岸田政権の目玉であった介護・保育労働者の9000円賃上げは、今年2月から実施されることになっていた。しかし、職場で賃上げの気配がないという相談が、介護・保育ユニオンには相次いでいるという。一体なぜだろうか。

「うちは賃上げしないと言われた」

 岸田政権の目玉として、今年2月から、ある政策が実施されることになっていたことを、みなさんは覚えているだろうか。介護・保育労働者の「9000円の賃上げ」である。国が補助金を出すことによって、月9000円分にあたる賃上げを実現するという政策であり、その金額などをめぐって、昨年末にはかなりの話題を集めていた。

参考:保育・介護の「9000円賃上げ」は看板倒れ? 「払われない人」が続出する理由

 しかし、肝心の2月も終わるというのに、いまや全くニュースになっていない。順調に支払いが進んでいるから、特に注目されていないのだろうか?

 残念ながら、そうではないようだ。労働組合「介護・保育ユニオン」には、特に保育園で働く労働者たちから、まさにこの賃上げについての労働相談が相次いでいる。そのほとんどが、次のような内容であるという。

 「2月からの賃上げがどうなったのか、園の理事長から全く話が出てこない」

 「社長から、うちは賃上げしないと言われた」

 岸田政権の肝いりで宣言されたエッセンシャルワーカーの待遇改善策に、少額であるとはいえ期待していた労働者は多いだろう。ところが、少なくない私立の保育園の現場において、この改善策が全く手付かずになっているのである。

 一体なぜ経営者は補助金を申請しないのだろうか。そして、もう賃上げは間に合わないのだろうか? 結論から言えば、いま職場で声をあげれば、まだこの制度による賃上げが間に合う可能性はありそうだ。

 本記事では、はじめに待遇改善を望む保育労働者のために賃上げの期限を解説したうえで、経営者が補助金を申請しようとしない理由を考えていきたい。

賃上げの仕組みの概要

 今回の「9000円賃上げ」の政策は、保育労働者については「保育士・幼稚園教諭等処遇改善臨時特例事業」として行われる。その特徴を簡単に説明しておこう。細かい例外はあるのだが、簡略化して説明することをご容赦いただきたい。

 まず、この補助金は、行政から労働者に直接支給されるというものではない。今年2月から職員の賃上げを行う予定の経営者に対して、その経営者が市町村に申請を行った場合に、行政から一人当たり「月額9000円」分に当たる補助金が支給され、その補助金を労働者の賃上げに使えるという仕組みだ。対象となる期間は、今年2月から9月分までとなっている。

 対称は保育士に限られない。調理員や栄養士、事務職員など、法人役員を兼務する園長以外であれば、原則的に保育園のどの労働者でも対象とすることができる。非常勤職員であってもいいし、派遣元さえ賃上げを認めれば、派遣職員であっても構わない。

 では、経営者が保育園の全職員の賃上げを行い、その賃上げ分を支給するように市町村に申請すればいいのではないかと思う方もいるかもしれない。残念ながら、そういう仕組みにはなっておらず、賃上げをする全職員分として一人9000円分が行政から支給されるわけではない。

 経営者が誰をどれだけ賃上げしようとも、それと直接関係なく、園に支給される補助金は、あくまで公定価格の配置基準に基づいて計算される。つまり、園児数に応じて決められた最低限の保育士などの職員数の配置基準分しか、国からの補助金は最初から払われない。このため、保育に余裕を持つために職員数を多めに配置している園では、全職員に一人9000円上がるという改善策は、はじめから不可能だということになる。

 さらに、公定価格の配置基準に応じて行政から支給される月9000円分の原資を用いて、誰をいくら賃上げするかは経営者の裁量次第だ(ただし、総額としては国から園に支給される補助金以上の賃上げをしなければならない)。つまり、経営者が賃上げ計画を立て、その賃上げ対象に選ばれなければ、9000円はおろか、1円たりとも賃上げされないというわけだ。

3月中に賃上げ分を支払うことが鉄則

 そもそも、経営者が賃上げの計画を立てて申請しなければ、園に補助金は支給されないし、今回の政策に基づいた賃上げもされない(もちろん補助金と関係なく経営者が賃上げすることは自由である)。

 となると、現時点でまだ、賃上げすることを経営者から聞かされていない保育園労働者からすれば、いつまでに経営者が市町村に申請すれば間に合うのか、ということが気になるところだ。

 期限は明確に定められている。今回の賃上げは、経営者が市町村に、今年2月以降の職員の賃上げ計画を提出することが要件となっている。4月から賃上げ分を申請するから、2月・3月分の賃上げは我慢してくれ、とはいかないのだ。しかし、もう3月になる。いまだに計画が市町村に提出されていない園では、既に手遅れなのだろうか?

 じつは、今回の事業の規定によれば、「賃金規程等の改定に一定の時間を要することを考慮し、3月に、2月分及び3月分をまとめて一時金により支給することも可能」とされている。つまり3月中に2ヶ月分の賃上げ分としてまとめて支払うのなら、2月に間に合わなくても大丈夫なのだ。

 しかし4月以降に、2月、3月の賃上げ分を遡及して支払う場合には補助の対象外となる(なお、2月分の賃金を3月に、3月分の賃金を4月に支給している保育園については、4月支給分も補助金の対象となっている)。職員に3月分の賃金を支払う月までに、賃上げ策を提出して申請を行わないといけないのである。リミットは3月いっぱいということである。

なぜ経営者は申請をしてくれないのか?

 次に、経営者はなぜ補助金の申請そのものを拒否するのだろうか。全員分の賃上げができず、一律ではない配分をするにしても、まずは補助金を申請すればよいではないか。

 第一に、経営者があえて申請をしない理由は、「自分たちの利益」にならないからだと考えられる。この補助金は、人件費以外に流用するという意味での「中抜き」が原則としてできないのである。

 この20年間、保育は規制緩和によって、「利益を求める」事業者が多数新規参入した。また、従来から保育園を運営していた社会福祉法人などの事業者でも、規制緩和を受けて利益追求路線に舵を切ったところは多い。彼らは、行政からの補助金を役員報酬に当てたり、別事業に流用したりするかに心血を注いでいる

 実際に、ジャーナリストの小林美希氏の調査によれば、委託費の約8割が人件費として計上されているが、5〜6割のみしか支給していない保育園も多い。2〜3割しか人件費に用いていない園も少なくない。

 具体的には、保育職員の人件費を最低限に抑え、備品の購入をしぶるといった、現場のコストカットが「利益の源泉」となっている。こうしたビジネスが最優先の目的である保育園経営者にとっては、わざわざ手間をかけてまで、用途の限定された補助金を申請して、職員の賃上げをするモチベーションがわかないのだろう。

 第二に、賃上げ後の待遇の問題だ。今回の補助金事業の実施期間は、あくまで今年2月から9月分までだ。とは言っても、補助金がなくなったからと言って、10月から賃金を下げるというわけにはいかない。

 就業規則を改定し、賃金をあげれば、補助金がきれたことを理由として、一方的に賃金の引き下げを行うことはできないのだ。経営側としては、賃上げで将来の「コスト」を増やしたくないという意図が働いているだろう。

 とはいえ、一応、厚労省は「事業実施期間終了後の令和4年10月以降についても、公定価格を見直す等により、引き続き同様の措置を行うこととしています」としている。だが、まだその内容が具体的に決まっているわけではない。本当に賃上げした分の原資が維持されるのか不安であるため、賃上げを躊躇する経営者も多いと思われる。

 ここでさらに第三の問題が生じる。10月以降は申請した場合の補助金支給ではなく、「公定価格の見直し」になるのだとすれば、今回賃上げをしていなくとも、行政から園に支給される人件費分の原資の金額が上がる可能性がある。

 しかも、公定価格で計算された保育園の運営費は、何にいくら使うかは経営者の裁量次第だ。もし現行の制度のまま10月以降に委託費を引き上げるなら、今回賃上げをしなければ、公定価格の見直しで増額された人件費分をそのまま経営者が自らの役員報酬にしたり、他の事業に流用したり、株の配当に使ったりすることも可能になる。この場合、むしろ今回賃上げを申請しない方が、保育園経営者が儲かるという事態になってしまうのである。

 以上の三つの理由から、多くの経営者が賃上げを忌避し、補助金を申請しようとしないものと考えられる。

経営者の「中抜き」は可能か?

 一方で、今回の制度においても、経営者に都合の良い「流用」が可能となる余地が見て取れる部分もある。一例をあげよう。

 今回の補助金は流用を防ぐため、全額を賃金改善に用いることとされており、賃金改善の合計額の2/3以上を「基本給または決まって毎月支払われる手当てにより行うこと」(ただし2月分、3月分は一時金でも良い)が必要であるとされている。2/3以上であるのは、「基本給を引き上げた場合には、賞与や超過勤務手当等の金額にも影響を与えることを考慮」したからだという。

 加えて、「本事業により改善を行う賃金項目以外の賃金項目」の水準を低下させていないことが必要である。要は、基本給や毎月の手当を通じて賃上げするが、他の手当を下げることで、補助金を実質的に経営者の懐に収めるという手口を許さないというわけだ。

 しかし、後者については「業績等に応じて変動するものを除く」という例外がある。つまり、ある保育園でボーナスについて「業績に応じて支払う」と定めていた場合、補助金は基本的に毎月分の賃上げに使うが、「業績が悪かったから」として賃上げ分に対応して逆にボーナスを大幅に減らすことで、補助金分を別事業に使うことが論理的には可能なのである。

黙っていないで、すぐに声をあげよう

 もともと少額とはいえ、岸田政権の「9000円賃上げ」に期待した保育園職員の方は少なくないだろう。しかし、実際は、手続きは経営者に丸投げされ、経営者にとって申請しない方が「合理的」となる部分すら大きい。また、制度の申請がなされても、ボーナスを下げるなどして、トータルでは労働者の賃上げにならない可能性すらある。

 いずれにしても、賃上げの期限は3月いっぱいだ。自治体によっては申請を2月で打ち切ると説明する地域もある。経営者が賃上げしないと言っている場合、賃上げを明言していない場合はもちろん、賃上げすると言っていてもその内容が不確かな場合は、この制度を使って最大限の賃上げをするように、経営者に働きかけるしかない。

 とはいえ、ひとりで経営者と対峙することは難しい。ぜひ労働組合などの専門家に相談し、経営者と交渉することをおすすめしたい。

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