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「1年の回り道は必要な時間でした」Wリーグ電撃復帰の藤岡麻菜美が選択したデュアルキャリア

小永吉陽子Basketball Writer
ふじおか まなみ/1994年2月1日生まれ/27歳/170センチ/PG

異色のキャリアで電撃復帰――1年のブランクを経て藤岡麻菜美がWリーグへの復帰を発表した。所属チームは若手が成長中のシャンソン化粧品 シャンソンVマジック。しかも引き続き、母校である千葉英和高校でのアシスタントコーチは兼任する。Wリーグの選手と高校のコーチ。違うカテゴリーでの『デュアルキャリア』はバスケ界で初の試みだ。

19-20シーズンを最後に藤岡は4シーズン在籍したENEOSサンフラワーズから突然の引退を表明した。26歳。誰もが早すぎる引退だと惜しんだ。2017年には日本代表の司令塔としてアジアカップ3連覇の立役者となり、大会ベスト5を受賞した逸材である。しかし度重なるケガとの戦いや、女王チームに身を置いてのバスケ観の違いなどから「バスケを楽しめていない自分がいる」と、現役を続行するパワーは残っていなかった。引退後は将来の夢として描いていたコーチの道に進み、千葉英和高のアシスタントコーチに就任。恩師である森村義和コーチに学びながら、メインで練習指導を任されるまでになっていた。

選手としてのモチベーションが再燃したのは、外の世界に触れて新しい価値観を知ったことや、教え子たちの懸命な姿に心を動かされたからだった。これからは、シャンソン化粧品のある静岡市と千葉英和高のある千葉県八千代市を行き来する生活が始まる。デュアルキャリア挑戦に至る決意を聞いた。

視野が広がった今だからこそ「バスケがしたい」

――Wリーグへの復帰を決めた理由を聞かせてください。

引退して半年くらい経ったあたりから「バスケは楽しいな」と思う感情が出てきました。競技の第一線から離れて外の世界を見たことや、一生懸命に頑張る高校生たちにどんどん心を動かされる自分がいて、「そうだよね。バスケットって楽しいスポーツだよね」と再認識することができました。

Wリーグでの4年間はケガが続いて苦しかったけれど、ケガだけが引退の理由ではなくて、気持ちの部分でついていけなくなって、自分が自分でなくなるような感じがありました。引退したときは「これが自分の人生。次の道に行こう!」と決めつけて投げやりなところがあって、やり切って引退したわけではなかったんですね。「今、バスケットをやったら楽しいだろうなあ」という思いが湧き出てきた頃に、ありがたいことにいくつかオファーをもらい、「一緒にバスケをやりたい」と言ってくれる選手も出てきて……。こうしてチャンスをいただくことができたので、もう一回、頑張ってみようと復帰を決めました。

――外の世界を見たことやコーチをしたことは「バスケが好き」だと気づかせてくれるのに必要な道のりだった、ということですね。

はい。本当にそうなんです。復帰をしようと決心して感じたのは、やっぱり外の世界を見て良かったな、ということでした。今、バスケットが好きだと思えるのは外の世界に出ていろんな経験をして、いろんな見方ができるようになったからですし、教え子たちにバスケの楽しさを教えてもらったからです。また、サンフラワーズにいたからこそ経験できたこともたくさんあるので、4年という短い時間でしたが、サンフラワーズには本当に感謝しています。いろんな経験をしたからこそ気づくことがたくさんあったので、一周回ってしまいましたが、あのタイミングで選手を辞めたことは良かったんだという認識になりました。

――外の世界を見て感じたのはどんなことでしたか?

高校生を指導して感じたのですが、高校生は良くも悪くも変わっていく年代なので、指導者の一言が大きな影響力を持つことを学びました。それと同時に、育成年代にとって大事なのは主体性を持ってやることだと思っています。主体性を持って選手に選択させると「こんなプレーができたね」「こんな考えがあるね」というのが出てくるんです。自分が選手に復帰しても主体性を持ってプレーしたいし、視野が広がった中でもう一度選手としてやれたらどんなことを感じるんだろう、楽しいだろうなあと思ったんです。

衝撃のプレーを披露した2017年アジアカップ。準決勝の中国戦では19得点、14アシストの大活躍
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賛否両論は理解したうえでの決断

――Wリーグの選手と高校のコーチ、デュアルキャリアに挑戦しようと思った理由は?

まず先にバスケをやりたい、選手として復帰したいという気持ちが動いて。でも高校のコーチを辞めることはできないので、どうしたらいいかとずっと考えていました。デュアルキャリアは、あとからそういう選択もあるということで出てきたんです。

きっかけはある一言でした。日本体育大学が主催している『女性エリートコーチ育成プログラム』に参加しているのですが、そこでメンタリングをする時間があり、自分のメンターの方に、自分の状況や気持ちを伝えたら、「どっちもやってみたらいいんじゃない」という一言をもらいました。それが今年の2月で、そこから「こういう人生もありなんじゃないか」という気持ちが芽生えて、デュアルキャリアをやってみようと心の整理がつきました。そこで、共感してくれたのがシャンソン化粧品でした。

――「こういう人生もありなんじゃないか」という考えに行き着いたのは、ある意味、学生時代から下剋上バスケをしてきた藤岡麻菜美らしいと感じます。一方で、あれほど熱心に高校のコーチをしていた姿を見ると、相当悩んだのでは?

悩みましたし、考えました。今までの自分の考え方だったらどっちかに絞ってやっていたと思いますが、コーチになってからは自分だけの人生ではなくなったというのを一番に感じています。とくに高校生は育成年代だから進路問題もあるし、今の1年生は自分がリクルートに関わった選手なので、そこで投げ出すのは無責任です。だからこそ、両方を本気でやろうと思いました。

――今までの女子バスケにはなかった道を切り拓いていく、という意識はありますか?

女子のほうが世界で実績を残しているのは事実じゃないですか。なのに、女子は引退したら完全にバスケから離れてしまう方が多いのはもったいないですよね。以前、シャンソンでは相澤優子さんが選手兼コーチをやるケースはありましたが、引退したあとにいきなり指導者になるのは…と思う人は、プレーをしながら指導者として勉強する選択肢があってもいいと思います。自分の場合は高校なのでWリーグとは違うカテゴリーのコーチになりますが、こういう新しい選択肢があることを伝えたいし、新しい道を選ぶ人が増えるといいなと思います。デュアルキャリアには賛否両論の声があることは理解していますが、それでも自分はやってみたいです。

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千葉と静岡を行き来する生活は臨機応変に

――Wリーグの選手と高校のコーチ、どのように掛け持ちして活動するのでしょうか?

今までは静岡と千葉を車で行ったりきたりしていたのですが、5月上旬から本格的にシャンソンの練習が始まったので、これからは時間短縮のために新幹線で通います。シャンソンに決めたのも、千葉と通いができるギリギリの距離ということもありました。シャンソンからは「一緒に頑張りましょう」と言ってもらえているので、そのサポートがありがたいです。高校もWリーグも重要な試合の時期があるので、そのつど相談して決めていくことになります。まずはやってみないとわからないですが、臨機応変にやっていけたらと思います。

――引退前は度重なるケガがありましたが、今は完治したのでしょうか? 

今のところは問題ないです。ただ1年間何もやっていないので、コートに立つまで大変なことは覚悟しています。これから10月の開幕までにはしっかりと身体を作りたいです。それにシャンソンは小池遥選手というメインガードがいるので、そこは安心して任せられます。自分が全部やらなきゃいけない、という復帰ではないので。

――では、バックアップになることを受け入れての復帰なのですね。

シャンソンは若いチームなので、今までの経験を還元して「優勝するってこういうことだよ」というマインドを伝えていきたいですね。もちろんガードとしても競争しますが、自分が求められているのは経験なので、そこは伝えていきたいです。

高校生たちに寄り添って指導したい

――今後、高校生にはどのような指導をしていきたいですか?

森村先生と密に連絡を取って、オンラインをうまく使いながら進めていきたいです。実際の練習では自分も高校生に混じって身体を動かして練習をします。自分も練習量が必要だし、Wリーグ選手と練習できることは高校生にとってもメリットになるので、そういうところでも自分が持っている経験を還元したいです。「バスケは楽しいスポーツ」と思い出させてくれたのは教え子たちです。これからも高校生たちに寄り添って指導していきたいです。

――森村コーチはこの挑戦について、どのような言葉をかけてくれたのでしょうか。

森村先生と顧問の先生には自分の思いを聞いてもらい、理解してくれました。母校だし、恩師なので自分のことをよく知っているので、「お前は新しいことにチャレンジしたいやつだからやってこい!」と背中を押してくれました。森村先生が高校生を指導してくださるからできる挑戦でもあるので、そこは感謝したいです。

――シャンソン化粧品ではどんな選手になりたいですか?

シャンソンに決めた理由の一つとして李(リー)さん(李玉慈=イ・オクチャHC)に教われることがあります。自分は純ポイントガードのヘッドコーチに教わってみたかったのでそこはすごく楽しみで、新しいバスケを学べるチャンス。純粋に「もっとうまくなりたい」というのが今のモチベーションとしてあるので、毎日成長したいです。コーチを経験していろんな考え方が出てきたので、自分が選手に復帰したときに何を感じるのかも楽しみです。そうした発信も今後はしていきたいと思っています。

強いチームを倒したいと進学した千葉英和高でインターハイ16強、筑波大では関東リーグ5位からインカレ優勝、ユニバーシアードでは準決勝でアメリカに再延長の死闘。学生時代から下剋上バスケでインパクトを残した
強いチームを倒したいと進学した千葉英和高でインターハイ16強、筑波大では関東リーグ5位からインカレ優勝、ユニバーシアードでは準決勝でアメリカに再延長の死闘。学生時代から下剋上バスケでインパクトを残した

 昨年、引退を決意した時の藤岡は頑なだった。「バスケットを楽しめていないのであれば、自分の道は自分で決着をつけなければ」という思いすら感じられた。それが1年経った今、「こんな人生もありなんじゃないか」という考えに行き着いたのは、外の世界を見て視野を広く見渡せるようになったからだ。「人生の選択の答えは一つではない」と気づくことができた1年の時間は決して回り道ではないと言える。

 ただ、デュアルキャリアとしての復帰は簡単な道のりではない。Wリーグから離れていたのは1シーズンだが、引退前のシーズンもケガのためにほとんどの時間をリハビリに費やしていたことから、公式試合からは約2シーズンも遠ざかっている。また、競技とコーチのどちらかを優先する時期が出てくることから、今後は難しい決断の連続になるだろう。それでも藤岡は「自分はやってみたい」と決意した。チャレンジ精神で前に進もうとしている藤岡は今、ワクワクするプレーを見せてくれたときと同じ笑顔をしている。

 外の世界を見たからこそ決意したデュアルキャリアの挑戦は、藤岡自身がロールモデルになることで、これからの女子バスケ選手の視野や選択肢を広げてくれるだろうし、そうなることを期待したい。27歳。競技者として、指導者として、藤岡麻菜美のバスケットボール人生はまだまだ続く。

文・写真/小永吉陽子

Basketball Writer

「月刊バスケットボール」「HOOP」のバスケ専門誌編集部を経てフリーのスポーツライターに。ここではバスケの現場で起きていることやバスケに携わる人々を丁寧に綴る場とし、興味を持っているアジアバスケのレポートも発表したい。国内では旧姓で活動、FIBA国際大会ではパスポート名「YOKO TAKEDA」で活動。

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