日本の国債村は桃源郷なのか
過去の金融危機と呼ばれるものは、金融商品の市場価格の暴落が引き金になっている。バブルというのはどの程度膨らめば、弾けるのかは残念ながら過去の事例で数値化することは難しい。何かしらのきっかけでショックが生まれることもあるが、ここにもある種のバブル的な要素が絡んでいた。大きなショックの前にはバブル的なものが発生しており、それが金融ショックの背景となっている。しかし、このような金融危機がいつ、どのようなタイミングで起きるのかは、残念ながら予測は難しい。
日本国債の10年債利回り(長期金利)は低位安定しており、ここにきて0.6%あたりにいるが、この水準に違和感を覚えなくなるぐらいに麻痺した状態が続いている。その間、物価は前年比プラス1%以上となり、2014年の成長率予想も1%は超えている(IMFの予想はプラス1.4%)。
このような状況下にあり、いくら日銀による大量の国債買入があろうが、0.6%という長期金利はあまりに低すぎる状態にあると言える。この矛盾がいずれのタイミングで現れてくることが予想される。
金融市場は需給で決まると言われるが、買い手がいれば急落はしないと言えるのか。日銀が年間の国債発行額の7割も買っていれば、相場は高い水準のまま維持されるのか。そのような保証はどこにもない。
たとえば、イングランド銀行はどうしてジョージ・ソロスに屈したのか。円高を食い止めるための政府の円安介入がどれだけ効果があったと言えるのか。テーパリング前の米国債は大量にFRBが国債を購入を続けていても、米長期金利が3%近辺まで上昇したのはどうしてなのか。
日本の国債市場もいくら日銀が大量に買い付けていようが、下がる時には下がる。それは市場の地合、センチメントに変化が現れた時に起こりうる。現在はそのようなセンチメントの変化は生じておらず、日銀の国債買入を前提に異様に高い水準で妙な均衡を保っている。
その前提のひとつに、いくら日銀の異次元緩和があろうと安定した2%の物価上昇はありえず、それによる長期金利の上昇は想定していないという暗黙の了解のようなものがあるのかもしれない。1998年に日本の長期金利は1%を割り込んでから、一時的に2%台に乗せることはあっても、ほぼ1%台主体での動きが15年以上に及んで続いている。
2012年以降はほぼ1%割れの水準で推移し、これが当たり前の水準となってしまった。この背景にはデフレがあり、リーマン・ショックやギリシャ・ショックがあったことは確かだが、その百年に二度、いや百年に一度とされるリスクはすでに後退し、デフレスパイラルの懸念もアベノミクスのお陰かはさておき、後退しつつあるのは確かである。
それに対しては日本の長期金利は全く無視している。それでなくても国債の需給はしっかりしている。つまり常に買い手が存在しているところに日銀が大量に買ってくれている。日銀の実質的なゼロ金利政策は続いているから、長期金利も0.6%あたりにいて当然、なのであろうか。
買い手がいる以上、国債の急落はない。長期金利が上がれば投資家は当然買ってくる。いままでがそうだったから、これからもそうであるに違いない。だからいまも安心してこの水準でも国債は手放さない。しかし、日本の国債村は日銀の金融政策というベールに包まれた一種の桃源郷のような場所と化しており、外界とは閉ざされた場所となりつつあるのではなかろうか。それに気が付いたときに何が起きるのか。長期金利の超低位安定が続けば続くほど、その反動が大きくなるであろうことは想像に難くない。