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「分配」の陰で激増する「いじめ自殺」 「使い潰し型」資本主義が日本を滅ぼす

今野晴貴NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

「新しい資本主義」から抜け落ちた過労死対策

 生活困窮世帯への10万円の現金給付、看護・介護・保育の処遇改善など、岸田政権による「新しい資本主義」が話題を集めている。これらの「分配」政策が注目される一方、その陰に隠れてしまっている労働問題の一つに、過労死対策がある。

 特に毎年11月は厚労省の定める「過労死等防止啓発月間」であり、例年は過労死問題に注目が集まるのだが、今年は「分配」政策の席巻によって、後景に退いた印象を受ける。

 じつは、過労死問題を巡っては今年二つの大きな動きがあった。一つは、過労死認定基準の改定である。そしてもう一つは、ハラスメントによる過労死の激増である。

 「過労死」という言葉を聞いたとき、その原因について長時間労働を連想する人がほとんどだろう。もちろん、それは間違いではない。しかし、今年公表された厚労省の統計によれば、長時間労働に比をならべるほど、「パワハラ」や「いじめ」を主要な原因とする労災被害が多くなっているのだ。

 本記事では、過労死等防止啓発月間に合わせて、「いじめ・パワハラ」が増加する構造について、論じてみたいと考えている。なお、本記事の数字や分析については、今月発売された坂倉昇平『大人のいじめ』(講談社現代新書)を参照している。同書はNPO法人POSSEでハラスメント相談を担当する著者が、膨大な実例の研究をもとに日本のハラスメント事情を解明したものだ。

「過労自死」を凌駕する「ハラスメント自死」?

 今月、三菱電機グループにおいて2020年だけで330件ものパワハラ相談が社内の相談窓口にあったと、労働組合「電機・情報ユニオン」が記者会見で明らかにした。日本を代表する大手企業において、パワハラ防止法が施行された2020年でもなお、平然と大規模なパワハラが横行していたということになる。

 日本全体に目を向けても、近年パワハラ労働相談が激増している。厚労省に寄せられた労働相談においても、パワハラや職場いじめは、2011年度の4万5939件から、2020年度の9万7553件にまで、9年で2倍以上にまで増加している。また、パワハラや職場いじめによる精神疾患の労災認定数も、2009年度の16件から、2020年度の170件へと、この11年で10倍にまで激増している。これには、昨年施行されたパワハラ防止法の影響も大きいだろう。

 その結果、日本の労働問題を象徴する「過労死」の主な原因の中でも、パワハラや職場いじめが占める部分が拡大している。業務上の理由で精神疾患を発症して労災が認定された事件のうち、厚労省が長時間労働を主原因として判断したものは184件(※1)ほどだ。一方、パワハラと職場いじめが主原因とされたものは170件となる。ここにセクハラによる44件も足すと214件に上り、ハラスメントによる精神疾患が、長時間労働による精神疾患を上回ってしまう。これは2019年度の調査ではなかった現象だ。坂倉氏は前述の著書で、これを「過労自死」一般と区別して、「ハラスメント自死」と呼んでいる。

 もちろん、労災認定されなかった事案があることはもちろん、その困難さから労災の申請に至らなかった事案も多く、これらの件数は実際の過労死被害の氷山の一角に過ぎない。また、実際には複合的な業務上の原因によって精神疾患が起きているなど、厚労省による上記の「主原因」の判断が一面的に過ぎないという批判もあることは留意しておきたい。それでも、過労死のかなりの部分をハラスメントが占めるようになったことは注目すべき変化だろう。

※1精神疾患の理由の類型のうち、「仕事内容・仕事量の(大きな)変化を生じさせる出来事があった」「1か月に80時間以上の時間外労働を行った」「2週間以上にわたって連続勤務を行った」「特別な出来事」をカウントした。

長時間労働によってパワハラが増える構造とは

 ではなぜ、パワハラや職場いじめの相談がそこまで増加しているのだろうか? そこには労働条件の劣化の影響があると見られる。厚労省が今年公表した調査では、現在の職場でパワーハラスメントが起きている労働者のうち「残業が多い/休暇を取りづらい」と回答したのは30.7%で、過去3年間にパワハラを経験しなかった労働者の回答(13.4%)の2倍以上に及んだ。

 このように、長時間労働の職場においてパワハラが起きやすいことが明らかになっている。一方で、過労死の主原因に占める長時間労働の件数はやや減少しているが、これはコロナ禍の影響に加え、会社側が労働時間の証拠を労働者に残させない「隠れ残業」が広がっているものと推測できる。

 長時間残業などの劣悪な労働環境が増えることでパワハラが増える理由として、長時間労働をともなう過剰な業務命令や指導が、そのままパワハラになることは比較的イメージしやすいだろう。しかし、前述の坂倉氏の『大人のいじめ』では、それだけではなく、ハラスメントが過酷な職場環境に労働者を従わせる「効果」を指摘している。

「経営服従型」のハラスメントとは

 例えば、職場のストレスを発散させるためにパワハラが行われば、その職場の「不満」の矛先が、経営者から労働者にそらされることになる。また、職場の働き方についていけなかったり、会社に対して何かしら異議を申し立てたりするような労働者に対して嫌がらせをすることで、その労働者の姿勢を叩き直したり、「直らない」のであれば追い出したり、他の労働者への「見せしめ」にしたりすることができる。

 その行為によって、職場に残る労働者たちは経営者に対してより従順になり、労働条件を問題にすることなく、粛々と働くようになるというわけである。こうした「効果」を持つハラスメントを、坂倉氏は「経営服従型」のハラスメントと名付けている。

 しかも、こうしたハラスメントの加害者のうち、経営者や上司ではなく、「同僚」が加害者になる割合も多いという。坂倉氏が厚労省に確認したところ、2020年度において、パワハラ防止法の施行以降、精神疾患の労災が認定されたパワハラ・職場いじめ161件のうち、少なくとも39%、つまり約4割が同僚によるものであるという。

 労働者自身が他の労働者に対してハラスメントをもたらし、互いに「潰しあう」ことで、職場環境に声を上げられなくなってしまうという図式があるのだ。

「人間を使い潰す資本主義」としての過労死問題

 過酷な労働条件の中で、パワハラ・いじめによって労働者が「分断」され、経営者に対して従順にさせられてしまうというのは、重要な指摘である。日本社会では、「過労死」や「ブラック企業」に代表される長時間労働や、非正規雇用の貧困が蔓延し、労働者をひたすら従属させて限界まで働かせる、「人間を使い潰す資本主義」が続いてきた。これは19世紀のイギリスを彷彿させるような資本主義の原型でもある(※2)。

 日本の資本主義の最大の問題は、人を使い潰す経営に慣れすぎてしまい新しい活力が失われているところにある。その間にも世界では賃金上昇の圧力にさらされ、経営者は技術革新に注力してきた。「使い潰し型資本主義」から脱却できないかぎり、日本社会に未来はない。

 岸田政権も「新しい資本主義」を掲げるいま、わずかな「分配」に終始するのではなく、過労死のような長時間労働や、労働者が経営者に従属せざるを得なくなる構造に歯止めをかけていくことが重要なのではないか。その筆頭と言える対策の一つが、過労死対策のはずである。残念ながら岸田政権が積極的にその対策を広げていく様子は現時点ではない。

 長時間労働やハラスメントの被害に悩んでいる当事者の方、そのご家族や知人、同僚の方は、ぜひ専門家に相談してみてほしい。

 なお、NPO法人POSSEでは本日11月21日14時から、弁護士を講師としてオンラインの過労死セミナーを実施する。また11月23日には労災ユニオンが過労死相談ホットラインを開催する予定だ。

※2 今月発売の拙著『賃労働の系譜学 フォーディズムからデジタル封建制へ』でも、筆者はこうした日本型資本主義の構造を分析し、これからの経済社会のあり方を論じている。

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参考文献

坂倉昇平『大人のいじめ』(講談社現代新書)

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*筆者が代表を務めるNPO法人。訓練を受けたスタッフが法律や専門機関の

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*長時間労働・パワハラ・労災事故を専門にした労働組合の相談窓口です。

NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

NPO法人「POSSE」代表。年間5000件以上の労働・生活相談に関わり、労働・福祉政策について研究・提言している。近著に『賃労働の系譜学 フォーディズムからデジタル封建制へ』(青土社)。その他に『ストライキ2.0』(集英社新書)、『ブラック企業』(文春新書)、『ブラックバイト』(岩波新書)、『生活保護』(ちくま新書)など多数。流行語大賞トップ10(「ブラック企業」)、大佛次郎論壇賞、日本労働社会学会奨励賞などを受賞。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。専門社会調査士。

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