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朝鮮半島有事と「有事の金」の考え方

小菅努マーケットエッジ株式会社代表取締役/商品アナリスト

北朝鮮は、3月30日に韓国との間で「戦時状況」に入ったと宣言したのに続き、4月2日には原子炉の再稼動方針を発表した。

韓国のみならず、米国本土や太平洋地区の米軍基地も対象としたミサイル攻撃の可能性を示す一方、そのミサイル攻撃の効果を爆発的に増大させかねない核兵器開発を進める方針も鮮明にした形であり、従来の瀬戸際外交よりもかなり踏み込んだ強硬姿勢を打ち出している。北朝鮮が実際に冒険主義的な軍事行動に移行して「第二次朝鮮戦争」が勃発するのかは分からないが、少なくとも朝鮮半島を巡る地政学的リスクが高まっているのは間違いないだろう。

金市場では、こうした局面では「有事の金」を巡る議論が活発化するのが恒例行事である。「有事の金」とは、1)世界経済に大きな影響を及ぼす可能性が高い地域・グローバルな(軍事)紛争、2)基軸通貨ドルの価値を疑問視させるような為替市場の混乱、3)原油価格高騰などインフレ圧力の急激な増大、4)金融市場の混乱などの有事性が高まった際などに、投機マネーは「安全資産」としての金市場に退避する傾向があることを示す用語である。「セーフ・へブン(Safe Heaven:資金の退避場所)」として金が買われたといった解説は、このような有事性に注目したものである。

しかし現在の金市場で、朝鮮有事を想定した金買いが見られるかというと、否定的な回答を行わざるを得ない。ドル建て金相場は、1オンス(31.1035グラム)=1,600ドルの節目から完全に下放れしており、少なくとも誰がみても明らかなようなリスクプレミアムの織り込みは確認できない。韓国ウォン相場の下落ペースがエスカレートするなど、この問題の存在が無視されている訳ではないが、少なくとも「安全資産」としての金需要を創出するようなリスク環境とは評価されていないのだ。

現在の金相場が注目しているのは、専ら米金融政策環境やドル・他商品市況・株価動向といった投資環境の方であり、朝鮮有事に備えて「安全資産」としての金を買うべきか否かという議論は、専門家の間ではメインの話題にはなっていない。

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■「有事の金」の本当の意味

そもそも最近は、「有事の金」は過去の遺物といった議論の方が幅を利かせているのが現状である。確かに、北朝鮮は昨年4月と12月にもミサイル発射実験を行っているが、大陸間弾道ミサイル(ICBM)の技術と直結している12月のミサイル実験が成功した際にも、金市場は殆ど反応を示していない。

これは、まだ北朝鮮がICBMに搭載できる核弾等の保有には至っていないとの楽観的な観測があることで、米ソ冷戦時のように核戦争で機軸通貨ドル体制が崩壊するといった懸念が小さいことが背景にある。米ソの核戦争はドルの価値をゼロにしかねない、誰もが疑いを挟む余地のない有事である。しかし、仮に北朝鮮が米本土に対する攻撃能力を獲得したとしても、ドルの価値そのものが否定されるような有事性があるのかは疑問視されている。今後、北朝鮮の核兵器とミサイル技術が大幅に向上すればマーケットの感応度も高まろうが、現段階で朝鮮半島有事が政府発行通貨(特に米ドル)に対する信認を疑問視させるような動きや、世界経済をリセッションに押しやる動きに発展すると見る向きは少ないのだ。

その意味では、「有事の金」という概念が終わったというよりも、北朝鮮情勢が国際通貨体制や国際経済に対する脅威になるような「有事ではない」との見方が重要と考えている。北朝鮮情勢が本当の有事と判断されれば、金価格は間違いなく反応すると見ている。その意味では、マーケットが北朝鮮情勢をどのように見ているかの指標として、金価格動向は引き続き有効な指標になると考えている。「有事の金」は過去の概念との見方を支持することはできない。

中東情勢であれば、原油価格への影響を通じてインフレという有事性がクローズアップされる余地があり、その意味では今回と同様の軍事的な危機レベルでも、金価格の感応度は高いと言える。米ドルに対する直接的な影響は小さい局地的な紛争でも、中東地区の軍事衝突は原油価格の急騰を促すことで、インフレという有事への対応策として金需要を高めることになる。しかし、北朝鮮での有事は世界経済に対してポジティブと評価する余地さえあり、「有事の金」をテーマ化することは難しいとみている。

■朝鮮半島有事が金相場の上昇につながる時

ただ、実際に朝鮮半島有事にまで発展すれば、金価格に対してはポジティブな効果が想定される。それは、国防費の増大と言う形で、米財政問題に転換される余地があるためだ。すなわち、軍事的な有事性は乏しいものの、経済的な有事性に発展するリスクに対しては、注意が必要と考えている。

3月23日に米議会は漸く財政赤字を大幅に削減する予算決議案を可決したが、13年の米公的債務残高は対国内総生産(GDP)比で112%と過去最高に達する見通しである。国際通貨基金(IMF)の見通しによると、その後も114%水準で辛うじて上昇に歯止めを掛けることができるか否かという危機的状況が続くことになる。

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現実問題としては、いまだに通貨(=ドル)の信認を維持できない程に債務が累増している訳ではない。しかし、「財政の崖」という大きなリスクを犯してまで進めてきた財政再建路線が、朝鮮半島有事の際には大幅な修正を迫られる可能性があることは間違いない。

米国は第二次世界大戦後と80年代後半に政府累積債務の削減に成功しているが、前者の場合は戦闘終結、後者の場合には冷戦構造の終結と、いずれも国防費の圧縮が一つの大きなきっかけになっている。政府債務のソフトランディングを着実に進めて「欧州債務危機」が「米国債務危機」に水平波及するのを回避する動きが展開される中、朝鮮半島有事と米債務問題との関係にも注目したい。

イラン戦争などを振り返ると、金価格は有事性がピークに達した局面では、逆に売られる傾向が強い。有事で金融資産の流動性・信頼性が低下した局面でこそ、流動性の確保されている金は換金対象とされ易いためだ。しかし、仮に朝鮮半島有事が発生した場合には、軍事行動が終わった後にこそ、本当の有事性が始まると考えている。

マーケットエッジ株式会社代表取締役/商品アナリスト

1976年千葉県生まれ。筑波大学社会学類卒。商品先物会社の営業本部、ニューヨーク事務所駐在、調査部門責任者を経て、2016年にマーケットエッジ株式会社を設立、代表に就任。金融機関、商社、事業法人、メディア向けのレポート配信、講演、執筆などを行う。商品アナリスト。コモディティレポートの配信、寄稿、講演等のお問合せは、下記Official Siteより。

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