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保育士らが「集団提訴」 保育業界に蔓延する過酷・違法な労働実態とは

今野晴貴NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。
(提供:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

 6月25日、茨城県常総市の社会福祉法人が運営する認可保育園で働く保育士ら7名が、未払い残業代の支払いを求めて、法人に対して集団提訴を行なった。その報告の記者会見が7月1日、厚労省で開かれた。

 休憩が取れない、残業代が払われない、という労働問題は、日本中の保育園で多発している。それでも、認可保育園の保育士たちが在職中に、未払い残業代の支払いを求めて集団提訴に踏み切った事例は、全国でも過去に例をみない。今回の集団提訴は、保育業界に蔓延する労働問題に一石を投じる裁判となる可能性がある。

 本記事では、この事件において保育士たちが集団提訴に至るまでの経緯、そしてどのような働き方をしていたかの実態を紹介していく。それを通じて、保育職場に蔓延する「利益優先」の実態や、それを変えていくために必要な対応について考えていきたい。

提訴についての記者会見の様子。
提訴についての記者会見の様子。

子どもが使うものにお金がかけられず、玩具はほとんどが寄付

 今回、集団提訴を行なった保育士たちは、昨年末から、介護や保育業界の労働問題に取り組む労働組合の「介護・保育ユニオン」に加入し、保育環境や労働条件の改善を求めて声を上げてきていた。

 この保育園では、劣悪な保育環境や職員不足、理事長からのパワハラなどの問題に加え、残業代が支払われない、休憩が取れないなどの労働基準法違反の問題も多発していたからだ。問題の背景には、理事長の「保育現場に金をかけない」という方針が一貫していたという。

 まず、園児が使う玩具やさまざまな備品を買ってもらえないことが多く、ほとんどが職員や保護者からの寄付で成り立っていた。壊れているイスや机があり、購入を希望しても、自分たちで修繕することになった。園庭の遊具が壊れており、怪我をする可能性があるとして修理を依頼したところ、その遊具は修理の予定が全くないままずっと使用禁止になってしまい、子どもの遊び場が削減されてしまった。

エアコンも使用禁止! 子どもの命より、電気代の節約を優先

 さらに深刻なのは、理事長がエアコンの使用を制限していたことだという。原則として、夏の暑い日も冬の寒い日も、園長本人にエアコンの許可を取って使用許可を取らなければならない。また、冷房の使用時間は9時~16時、温度設定は28度と明確に限定されており、猛暑であっても朝や夕方の時間帯は冷房を消すように指示されていた。理事長は、「エアコンをつけないほうが子どもの健康のために良い」と持論も展開していたお言う。

 園のある常総市では、冬も10月半ばごろには、朝夕の気温がかなり低くなる。0、1歳児の保育室には床暖房が完備されているため、床暖房の使用許可を理事長に求めたところ、11月になってようやく使用するよう指示された。

 「子どもの命よりも電気代なのか」と保育士たちはショックを受けながら、理事長の命令を無視して自分たちの判断でエアコンを使用していたが、理事長に見つかると注意されたという。

全国の保育園で、保育の質より優先される「コストカット」

 これらの問題は、単にこの理事長が「ケチ」だったという個人的な問題なのだろうか?  実は、そうとも言い切れない。私が代表を務めるNPO法人POSSEには、「必要な備品を購入してもらえない」という保育士からの相談が数多く寄せられているからだ。

 認可保育園の場合、行政から保育園に対して、園を運営するための「委託費」が支給される。現在、この使い道の制限は緩和され、経営者が自由に決めることができるようになっている。このため、コストカットの対象に、子どものための備品や玩具を含めるケースが全国の認可保育園で生じている。

 このようにして「浮いた委託費」は、経営者の報酬になるのはもちろんのこと、さらなる委託費を受けるための新園を展開する資金に回されたり、株式会社の場合、株主の配当にも使えるようになってしまったりしている。「保育のビジネス化」の矛盾が現場に押し付けられているのだ。

職員不足で園児がケガ

 保育が「ビジネス化」する中で、コストカットの論理は設備だけでなく、「ギリギリの人数で保育を回す」ことを現場に強いている。今回提訴された保育園でも、人件費を極限まで節約し、人手不足は常態化していたという。

 園の保育士たちも給与も非常に低く、月給20万円前後。10年勤務したベテラン保育士すら、手取りの月収は10万円台のままだ。これほどに賃金を低く抑えているにもかかわらず、職員数を全く増やそうしないのだ。

 保育士が理事長に「保育に支障がある」と人員不足の改善を訴えても、「保育のやり方次第だ」というばかり。しかし、人員不足は、現場の保育士の努力でどうにかなるような問題ではない。

 職員不足を背景とした、園児の事故も起きているという。ある日の夕方の時間、30数人の1〜5歳児を、クラスを分けずに合同で保育をしていた時があった。動き方の全く異なる1〜5歳児を合同で一つの部屋で見なければいけない状況自体が危険だ。この時間帯にも保育士は、たった3人しか配置されていなかった。また、30人以上の動き回る園児に目をくばりながら、夕方には子どもを迎えにきた保護者の対応も行わなければならない。通常の保育園ではあり得ない状況だ。

 結果、園児が肩を脱臼してしまった。しかも、ケガの発生に気付くこともできず、そのまま子どもを家に帰してしまい、帰宅してから保護者からの問い合わせで気付くというありさまだった。

交渉しても開き直る園長

 事故の防止のために保育士たちは立ち上がり、団体交渉を行った。

 ところが理事長は、「ケガってのは(子どもが)動いてる限り、仕方ないと思うんですよ」「誰(保育士)がいてもケガします。動いてる限り。動く「モノ」は」と開き直ったという。園児は「動くモノ」だからといって、事故防止を怠るのは支離滅裂だ。子供たちの行動の予測が困難だからこそ、適切な人員配置が必要なはずである。

 重大事故に対する反省もないままに、この認可保育園では、今年4月から国が始めた人員配置に関する規制緩和の措置を早速導入し、さらなる人件費の抑制に動いている。新たな制度を活用し、常勤の保育士がいないパートのみの担任のクラスを4月からつくったのだ。

 この規制緩和の問題については、下記の記事も参照してほしいが、「介護・保育ユニオン」の保育士たちは、こどもたちの管理を適切するうえで、パートのみのクラスを作ることは危険だと考えている。

参考:「保育で政府が「新プラン」 「非正規だけの担任」は何をもたらすのか?」

休憩が取れず、夕方にやっとトイレに行けるような状態の日も

 人員削減が進み、ぎりぎりの中で働く保育士たちの労働環境も悪化している。この保育園では、勤務開始以来、保育士たちは休憩を一度も取ったことがなかったという。休憩どころか、夕方にやっとトイレに行けるほど余裕がなく、トイレを我慢しなければならないせいで膀胱炎を発症した保育士もいた。

 職員数の不足により、保育士が休憩を取れずに働いている問題も、この保育園に限ったことではなく、保育業界全体に蔓延している労働問題である。「介護・保育ユニオン」には、保育士からの「休憩が取れない」という相談が、この1年だけで約60件寄せられているという。

 休憩が取れない理由も、パターンが決まっている。園児の午睡中(午後のお昼寝)の時間を休憩時間とされてたり、園児と一緒に昼食を食べる時間を休憩とされたりしているケースなどが多い。

 午睡中は、園児が起きてしまうこともあり、その場合は対応にいかなくてはならない。たとえお茶を飲んだり食事をしたりできていたとしても、園児と一緒の空間にいる限り、さまざまな対応を迫られる可能性があるため、休憩を取得できていることにはならない。

「一斉退職」から労働組合へ 保護者との連携で改善も

 今回のケースでは、保育士の一人が介護・保育ユニオンのことを知り団体交渉、そして集団提訴へとつながった。団体交渉には多くの保護者も応援、協力もあり改善も進んだ。壊れた机や椅子は新しいものに買い替えられ、玩具も新しいものを購入できるようになり、保育環境は充実したものとなった。エアコンの使用も認められた。

 経営者のコストカットの論理がはばかり、保育環境が劣悪なものになっていたところから、職員が労働組合で声を上げ、子どもにとっての良い保育環境を実現したのである。

 組合員の保育士の一人は組合を始めたことについて、次のように話している。「このままでは、大好きな子ども達の通う場所がなくなってしまう。様々な問題を改善し、新たな職員も長く働き続けられる職場環境と、子ども達保護者が安心して笑顔で通える保育園になってほしいと思い、活動を始めました」。

 

 保育士不足や一斉退職が問題となる中で、声を上げ経営者と向き合っていくことが大切だということが非常によくわかる。

 繰り返しになるが、今回のケースは「単なる一つの職場の問題」に留まらない保育業界全体に通じる問題提起を含んでいる。特に、「ビジネスの道具」として経営者に保育を委ねてよいのか、保育士や保護者の観点から利益追求の弊害を克服できるのか、という社会的問題を提起している。

 今回提訴した保育士たちが加盟している「介護・保育ユニオン」では、今週末、保育労働者対象の労働相談ホットラインを開催するという。「休憩が取れるよう環境改善させたい」、「残業代を請求したい」、「人員不足を改善して良い保育環境にしたい」など、改善を目指したい保育労働者はぜひ相談してみてほしい。また、保育園の環境改善を支援したボランティアも募集中だという。

保育職場の労働相談ホットライン

日時:7月11日(日)13時〜17時

電話番号:0120-333-774(通話無料・相談無料・秘密厳守)

【常設の無料労働相談窓口】

NPO法人POSSE

03-6699-9359

soudan@npoposse.jp

*筆者が代表を務めるNPO法人。訓練を受けたスタッフが法律や専門機関の「使い方」をサポートします。

総合サポートユニオン

03-6804-7650

info@sougou-u.jp

*個別の労働事件に対応している労働組合。労働組合法上の権利を用いることで紛争解決に当たっています。

介護・保育ユニオン

03-6804-7650

contact@kaigohoiku-u.com

*関東、仙台圏の保育士、介護職員たちが作っている労働組合です。

NPO法人POSSE 外国人労働サポートセンター

メール:supportcenter@npoposse.jp

仙台けやきユニオン

022-796-3894(平日17時~21時 土日祝13時~17時 水曜日定休)

sendai@sougou-u.jp

*仙台圏の労働問題に取り組んでいる個人加盟労働組合です。

労災ユニオン

03-6804-7650

soudan@rousai-u.jp

*長時間労働・パワハラ・労災事故を専門にした労働組合の相談窓口です。

ブラック企業被害対策弁護団

03-3288-0112

*「労働側」の専門的弁護士の団体です。

ブラック企業対策仙台弁護団

022-263-3191

*仙台圏で活動する「労働側」の専門的弁護士の団体です。

NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

NPO法人「POSSE」代表。年間5000件以上の労働・生活相談に関わり、労働・福祉政策について研究・提言している。近著に『賃労働の系譜学 フォーディズムからデジタル封建制へ』(青土社)。その他に『ストライキ2.0』(集英社新書)、『ブラック企業』(文春新書)、『ブラックバイト』(岩波新書)、『生活保護』(ちくま新書)など多数。流行語大賞トップ10(「ブラック企業」)、大佛次郎論壇賞、日本労働社会学会奨励賞などを受賞。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。専門社会調査士。

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