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芸能マネージャーの「やりがい搾取」 裁量労働制の悪用が「違法行為」と認定

今野晴貴NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。
(ペイレスイメージズ/アフロ)

 2019年1月18日、渋谷労働基準監督署により、人気グループ「いきものがかり」や人気俳優・藤木直人さんらが所属する芸能事務所キューブに対して、違法な裁量労働制の適用をしていたとして、裁量労働制の適用を無効とする指導と、残業代未払いによる労働基準法37条違反の是正勧告が出された。

 この行政指導は、同社所属の音楽アーティスト専属のアシスタントマネージャーとして勤務していたAさん(20代男性)の申告に基づくものだ。

 Aさんは、裁量労働制の労働相談に取り組む「裁量労働制ユニオン」に相談して、労働基準監督署に申告するための支援を受けながら、未払い残業代の支払いなどを求めてキューブと団体交渉を行っているという。

 裁量労働制は現在も対象業務を拡大する議論が継続している。しかし、実質的に「定額働かせ放題」になり、過労死を促進すると批判されてきた。

 また、4月からは労働時間の上限規制が施行されるため、「規制逃れ」のために裁量労働制が新たに適用される職場も増加するものと見込まれる。

 そこで今回は、芸能事務所の事件を紹介しながら、裁量労働制が適用されている職場で過酷な労働が蔓延している実態と、違法行為を是正させるための「対処策」を紹介していく。

月200時間の残業、1年のうち10ヶ月が過労死ライン超え

 Aさんの長時間労働は、タイムカードに記録されたものだけで1ヶ月間の最大が約205時間。

 マネージャーとして勤務した1年間のうち、過労死ラインの月80時間超えが10ヶ月間、月100時間超えも9ヶ月間に及んだ。

 また、1ヶ月を超える連続勤務も複数あり、最大では月49日間1日も休まずに働いていた。

 いったいどれだけの「業務」をこなしたら、これだけの殺人的労働時間になるのだろうか。

過酷を極める「業務」

 まずは、ライブ関連業務からみていこう。

 Aさんは全国のライブ会場までアーティストと機材車で移動し、移動中にはSNS更新、ミーティング、電話やメール対応を同時にこなしていた。もちろん運転はAさん自身だ。

 そして現場到着後は、アーティストに楽屋やトイレの場所などを案内し、劇場仕込み、楽屋セッティング(衣装をハンガーにかけたり、お弁当・ステージドリンクの用意、加湿器セットなど)、リハーサル。イベンター会社との打ち合わせとの打ち合わせもこなす。

 さらに、物販も彼の業務。宣伝POPや物販集計表などを作成し、電卓、テープ、サンプルなどの備品の準備など、実に細かいこともこなす。

 それだけではない、なんと衣装準備(一人2〜3着分のアイロンがけなど)、SNS用の写真撮影、SNS更新(グッズ販売告知など)までこなすのだ。

 そして当然、ゲスト(関係者、招待客)を案内し、挨拶まわりも。

 イベントの最後には物販の売り子、売上金の回収・金額チェック、片付けをして機材車を運転し、会社に戻る。

 翌日も地方でライブがある場合には、宿泊先まで機材車で移動し、アーティスト、スタッフ全員のホテルへのチェックインの手続きをする。

 その間に車を給油し、宿泊先近くの駐車場に車を停め、深夜には翌日のライブ用の衣装の洗濯、アイロンがけも欠かさない。同時に、当日の物販集計、物販報告書をメールで報告する。

 こうして列挙するだけで、目が回るような業務量である。だが、彼の仕事はライブ関連に限られているわけではない。

 このほかにもレコーディング関連業務や取材・メディア関連業務がある。

 レコーディングに関しては、まず、機材のセッティング、搬出・バラシなどの作業員のような仕事をしなければならない。

 レコーディングそのものにも当然立ち合い、買い出し(お弁当・間食)などの雑用をこなす。

 動画撮影(メイキング映像の素材にする)も彼の仕事だ。その動画を作品にする際には、意見や感想も求められる。

 メディア関連業務では、SNS写真撮影、取材・収録の立ち会いの他、原稿や番組データのチェック、SNSの更新も行う。

 そのほかの業務にも、ファンレターのチェック、請求書の処理なども任されている。

「やりがい搾取」の道具としての裁量労働制

 これらの業務の中でも、ライブ関連が過酷だった。地方を回る時期は、特に長時間労働が常態化していたという。

 ライブを終えて次の会場近くの宿泊先のホテルに深夜に移動し、到着後にア―ティストや他のスタッフが寝ている間にも、マネージャーは働き続ける。

 衣装の洗濯・アイロンがけ、物販報告書のまで作成・メール送信まで終わると、26時、27時になっていることは全く珍しくなく、翌日も午前から仕事なのにもかかわらず、30時、33時、さらには35時を回っているという記録まで複数回あった。

 それにもかかわらず、キューブは「裁量労働制」を理由に一切の残業代を支払っていなかった。

 裁量労働制ユニオンの計算によれば、未払い賃金は2年間で600万円にも上る。

 Aさんは、子どもの頃にテレビで見た特撮ヒーローに憧れて、芸能界に就職したという経緯がある。

 キューブで担当したアーティストのことも非常に好きで、今回の事件報道でも所属アーティストには迷惑をかけたくないと考えているという。

 しかし、会社はAさんのアーティストへの思いを悪用し、「定額働かせ放題」の裁量労働制を適用していたのである。

 裁量労働制は、「やりがいの搾取」を法的に促進するものだといえるだろう。

 ただし、後述するように、多くの裁量労働制は「違法状態」にある。だから、ユニオンに加入して争えば、多くのケースで残業代を取り戻せるのだ。

芸能事務所のマネージャー職に広がる裁量労働制

 そもそも、裁量労働制は、業務の進め方や時間配分に裁量があるとされる労働者を対象として、1日何時間働かせたとしても、労使で定めた「みなし労働時間」分しか働いたとことにならないという制度である。

 これが適用されれば、企業が実際には「みなし労働時間」以上働かせたとしても、残業代の支払いや、残業時間の上限規制を免除される構図となる。

 みなし労働時間を1日8時間と定めていれば、1日何時間残業しても、残業代は1円も払われない(深夜割増と休日割増は払われる)。

 このため、合法的な「定額働かせ放題」として悪用されるケースが後を絶たないのである。

 この裁量労働制をタレントや俳優、ミュージシャンなどのマネージャーに適用しているケースは珍しくないようだ。

 キューブの法務担当者は、裁量労働制ユニオンとの団体交渉の中で、自社で裁量労働制を導入した経緯を説明した際に、「同業他社を調べて参考にした」と答えたという。

 確かに、2019年度の求人サイトや事務所のホームページの採用情報から、筆者がざっと検索しただけでも、多くの芸能事務所で裁量労働制が導入されていることがわかる。

・嵐やTOKIOらが所属する「ジャニーズ事務所」の「タレントマネージャー」

・サザンオールスターズや福山雅治らが所属する「アミューズ」の「アーティストマネージメント職」

・唐沢寿明や反町隆史らの所属する「研音」の「マネージャー」

 また、裁量労働制ではないが、お笑い芸人を多く抱える「吉本興業」では、「マネージャー」に対して、裁量労働制と類似する「事業場外みなし労働時間制度」を適用している。

 もちろん、これらのすべてが違法だといいたいわけではない。だが、Aさんの事例のように、「違法」に裁量労働制が適用されている職場は、芸能関係に蔓延していることが予測される。

 それは、そもそも芸能界のマネージャー職が裁量労働制に「なじまない」ものだと考えられるからだ(もっといえば、世の中の裁量労働制のかなりの割合が違法状態にある)。では、どのような場合に裁量労働制は「違法」となるのか。

 キューブの実態を掘り下げて考えてみよう。

芸能事務所における違法な裁量労働制の業務とは?

 労働基準法では、裁量労働制の対象となる労働者について「その遂行の方法を大幅に労働者の裁量にゆだねる必要があるため、当該業務の遂行の手段及び時間配分の決定等に関し使用者が具体的な指示をしないこと」と定められている。

 特に専門業務型裁量労働制においては、この条件を満たすと厚労省が定めた19業務が具体的に限定列挙されている。

 しかし、「芸能人のマネージャー」という業務が明記されているわけではない。

 キューブでは、この19業務のうち、「放送番組、映画等の制作の事業におけるプロデューサー又はディレクターの業務」を「アーティストマネジメント」に対応させていた。

 問題は、これに「芸能人のマネージャー」が入るのかどうかだ。実は、この業務について、厚労省は通達でもう少し詳しい条件を定めている。

 そこにはまず、「「放送番組、映画等の制作」には、ビデオ、レコード、音楽テープ等の制作及び演劇、コンサート、ショー等の興行等が含まれるものであること」とあり、芸能事務所のアーティストに関連する業務なら、はクリアできそうだ。

 しかし、同じ通達を読むと、「「プロデューサーの業務」とは、制作全般について責任を持ち、企画の決定、対外折衝、スタッフの選定、予算の管理等を総括して行うことをいうものであること。「ディレクターの業務」とは、スタッフを統率し、指揮し、現場の制作作業の統括を行うことをいうものであること」と定められている。

 これに芸能マネージャーが入るかどうかは、具体例なケースによって大きく変わってくる。

 ここで、Aさんの業務を振り返ってみたい。Aさんの仕事は雑用に近い業務がほとんどだった。マネージャーという肩書きではあるものの、各種業務を「総括」「統括」しているとは言いがたく、「制作全般について責任を持」っていると考えるのは難しいだろう。

 実際に、Aさんの社内での肩書きは「アシスタントマネージャー」だったが、上司の「チーフマネージャー」が全てを決定する権限を持っており、Aさんの業務はあくまでもその補助的位置付けに過ぎなかったのだ。

「労基署頼み」では救済されない!

 ところで、Aさんはアシスタントマネージャーの「定額働かせ放題」について会社に疑問を呈していた結果、左遷され、物販担当に配属転換をされている。

 その時期も裁量労働制が適用されていた。物販担当者としてAさんが行なっていた業務は、日中は基本的に社内の雑用や物販の準備を担当し、夜や休日にアーティストのイベントがあると会場で売り子を行うというもの。

 当然、このような雑用や販売が「裁量労働」に当たるはずはない。そこで会社は強引に、Aさんがグッズ制作の会議に出席していたことを理由として、デザイナーの業務にあたるということにしていた。

 これは、どう考えても明らかな違法状態だ。ところが、今回、渋谷労働基準監督署はこの明らかに違法と思われる論点は認定しなかった。

 会社側が労基署の聞き取りに応じた際、現場のことをよく知らず、Aさんがやっていなかったプロデューサーやディレクターの業務を会社側が伝えたため、労基署が業務の違法性を判断できなかったのだ。

 これは芸能界に限らず、裁量労働制の濫用の取り締まりが難しい原因の一つである。

 欧米社会と異なり、契約書で具体的な業務内容を限定しない日本では、会社がいくらでも後付けで虚偽の業務内容をでっち上げることができてしまうため、労基署の調査を免れてしまえるのである。

(この問題は、過去にも筆者が指摘している)。

参考:裁量労働制の違法な「対象業務」 労基署も取り締まれない実態

 つまり、労基署に駆け込むだけでは、「救済」されない可能性が高い。今回の事件は、Aさんが加入した裁量労働制ユニオンが、独自に証拠収集を行ったことで、はじめて問題化したのである。

「具体的な指示」を受けて働いていたら裁量労働制は違法に!

 今回労基署が裁量労働制違反を認定したのは「業務の遂行に裁量がない」という事実からだった。

 前述のように、裁量労働制の労働者に対しては、「その遂行の方法を大幅に労働者の裁量にゆだねる必要があるため、当該業務の遂行の手段及び時間配分の決定等に関し使用者が具体的な指示をしないこと」と定められている。

 業務の範囲が違法でなくても、自分で仕事の進め方を決められないのであれば、裁量労働制は違法となる。

 Aさんはアシスタントマネージャーだった時期も、物販担当だった時期も、チームの一番下で働いており、上司に指示された通りに勤務することしかできなかった。

 とはいえ、この判断は過去あまり例がなく、裁判例も一つしかない。

参考:プログラマーの裁量労働制は違法! システムエンジニアの裁量労働制が違法になったケースも

 今回、キューブに対しては、団体交渉で裁量労働制ユニオンが、Aさんに裁量がなかったという労働実態に関する発言を経営陣から引き出していたことが、労基署の判断の決定打になったという。

 このように、この事例からは、労基署に駆け込んで「問題ない」とされた裁量労働制でも、ユニオンに相談しきちんと証拠を集めれば、違法状態を暴き、残業代を取り戻したり労働時間を減らすことができるということが改めて証明された。

おわりに

 労基署の是正勧告と裁量労働制ユニオンの団体交渉の結果、働いた分の未払い残業代を支払う方向で進んでいるという。

 芸能界に限らず、裁量労働制はあらゆる業界・業種で違法な適用が広がっている。

 困っている方は、ぜひ専門家に相談してみてほしい。裁量労働制ユニオンでも、今週に裁量労働制ホットラインを実施するという。

裁量労働制 労働相談ホットライン

日時:2月23日(土)13時〜17時

   2月24日(日)13時〜17時

電話番号:0120-333-774

※通話・相談は無料、秘密厳守です。ユニオンの専門スタッフが対応します。

裁量労働制を専門とした無料相談窓口

裁量労働制ユニオン 

03-6804-7650

sairyo@bku.jp

*裁量労働制を専門にした労働組合の相談窓口です。

その他の無料労働相談窓口

NPO法人POSSE 

03-6699-9359

soudan@npoposse.jp

*筆者が代表を務めるNPO法人。訓練を受けたスタッフが法律や専門機関の「使い方」をサポートします。

総合サポートユニオン 

03-6804-7650

info@sougou-u.jp

*個別の労働事件に対応している労働組合。労働組合法上の権利を用いることで紛争解決に当たっています。

仙台けやきユニオン 

022-796-3894(平日17時~21時 土日祝13時~17時 水曜日定休)

sendai@sougou-u.jp

*仙台圏の労働問題に取り組んでいる個人加盟労働組合です。

ブラック企業被害対策弁護団 

03-3288-0112

*「労働側」の専門的弁護士の団体です。

ブラック企業対策仙台弁護団 

022-263-3191

*仙台圏で活動する「労働側」の専門的弁護士の団体です。

NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

NPO法人「POSSE」代表。年間5000件以上の労働・生活相談に関わり、労働・福祉政策について研究・提言している。近著に『賃労働の系譜学 フォーディズムからデジタル封建制へ』(青土社)。その他に『ストライキ2.0』(集英社新書)、『ブラック企業』(文春新書)、『ブラックバイト』(岩波新書)、『生活保護』(ちくま新書)など多数。流行語大賞トップ10(「ブラック企業」)、大佛次郎論壇賞、日本労働社会学会奨励賞などを受賞。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。専門社会調査士。

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