FRBは独立性を守れるのか
FRBのパウエル議長は25日、ニューヨークで講演し「FRBは政治的圧力から隔離され、独立している」と述べ、金融緩和を迫るトランプ米大統領をけん制した(毎日新聞)。
ただし、FRBの独立性は何かしら法によって定められているわけではない。ボルカーやグリーンスパンなどカリスマ的なFRB議長が存在し、米国では大統領に次ぐ権力を握っているともされている。高度な専門性を有する金融政策に関しては専門家に一任することが適切であるとの評価が次第に高まり、FRBは政権交代による影響を受けにくい体制が出来上がってきた。少しその歴史を紐解いてみたい。
第二次大戦後、今度はインフレ懸念の台頭により、FRBは国債価格を維持する政策の副作用に直面することになった。インフレリスクを防ぐために、1951年に財務省とFRBは「アコード」を取り交わし、国債価格維持を撤廃した。これによりFRBの判断で金融政策が行えるようになり、中央銀行による金融調節が重要性を増した。
しかし、政府とFRBの対立はその後さらに激化することになる。特にマーチン議長は強い指導力を発揮し、ホワイトハウスからの圧力に屈せずにFRBの独立性を守り抜いたとされる。強い影響力を保持したとされるポルカー議長時代も、レーガン大統領の息の掛かった理事が送りこまれ反乱が起きかけたケースもあった。政府がFRBに対して圧力を掛けないようにさせたのはクリントン時代のルービン財務長官の影響が大きかったとされている。
その後のFRBは政府からの独立性を維持させてきた。しかし、トランプ大統領はFRBのイエレン議長(当時)に対してクビ宣言をし、イエレン議長の再任はなかった。そして今回、トランプ米大統領はFRBのパウエル議長を解任し、理事に降格させる権限が「私にはある」と述べた。
FRBの独立性は、成文法で明示することなく、慣習法的に定着したとされている。大統領にFRB議長を解任する権利が認められているかどうかは不透明ながら、解任できないとされてはいないことも事実である。
念のため、1998年に施行された新日銀法では内閣による日銀総裁の解任権はなくなった。このため日銀法改正を持ちだして、大胆な緩和を迫ったようなことがあったが、それはそれで中央銀行の独立性を脅かしたといえよう。
中央銀行に独立性は必要なのか。政府の言うことを効かなければ適切な金融政策はできないのか。政府に迫られて行った金融政策の結果や副作用がどのようなものであったのかは良き事例があるが、それは今回はさておき、FRBも異次元の大統領の出現によって独立性が脅かされている。その独立性を守りきれるのか、パウエル議長の手腕が試されている。