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「固定残業代100時間」をめぐり集団訴訟へ 問われる「脱法」制度のあり方

今野晴貴NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。
(写真:アフロ)

 本日、労働組合・自販機産業ユニオンの組合員6名が、勤務先の飲料自販機会社・大蔵屋商事に対し、月96時間もの残業を前提とする固定残業代は無効であり残業代を支払う義務があるとして埼玉地方裁判所に提訴した。

 原告の組合員6名は、一月当たり100~150時間の残業に従事しており、慢性的な長時間労働を強いられていたという。その温床となっていたのが、残業96時間分に相当する固定残業代(11万5千円)であった。

 固定残業代は、月の給与にあらかじめ残業代が含まれているため、新たな残業代を発生させずに残業を命じることができる。企業側には残業抑制のインセンティブが働かず、長時間労働が常態化してしまう制度だ。

 (しかも、大蔵屋商事は、96時間を超えて150時間働いたとしても、残業代を支払っていなかったという)。

 長時間労働の温床となる固定残業代制は、大蔵屋商事に限った話ではない。厚生労働省が定める残業時間の上限の原則である月45時間を超える固定残業代制は残念ながら珍しくない。

 そこで本記事では、こうした固定残業代に一石を投じる今回の裁判の論点を紹介しつつ、一般的に固定残業代が違法とされて残業代を請求できるのはどのような場合なのかをみていく。

朝5時から夜9時まで「最低賃金」で労働

 まず大蔵屋商事で働くルートドライバーの1日の勤務内容について紹介しておこう。

 大蔵屋商事の朝は早い。早朝5~6時に営業所をトラックで出発する。なかには4時台に出発する従業員もいる。冬場であれば外はまだ真っ暗だ。

<写真1:大蔵屋商事の「出勤」の様子>
<写真1:大蔵屋商事の「出勤」の様子>

 30台前後の自動販売機をトラックで巡回していき、飲料の補充や集金、ゴミ回収(自販機の脇に設置するゴミ箱のゴミ回収)を行う。1日の走行距離は約60~80キロメートルにもなる。休憩を取る暇はなく、運転しながらパンやおにぎりを食べることくらいしかできないという。

 営業所に戻る頃には日が暮れていて夜6時、7時頃になる。それから翌日のための飲料をトラック内に積み込んだり事務作業をしたりすると、退勤は夜8~9時頃になってしまう。

<写真2:大蔵屋商事の勤怠記録>
<写真2:大蔵屋商事の勤怠記録>

 裁判の原告となった従業員の月間の労働時間は350時間にもなるが、給与総額は月30万円程度にしかならないという。

 実は、大蔵屋商事の賃金は「最低賃金」で計算されているのだ。これは経営陣も認めており、「ちゃんと最低賃金を支払っている」と労働組合に対して、豪語していたそうだ。

 ここで大蔵屋商事求人を見てみよう。

 埼玉県では基本給16万5千円以上、固定残業代11万5000円(残業96時間分に相当)、神奈川県では基本給17万1000円以上、固定残業代11万5000円(残業93.5時間分に相当)、東京都では基本給17万2000円以上、固定残業代11万5000円(残業92.9時間分に相当)となっている。

 これはいずれも、最低賃金(埼玉:時給898円、神奈川:時給983円、東京:時給985円)に対応している。最低賃金が低い地域ではその分基本給を下げて、固定残業代11万5千円に含まれるとする残業時間を多くしているのだ。

固定残業代制の二つの狙い

 固定残業代制を導入する会社側の狙いは二つある。一つは求人の賃金を高く見せかけることである。基本給16万5千円で募集しても採用は困難と思われるが、総支給額28万円として募集すれば見かけの賃金が大幅に増えるため採用しやすくなるのだ。

 もう一つは、実労働時間と賃金の対応関係を曖昧にすることで、本来払わなければならない残業代を「節約」することにある。だが、こうした「節約」は、違法と解されるケースも多い。ここで大蔵屋商事のケースを詳しく見ていきたい。

 大蔵屋商事では、96時間以上の残業をしても、11万5千円の固定残業代とは別に、追加で残業代が支払われることはなかったという。これは96時間を超えた部分の残業時間については一切賃金を支払っていないこととなり、明白な違法行為である。実際、この点については労働基準監督署が労働基準法37条違反で是正勧告を出しており、96時間を超えた部分の残業について賃金を支払うよう指導している。

「定額働かせ放題」の固定残業代制は「合法」か?

 では、そもそも、「定額働かせ放題」の固定残業代制は「合法」なのだろうか。残業96時間分に相当する11万5千円の手当は残業代としての効力を持つと言えるのだろうか。

 名称の如何にかかわらず、何らかの手当が残業代としての性質を持つことが認められるためには、使用者自身がその手当を残業代として適切に運用している必要がある。

 しかし、大蔵屋商事のケースでは、96時間を超えた部分の残業時間については一切賃金を支払っておらず、固定残業代が「定額働かせ放題」のための制度として運用されており、働いた時間に応じて支払うという残業代の原則から外れた運用がなされていた。

 さらに、数年前には一時、基本給8万円程度+固定残業代20万円という賃金制度を採用していた。この賃金制度では、月に約350時間相当の残業というあり得ない時間数が予め手当として支払われているという計算となることから、これが「定額働かせ放題」のための制度であったことは明白だろう。

 実際に、裁判判例においても、固定残業代に含まれる残業時間数を超過した場合に超過分の清算実態が無いことや、違法な労務管理の下で過度の長時間労働を強いられていることを理由として、固定残業代の合意を無効としたものがある(東京地判平成27年2月27日)。

 このように、使用者自身が固定残業代制を残業代として適切に運用していない場合には、それが残業代としての効力を持たず、1日8時間・1週40時間を超えた時間すべてに対して残業代を支払う義務が使用者にあるとされる可能性が高い。

長時間労働を前提とした固定残業代制は「合法」か?

 また、長時間労働を前提とした固定残業代制についても無効とされることがある。

 厚生労働省は、残業時間の上限を原則として月45時間としており、これ以上の残業時間を前提とする固定残業代は、公序良俗に反して無効と解される可能性がある(「36協定の延長限度額に関する基準」(平成10年12月28日労働省告示第154号))。

 さらに、厚生労働省が過労死ラインとして定めている月80時間を超える残業時間を含む固定残業代制は、裁判判例からみても、公序良俗に反し無効と解される可能性が極めて高い。

「一ヶ月当たり80時間程度の時間外労働が継続することは、脳血管疾患及び時間外労働を恒常的に労働者に行わせることを予定して、基本給のうちの一定額をその対価として定めることは、労働者の健康を損なう危険のあるものであって、大きな問題があると言わざるを得ない。<中略>通常は、基本給のうちの一定額を月間80時間分相当の時間外労働に対する割増賃金とすることは、公序良俗に違反するものとして無効とすることが相当である」(東京高裁平成30年10月4日判決)

 上記判例は、基本給の一部を固定残業代として扱うケースではあるが、労働者の健康を損なう危険性の高い長時間の残業を前提とする固定残業代が無効と解されることが分かるだろう。

 固定残業代制の下で長時間労働をしている方は諦めずに相談を

 そもそも、働いた時間数に応じて残業代を支払うことが労働基準法における原則である。したがって、長時間労働をしているのに、賃金がそれに見合った水準に達していない場合は、違法に残業代が払われていないケースがほとんどだ。

 上記の通り、固定残業代制が「定額働かせ放題」の制度として運用され長時間労働を強いられたり、予め長時間労働を前提とするような固定残業代制が採られたりしている場合は、残業代としての性質を持たないと解釈され、多額の未払残業代を取り戻せる可能性が高い。

 もちろん、残業代を請求するためには、証拠を用意し金額を計算したうえで支払を求めて会社と交渉する必要がある。これを一人ですべてやることは難しいだろう。

 残業代が適切に支払われていないかもしれないと思う方は、ぜひ早めに専門家に相談するようにしてほしい。

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NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

NPO法人「POSSE」代表。年間5000件以上の労働・生活相談に関わり、労働・福祉政策について研究・提言している。近著に『賃労働の系譜学 フォーディズムからデジタル封建制へ』(青土社)。その他に『ストライキ2.0』(集英社新書)、『ブラック企業』(文春新書)、『ブラックバイト』(岩波新書)、『生活保護』(ちくま新書)など多数。流行語大賞トップ10(「ブラック企業」)、大佛次郎論壇賞、日本労働社会学会奨励賞などを受賞。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。専門社会調査士。

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