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「分配」だけで問題は解決しない 「使いつぶし型」資本主義からの脱却を

今野晴貴NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。
(写真:アフロ)

 岸田首相は新たな分配政策を実施することで日本の「新しい資本主義」を目指すことを表明している。自民党の総裁が正面から「資本主義の改革」を宣言した事実は、日本社会が重大な局面にさしかかっていることを、如実に示している。

 今月26日には、「成長と分配の好循環」をどう実現させるのか議論する「新しい資本主義実現会議」首相官邸で開かれた。そこで岸田首相は「成長と分配の好循環が重要との認識、そうした目標の実現に向けて官と民がともに役割を果たし、あらゆる政策を総動員していく必要があることが共有できた」と述べたという。

参考:「新しい資本主義」めざし、11月上旬にも提言案 初会合で首相指示

 与党だけではなく、衆議院選挙では各党が分配を訴えている。確かに、各党が問題視しているように、「分配」は重要な政策課題だ。しかし、現実の労働問題の現場に立つ者としては、「分配」だけでは解決しない日本社会の根本的な問題がみえてくる。

 今回の記事では、「分配」の背後にある、より根本的な日本型資本主義の問題について考えていこう。

新自由主義 対 社会民主主義

 現在、日本の非正規雇用は全体のおよそ4割に達し、「ブラック企業」、「ブラックバイト」、過労死・自死・鬱が蔓延している。賃金も下がり続け、社会保障・税の負担増は中・下層の生活をさらに圧迫している。

 「好景気」がうたわれる中で、労働者一人あたりの実質現金給与総額(実質)は、1997年の83.1%におちこんでいる(2020年 毎月勤労統計)。教育や技術投資も極限まで削られ、若者のチャンスは狭まっている。親の年収が減少する一方で、学費が上がり続けた結果、現在、大学生・短大生の37.5%が奨学金を借りており、平均借入額は324.3万円にも上る。

 確かに、このようなデータを見ていけば、「分配」が重大なテーマとなるのは当然のことである。この30年の間、分配を削る「新自由主義」と再分配を拡大する「社会民主主義」の政策論上の対立は激化し続けてきた。

 過去、それがもっとも先鋭となったのは、民主党に政権交代した2009年の総選挙であろう。民主党は当時、「生活が第一」を掲げ、日本を福祉国家に変えようとした。子供手当の創設に加え、雇用保険で救済されない人々向けに職業訓練と給付がセットになった、「第二のセーフティネット」などを打ち出した。当時のマニフェストは、今日から見ても、非常に画期的なものだった。

 しかし、2009年の盛り上がりをピークに、日本は「新自由主義」の路線に再び回帰していった。象徴的だったのは派遣法の度重なる改正だ。不安定雇用をなくすために、一度は規制を強化したものの、またすぐに緩和されてしまったのである。

「分配」だけでは解決しない

 このようにみてくると、今回の選挙で「新自由主義」に対抗する分配型の「社会民主主義」政策が要請されるのは非常に理にかなったことであろう。しかし、今日では、単なる分配はますます経済を衰退させる恐れがあることも指摘しなければならない。

 そもそも、岸田氏が掲げる「成長と分配の好循環」は新しい資本主義のモデルでは全くない。いうまでもなく20世紀前半に登場したケインズ主義政策の焼き直しである。分配と需要喚起による経済成長戦略は、今日では経済のグローバル化によって「国内循環」のモデルが成立しにくいことや、そもそも新たな需要喚起に限界があることから有効性が相対化している。

 とはいえ、分配が経済的な発展に結び付く可能性はある。ただし、それは単なる需要喚起によるものではない。雇用や生活が安定し、子育てや能力開発の機会が保障されるように「分配」を行うならば、「短期的な経済成長」には必ずしも結びつかなくとも、長期的には確実に日本社会は強化されるという意味においてである。

 この点を踏まえない一過性のばらまきは、日本社会を強化するとどこか、「ばらまき反対派」がいうように、補助金頼みの経済腐敗を一層強めてしまう。ばらまき型の経済政策では、人々が補助金頼みになってしまい、結果的に補助金が切れると「シャッター商店街」のように、すぐに活力が失われてしまうことが指摘されてきた。

 そのような経済では、自ら社会を作り出すのではなく、「次の補助金はどの地域(や業界)にくるのか?」ということばかりに関心を向き、政治と分配ばかりが問題となる。それをいくら続けても、人々の心は荒み、創造性は減退する。「成長と分配の好循環」どころか、ますます産業は凋落してしまうのである。

「使い潰し型」からの転換へ

 では、「分配」を否定したモデルはどうなるのか。それは、冒頭に述べたような、今日の日本の姿である。日本社会では、長時間労働や非正規雇用の貧困が蔓延し、「人間を使い潰す資本主義」が続いてきた。その間、賃金は下がり続け、競争力も減退していった。教育費も削減され続け、ますます日本の国力は衰えていった。

 象徴的なのは、先端技術の研究者さえ不安定雇用となったことだ。任期付きの彼らは競争的資金の獲得のために、文部科学省が認める(理解できる)手堅い研究に奔走し、画期的な研究は激減した。不安定な身分は、研究者を「不正」にさえ走らせた。結局、競争政策は人々の活力を奪い、「支配」を強めただけだった。

 日本ではあまりに労働者の身分が不安定になる一方で、「自己責任」や「努力」で何とかせよ、という「解決策」が人々の内面の奥底にまで浸透した。学校教育でも「我慢」や「空気を読む」ことばかりが陰に陽に奨励されている。これでは経済が活性化しないのも当然だ。

 このような「使い潰し型」の資本主義は、資本主義の本家である19世紀のイギリスでも発生した。短期的な経済的利益を求め、長時間・過重労働が蔓延し、不衛生で劣悪な住居が「効率」を追求して工場の周辺に密集した。人件費の安い子供たちが工場で深夜まで働かされ、平均身長も平均寿命も劇的に縮んだ。

 これが、世界で最も繁栄し、最強を誇った資本主義国家の真の姿だった(その意味で「使い潰し型」は資本主義のデフォルトであるといってもよい)。その後イギリスでは労働運動・社会運動が高揚し、福祉国家を建設していった。ただし、ここでも福祉国家はただ「ばらまき」をしていたわけではないことが重要だ。

 福祉国家政策の始祖ともいえるウェッブ夫妻は、「産業民主制」を提唱したことで有名だ。彼らの産業民主制論においてもっとも中心に据えられているのは、実は「分配」ではない。そうではなく、社会政策が労働者に安定した生活と教育訓練を実現することで、彼らが新たな産業社会に適応できるようにすることだった。その原動力として、さまざまな社会政策を前提とした市場競争に加え、労働者たちが労働運動で自らの権利を主張することも、重視されていたのである。

 このような歴史的な経験からしても、単なるばらまきも、不安定化を促進するだけの競争政策も、どちらも有効ではないことがわかる。

「意見が言えない」日本経済の病

 日本社会には、さらなる問題もある。それは労働者の発言権があまりにも弱いということだ。それが、単に給与が低いために需要が減退する、というだけではない別の問題を生み出している。

 先ほど、研究者が有期雇用になることで新しい研究が難しくなるという指摘をしたが、同様の自体は正規・非正規を問わずに日本で蔓延している。労働相談の現場では、「いじめ」相談が非常に増えており、その多くは「業務改善を申し出たら、無視されるようになった」とか、「社内の不正を認識しているが、不正を告発すれば居場所がなくなる」などといった話なのである。

参考:坂倉昇平『大人のいじめ』講談社現代新書

 非正規や「ブラック企業」が蔓延し、労働者の発言力が弱すぎる日本社会では、「上司のいったことに合わせること」や「社内の空気を読む」ことが出世や雇用継続の条件になりがちである。身分の不安定化は、労働者の活力を奪い、「支配」ばかりを強化しているわけだ。この状況を変えない限り、いくら給付金などで一時的な分配を増やしても活力は回復しようがないのではないか。

 実は、このようなことは、1970年代にケインズ主義が行き詰まりの中で、世界中で課題になったことでもある。産業の発展の中で労働があまりにも単調になったために、労働者の自発性を引き出せず、かえって経済が停滞しているという問題意識が共有されていた。社員が「(上司に対して)まじめに」なり、かえってアイデアが生まれづらくなる。日本社会はその傾向をどこまでもおし進めてしまった感がある。それが、「低賃金と従属」という日本資本主義のモデルを生み出してしまっている。

 なぜ、日本では人を使い潰して短期的な利益を求め、「支配」ばかりが強化されていくのだろうか。そこから脱却しなければ、明るい未来は来ようがない。これまでのやり方で日本が貧しくなったことを自覚し、この際限のない資源の「食い潰し」という自己破壊的な状態からの脱却を目指すことこそが、本当に必要な戦略のはずだ。

今こそ、「生存権」を見直す

 ここで改めて注目したいのは、「生存権」だ。すでにみたように、日本では過剰な競争がかえって従属を招いてきた。今必要なことは、社会の中に安心と余裕を生み出し、活力を取り戻すことだ。そのためには、無条件の生存保障が何よりも必要である。

 例えば、能力開発が重要だからと言って、その対象にならない人や、なかなか能率が上がらない人を差別していけば、結局これまでと同じ問題を繰り返すことになる。社会全体に安心と余裕がなければ、発展などあり得ない。

 そうした意味でも、分配を経済成長と結びつける今日の傾向には疑問がある。生存を保障する分配は、「経済成長」が成功すると否とにかかわらず、必須なのである。経済成長と結びつけた分配論では、それが失敗したときに、「では分配はやめよう。あれは失敗だった」となってしまう。このような論理構成で出発すること自体に、先行きに対する強烈な不安を感じざるを得ない。

 分配は、社会の活力をかならず底上げする。医療、住居、教育などの社会政策は、直接すぐに「リターン」を数値で示せるようなものではないが、長期的に見れば確実に社会の活力を増大させるのである。

おわりに

 今回の選挙戦では、与党も野党も「昔の日本を取り戻す」という主張が目立つように思う。それはそれで世論に訴えかけるものがあるのはわかる。だが、はたしてそれでよいのだろうか。そうした懐古趣味は、衰退する国家ではよく見られる現象だが、このような風潮は、ますます社会から現実を見つめる知性を奪い去り、閉塞を強めていくことにしかならないと思う。

 日本社会では戦後一貫して過労死するほどの長時間労働や、低賃金の非正規雇用が「競争力」の源泉として活用されてきた。日本の経済発展には、「使い潰し」がつねに付きまとってきたのである。だからこそ、今、日本の資本主義の在り方を根底から見直し、刷新すべき限界点に差し掛かっているのではないだろうか。

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NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

NPO法人「POSSE」代表。年間5000件以上の労働・生活相談に関わり、労働・福祉政策について研究・提言している。近著に『賃労働の系譜学 フォーディズムからデジタル封建制へ』(青土社)。その他に『ストライキ2.0』(集英社新書)、『ブラック企業』(文春新書)、『ブラックバイト』(岩波新書)、『生活保護』(ちくま新書)など多数。流行語大賞トップ10(「ブラック企業」)、大佛次郎論壇賞、日本労働社会学会奨励賞などを受賞。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。専門社会調査士。

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