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ノーベル文学賞2020年、裏読み解説 今年の授賞の謎ときに挑む

鴻巣友季子翻訳家・文芸評論家
米芸術・人文科学勲章2015年受賞者グリュック氏にオバマ大統領(当時)メダル授与(写真:ロイター/アフロ)

「いけず」な授賞?

 さて、2020年のノーベル文学賞の受賞者が発表された。アメリカの詩人ルイーズ・グリュック氏(77)だ。わたしの事前解説と予想の記事はこちらを読んでいただきたい。受賞者が日本人でない時点で、「なーんだ」と興味を失った方が大半かと思う。しかしこの授賞の裏にそこかはとなく感じられる”意図”を思うと、なかなか興味深いものがある。なにかのメッセージが遠まわしに伝えられている気がしてしまう。

 どういうことか、順を追って説明していきたい。

 まず、わたしの事前解説記事内の「予想」で当たったのは、この部分だけ。

「スウェーデンアカデミーというのは、狙いすましたように『人がいないところにボールを投げこむ』のが得意」

 要するに、予想は当たらなかった。

 

 ルイーズ・グリュックの詩を手に入れて読んだが、そのシンプルで澄明な言葉の紡ぎだす詩のすばらしさは間然するところがない。詩の伝統を打ち破る革新性がありながら、実験的で難解なものではなく、InstagramやTumblrなどのSNSに引用されることも多い。こんな感じです。ざっと訳をつけさせていただいた。

My heart was a stone wall わたしの心は石の壁

you broke through anyway. あなたはそれを突き破った。

My heart was an island garden わたしの心は孤島の庭

about to be trampled by you. あなたに踏みつけられる運命の。

You didn't want my heart; あなたは心は欲しがらない。

you were on your way to my body. 体めがけてやってきた。

(Marinaより一部引用)

 とはいえ、彼女への授賞はことごとく想定の「真裏」をついてきた感じだ。発表当日、わたしは夕方から新聞社に詰めていたが、授賞発表の瞬間、パソコン画面を凝視していた記者、編集委員たちの動きが固まり、部屋は静まりかえった。

「えっ、なんて言った?」

 みんな顔を見あわせる。わたしの第一声。

「ちょっといけずな授賞だなあ……」

 どうして、この授賞がいけずなのか? 今回の授賞を見る際のポイントを5つほどあげて、順次説明していこう。

1 アメリカ

2 詩人

3 女性

4 主流文学のからの距離

5 審査員の推し

審査員がかぶっている賞

 ポイントの5から逆に見ていこう。

 ルイーズ・グリュックはわたしの予想リスト(の下の方)には載っていた。なぜ注目したかというと、候補者たちの著書を所蔵しているノーベル図書館から、彼女の著書の貸出数がこの春以降とても増えていたからだ。また、グリュック氏は名だたるアメリカの文学や詩の賞を受けている。

 ところが、わたしが重視していないものがあって、これが痛かった。彼女は詩人トマス・トランストロンメルの名を冠した賞を今年の春に授与されている。トランストロンメル氏といえば、スウェーデンを代表する詩人であり、彼自身も9年前の2011年にノーベル文学賞を受賞した。

 グリュック氏はこうしたノーベル賞筋の大きな賞を授与されているのだから、予想外でもなんでもない本筋の候補者だったのだ。

 

 以下は邪推と思っていただきたいが、このトランストロンメル賞の審査員のひとり、ペール・ヴェストバリ氏は、ノーベル文学賞の選考委員でもある。ヴェストバリ氏の強い推しが授賞にひと役買ったとしても不思議ではないだろう。

”文豪”をすっ飛ばす

 つぎのポイントは、ルイーズ・グリュックの作風だ。彼女は米国の主要な文学賞を多数受けているが、その作品世界は、いわゆるアメリカ主流文学の文脈からは遠い極にある。アメリカの詩人で同賞の「最有力候補」とされたのは、前衛的な作風で英語圏最大の詩人ともいわれたジョン・アッシュベリーだった。

 だから、2016年にボブ・ディランが「詩人」として同賞を授与されたとき、「えっ、ア、アッシュベリーはどうした!?」と、文学筋は動揺したものだ。

 そのせいではないが、アッシュベリーはついに同賞を授与されないまま、翌年の2017年に90歳でこの世を去った。

 詩人のアッシュベリーだけではない。当時のアメリカ文学界には、ノーベル文学賞候補といわれる大作家たちがひしめきあって、大渋滞の様相を呈していたのだ。ピンチョン、フィリップ・ロス、ドン・デリーロ、コーマック・マッカーシー、ジョイス・キャロル・オーツといった方々。

ドン・デリーロ/上岡伸雄訳『墜ちていく男』
ドン・デリーロ/上岡伸雄訳『墜ちていく男』
コーマック・マッカーシー/黒原敏行訳『ブラッド・メリディアン』
コーマック・マッカーシー/黒原敏行訳『ブラッド・メリディアン』

 アメリカは1991年の黒人女性作家トニ・モリスンが受賞してから四半世紀、一人も受賞者が出ていなかったから、ついにアメリカにノーベル文学賞が来た!と思ったら、ミュージシャン(ボブ・ディラン)に授与するという前代未聞の選出。

 文豪を飛ばす、飛ばす、すっ飛ばす。ディランへの授賞に、アメリカの”有力候補作家”のみなさんはどんな感慨、または衝撃を受けたことだろう。

 そのせいではないが、フィリップ・ロス氏は翌々年の2018年に85歳で他界してしまった。

 文豪キラーである。いったい、スウェーデンアカデミーはなぜアメリカ文学の主流作家への授賞を避けるのだろう。アカデミーの「アメリカ嫌い疑惑」については、前回の記事に書いたけれど、いかんせん、アカデミーとアメリカの主流文学はそりの合わない面がある。とくに、アメリカの、白人の、男性の、移民系でない、知的階層の作家、すなわち、強いマジョリティの立場にある作家には、ヘミングウェイ(1954年)、あるいはソール・ベロー(1962年)を最後に、ゆうに半世紀以上もノーベル文学賞は授与されていない。

 今回もメインストリームの大御所作家たちは、あっさりスルーされた。

マジョリティ、弱し

 ちょっと歴史的な流れを見てみよう。

 第二次大戦前、米国は10年間で3回もノーベル文学賞を授賞されたこともある。ところが戦後、米国が政治経済の面で強大化し、英語がグローバル言語としての首位を確立するに従い、アメリカへの授賞が減っていく。そして、ぱたっと途絶えてしまうのが、米ソの冷戦が終わるころなのだ。

 1980年代末の冷戦終結で、分断されていたヨーロッパが統合に向かい、米ソの軍事対立が解消するのと入れ替わりに、欧・米の対立が(再び)表面化してきた。それは、ある面、アングロサクソン族・英語 vs ヨーロッパ諸民族・欧州言語の対立ともとらえられる。この構図を少しずらして、アングロサクソン族・ホワイトアメリカン vs 移民・マイノリティと考えれば、現大統領政権下の米国や、EU離脱で揺れるイギリスの分断も透けて見えるだろう。

 ともかく、昨今、アメリカの書き手でノーベル文学賞を受けるには、移民系、非英語の使用、人種的マイノリティ、女性、文学のノンプロパーといった、なにか少数派、非主流的な要素が必要なように見える。

 実際、いまのアメリカ文学界のわりあい若い世代で有望な作家を思い浮かべてみても、インド系、中国系、ハイチ出身、ドミニカ共和国出身、ボスニア出身、ナイジェリア出身、エチオピア出身などの作家が活躍している。多文化多言語のバックグラウンドをもつ作家が強い時代なのだ。

 今回のノーベル文学賞受賞者ルイーズ・グリュックは女性であり、Gluck(uにウムラウト)という綴りから察せられるように移民系といえる。母がロシア系ユダヤ人の子であり、父はハンガリー系ユダヤ人だ(父母の代にはすでにゆとりがあり、グリュック氏はコロンビア大学などで学んでいる)が、彼女自身も、「アメリカ人で白人の詩人である自分が選ばれたことに面食らっている」と言っている。

アメリカで女性詩人への授賞は初めて

 じつは、今年の予想の一つとして、”北米”というキーワードがあり、「北米の女性作家」と「北米の詩人」というのも、有力な下馬評だった。小説家なら、『侍女の物語』や『誓願』を書いたマーガレット・アトウッドが最有力、詩人なら、アン・カーソンというカナダ人女性や、チャールズ・シミックというアメリカ人男性あたりが最有力と見られていた。

 改めて見てみると、ルイーズ・グリュックは北米+女性+詩人の全コンビネーションで、じつは最強候補だったのだろう。

 グリュック氏の詩には、生と死、家族と家庭、愛情と喪失、記憶、羨みなどを題材にしたものが多い。そのなかに静かで妥協のないフェミニティやヒューマニティがあり、それを奇抜さのない日常的な言葉で表現する。西洋では、もともと韻文に始まる詩は、長らく圧倒的に男性優位の領域だった。もちろん、現代では卓越した女性詩人、ジェンダーレスな詩人が大勢いるが、女性詩人のグリュックが同賞を受けたことは喜ばしい。

以下の動画は、授賞直後に家の前で記者の質問に答えるルイーズ・グリュック氏。温かな人柄がにじむ。

「まだこの受賞が自分にとってどういうことを意味するのかわかりません。友だちがいなくなってしまうかも。友人のほとんどは作家ですから」とユーモアを交えて答え、「愛する人たちとの日常生活を保っていけるか心配」だと話している。

 さて、並みいる男性の”文豪”ではなく、こうした作品を紡ぎつづけてきたグリュック氏に賞が授与されたことには、ある種、抑圧的な父権社会を穏やかに遠ざけ、リベラルな平等社会をリードするスウェーデンからアメリカへの迂遠なメッセージなのでは、とも言われている。

 ちなみに、グリュック氏は大統領時代のオバマ氏から二度、大きな賞を授与されている。

 ボブ・ディランに異例の授賞があった2017年も、トランプ大統領指揮下で軍事力重視に回帰する米国政権に、ディランの授賞に託して反戦メッセージを送ったとも言われる。今年、米国は大統領選挙の年。現大統領が選挙直前に新型コロナウイルスに罹患して入院し、治るか治らないかのうちに速攻で退院して、ヘリコプターでホワイトハウスに帰還する英雄的な動画まで作成した。次期選挙も勝ちにいく気満々だ。マッチョで排他的なトランプ政治と、それに熱狂する支持層。

 澄んだルイーズ・グリュックの詩の言葉がしみいる。

 空気を読まないスウェーデンアカデミーの選考の裏を読んでも仕方ないかもしれない。それでも、授与する側の思惑とはべつに、この世界一大きな文学賞は否応なく政治性をはらむ。毎年毎年、さまざまな裏読みを誘ってやまないのである。

2016 Louise Gluck Claremont McKanna College
2016 Louise Gluck Claremont McKanna College

*グリュック氏の発音表記は「グリック」の方が近いように思うが、他のメディアの表記に従って「グリュック」とした。

翻訳家・文芸評論家

英語文学の現代小説から古典名作まで翻訳紹介に努める。訳書はエミリ ー・ブロンテ「嵐が丘」、マーガレット・ミッチェル「風と共に去りぬ」、ヴァージニア・ウルフ「灯台へ」、マーガレット・アトウッド「昏き目の暗殺者」「獄中シェイクスピア劇団」「誓願」、J・M・クッツェー「恥辱」「イエスの学校時代」など多数。2018年に刊行した著書「謎とき『風と共に去りぬ』」は画期的論考として高い評価を得る。ほかに「熟成する物語たち」、「翻訳ってなんだろう?」など翻訳関連の著書も多い。津田塾大学、学習院大学、 早稲田大学エクステンションで翻訳の教鞭もとる。毎日新聞書評委員。日テレ・CS日テレ番組審議委員。東京都生まれ。

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