令和の時代となって平成の時代のように政府債務リスクを覆い隠すうまいバランスを果たして維持できるのか
平成の約30年間にいったい何が起きていたのか。それを探るためにひとつのグラフを作ってみた。上記のグラフは平成元年度(1989年度)から平成30年度(2018年度)までの、国の債務残高(国及び地方の債務残高)と長期金利、そして日銀のマネタリーベースの推移となる。
国及び地方の債務残高は財務省のサイトにあった「我が国の1970年度以降の長期債務残高の推移」というページの数字を使っている。長期金利についても財務省のサイト内にある「国債金利情報」のページにあるデータから年度末の数値を拾ってきたものである。マネタリーベースの推移については日銀のサイトにあるマネタリーベースのページにある月末算のデータから年度末のデータを拾ったものとなる。
このグラフからほわかるように国の債務残高は平成の30年の間に約4.4倍程度に膨れあがっている。しかし、それに対する国民の危機意識はそれほど高くはない。国の債務は国民の資産で賄われているので問題ないとか、国の資産を考慮すればそれほど債務は膨れあがっていないとか、日銀の国債保有分は国の債務にカウントしなくても良いといった意見もある。私はそれらの意見を疑問視している。国の債務そのものが1100兆円に膨れあがっているという事実にかわりはない。しかし、それに対する危機感は強くない。それは何故なのか。その理由がこのグラフから読み取れるのではなかろうか。
国の債務の大きさに対する国民の危機意識を軽減というか危機を見えにくくさせているのは長期金利の低下と日銀による国債を主体とした資産の買入である。平成の30年の間に長期金利は7%近くからゼロもしくはマイナスにまで低下した。
長期金利とは通常は10年国債の利回りのことを示す。国の債務の増加は国債の発行額や残高の増加を示す。国の債務のほとんどは国債で賄われている。その発行額や残高の増加にもかかわらず、長期金利が低下してきたのはなぜか。
その理由はいくつかある。ひとつは我々の銀行などへの預貯金、生命保険、損害保険、年金などが国債で運用されていたことにある。間接的に国民の金融資産が国債に置き換わっていたともいえる。金利そのものも低下しやい状況にあった。物価が上昇しづらい状況となったことに加え、国内ではバブル崩壊後の金融危機、海外でもITバブルの崩壊、リーマン・ショックやギリシャ・ショックなどもあり、リスク回避による安全資産とされる国債買いなども長期金利を低下させてきた。
本来であれば国の債務状態の危険信号としての役割も長期金利にはあるが、需給のバランスが維持され、金利に大きな影響を与える物価が低迷し、リスク回避による買い、さらにはマイナス金利でも運用可能な海外投資家の存在などもあって、日本国債は危ないとのリスクプレミアムが日本の国債の金利に上乗せされることはほとんどなかった。
そしてこのグラフにあるもうひとつの存在が、長期金利のさらなる低下と国債の需給をタイトにさせていたこともわかる。2013年度あたりから日銀のマネタリーバランスが大きく増加してきたことがグラフから読み取れる。
マネタリーバランスとは日銀券発行残高、貨幣流通量そして日銀当座預金で構成される。日銀券発行残高も平成の間に伸びてきているが、圧倒的な存在感を示しているのが日銀当座預金の増加であり、データが残る平成8年度が3兆円台であったものが、平成25年10月に100兆円を超え、平成27年3月に200兆円を超えて、平成28年6月に300兆円を超えている。その後400兆円に迫ったところでやっとブレーキが掛かった。
日銀当座預金の急増の背景にあるのが、日銀による大量の国債買入となっている。日銀が大量に国債を買い入れることで国債の需給バランスがタイトとなり、さらに日銀の長期金利コントロールも加わって、長期金利が低下していたのが平成時代の動きとなる。
それでは令和の時代となって、平成の時代のように政府債務リスクを覆い隠しているようなうまいバランスを果たして維持できるのであろうか。いずれこの絶妙なバランスが何かしらのきっかけで、崩れてくる可能性は当然ありうる。令和となってこのグラフがどのように変化してくるのかも見ていく必要がありそうである。