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朝ドラに見る明治維新と金融

久保田博幸金融アナリスト
(写真:アフロ)

NHKの朝のテレビ小説「あさが来た」が面白い。主人公のモデルは廣岡浅子という実在の人物であり、豪商三井家(のちに三井財閥となる三井家のひとつ)に生まれ、鉱山や銀行の経営に関わり、大同生命や日本女子大の設立に関わった人物である。

浅子が嫁いだ先が大阪の豪商加島屋。加島屋は諸藩の蔵元・掛屋(米方両替)になり、大名貸で鴻池家と並び称された。この加島屋は普通の両替商ではなく、米相場の投資資金の供給も行っていた。

大阪の米の取引といえば堂島である。着地取引として米の廻着を待たずに米切手が先売りされるようになり、米切手の保有している商人は米の価格変動リスクにさらされ、この米価の価格変動リスクのヘッジを目的として「売買つなぎ商い」という先物取引が考案された。この「つなぎ商い」が1730年に徳川幕府により公認され、堂島米会所が成立したのである。現在の金融先物取引の原型がここで形作られた。その米相場の清算機関(クリアリングハウス)のひとつが加島屋であった。

そして加島屋のもうひとつの仕事が大名貸しであった。全国の諸藩は大坂の蔵屋敷を通じて年貢米のほか特産物を売却し、その資金で必要な物資を購入していた。蔵屋敷ではこれらの売買業務を商人に委託しており、産物の搬入や保管の業務は蔵元と呼ばれたのに対し、売上代金の回収や為替の取り組みなど金融に関する業務は掛屋と呼ばれ、大手の両替商が行っていた。

諸藩の財政は主に米で成り立っていたが、年貢米の売却による収入が秋から冬に集中するのに対し、諸費用の支払いは毎月あることで、収入と支出に期間のズレが生じる。この季節的な収支不足調整のためのつなぎ資金を供与したのが、掛屋と呼ばれた加島屋などの両替商であり、この一時的な資金の貸付が「大名貸し」と呼ばれたのである。

江戸時代後期になると、大名の財政はより深刻化し、幕府も江戸時代には江戸や大阪の商人から半ば強制的に御用金と呼ばれるものを徴収していた。これが明治維新によって貸付金は返済されず、証文は紙切れ同然となる。加島屋も深刻な状況となり、この窮地を救ったのが、「あさ」こと廣岡浅子である。

このような、幕末から明治にかけての金融の大きな変化をNHKの朝ドラでみることができる。これはなかなか貴重なものと言えるのではなかろうか。

金融アナリスト

フリーの金融アナリスト。1996年に債券市場のホームページの草分けとなった「債券ディーリングルーム」を開設。幸田真音さんのベストセラー小説『日本国債』の登場人物のモデルともなった。日本国債や日銀の金融政策の動向分析などが専門。主な著書として「日本国債先物入門」パンローリング 、「債券の基本とカラクリがよーくわかる本」秀和システム、「債券と国債のしくみがわかる本」技術評論社など多数。

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