新聞各社の誤報について 「残業代ゼロ」

「働いた時間ではなく成果で賃金が決まる働き方などについて、厚生労働省の労働政策審議会が検討する報告書案が明らかになった」。

本日の朝日新聞の記事の冒頭である。この冒頭の一文は、大変な誤報を含んでいる。

朝日新聞 「残業代ゼロ」対象者 年収、平均の3倍超

この文章を読めば、

「成果で賃金が決まるように、法律で定めるのか」

と誰しもが思うだろう。それ以外の解釈のしようがない文章だ。そのあとに「残業代ゼロ」の懸念が示されてはいるが、冒頭にこのように記述されていれば、「成果で賃金を決める法律」と「残業代ゼロ」がセットで制定されると思うのが、当然だろう。

朝日新聞だけではない。これまでに、新聞各社が同様の報道を繰り返してきた。

しかし、これは誤報なのだ。

政府は「成果で賃金を決める法律」を定めるわけではないし、今回の法改正で成果給を義務付けるような項目は何も盛り込まれていない。

また、「成果の中身」については企業側が提案することを想定しているようだ。つまり、「これくらいの仕事をこなしていくら支払います」ということを、企業が提案するということだ。

すぐに気付くように、それは今までも、どこの企業も行っていることだ。目標設定も、業績の評価も社内人事制度で決めることができる。ただ、これらの成果主義は企業ごとに行っているもので、「評価基準」が不適切になることも多かった。

冒頭の表現では、新制度が、そうした「成果の評価」について法律が適切になるように、何らかの制限を課すことを定めるかのような錯覚を与える。

実際に、政府の審議会ではこうした「目標の適切な設定」や「成果の適切な評価」が実現するかのような表現を繰り返しており、それは毎回報道されてきた。

例えば、昨年の四月に産業競争力会議の長谷川主査が提出した「個人と企業の成長のための新しい働き方」と題したペーパーには次のように書かれている。

「職務内容(ジョブ・ディスクリプション)の明確化を前提要件とする。目標管理制度等の活用により、職務内容・達成度、報酬などを明確化して労使双方の契約とし、業務遂行等については個人の自由度を可能な限り拡大し、生産性向上と働きすぎ防止とワーク・ライフ・インテグレーションを実現する」

「成果ベースで、一律の労働時間管理に囚われない柔軟な働き方が定着することにより、高い専門性等を有するハイパフォーマー人材のみならず、子育て・親介護世代(特に、その主な担い手となることの多い女性)や定年退職後の高齢者、若者等の活用も期待される」

このように、「成果」による適切な評価がこの法律によって定着するのだと、何度も強調されてきたのである。

「成果給になれば、仕事を早く終わらせて家に帰れる」

「適切に評価されて、賃金が上がる」

今では、新制度がこうしたことを実現すると誤解している人は相当数に上っていることだろう。

だが、「適正な評価」や目標設定の在り方については、新制度は何も定めないのである。ただ残業代をゼロにできる例外を定めるだけだ。

では、なぜ政府はそうした主張を繰り返しているのだろう。

審議会等での説明を読む限り、「残業代がゼロ」になることで、適切な目標設定と成果の評価をする企業が「増えるだろう」という推測をしているにすぎない。法律で具体的に定めなくとも、規制さえはずせば企業が自主的に適切な「成果給」を広げるはずだというのだ。

ブラック企業問題や過労死問題に取り組んできた筆者としては、こうした政府の「推測」はあまりにも甘いものだと思う。残業代の支払いが免除されてしまえば(たとえ年収が高額であっても)、無理な成果を要求する企業も出てくることだろう。

「定額使い放題」のような状況を作り出してしまわないか、つよく懸念している。

ちなみに、海外では「仕事の評価」を法的に規制する場合がある。いわゆる「職務給」である。例えば、イギリスの場合には、従事する仕事の内容に対し、賃金が低すぎる場合に、使用者が合理的な理由を弁明できなければ違法だと評価される場合があるのだ。

繰り返しになるが、今回の法改正はこうした規制を盛り込むというわけではない。ただ、残業代がゼロにできる場合を定めるだけだ。

新聞各社は政府の発表をそのまま掲載しているのだろうが、読者としては冒頭が「成果で賃金が決まる働き方」とされていれば、当然適切な成果の評価を法律が義務けるものと錯覚する。

このような誤報は直ちに訂正するべきだろう。