ではゴルディロックス相場が続くことも当然ありうる。
ただ、今回の国債の下落相場をみて、ふと1989年当時の自分の記憶が蘇ったことで、このようなシナリオもありうるかと思った次第である。