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五輪サッカーは必要か?東京五輪後、久保、ペドリなど故障者が多発

小宮良之スポーツライター・小説家
東京五輪のペドリと久保(写真:ロイター/アフロ)

 ワールドカップでも、チャンピオンズリーグでも、あるいはどんなカップ戦であっても、大会があってサッカー選手たちの躍動を見られるのを、人は貪るように楽しみにしてしまう。選手自身も、プレーすることを基本的に楽しむ。試合の魅力は絶大だ。

 しかしながら、立ち止まって考えるべきタイミングかもしれない。

 今やサッカーは世界中で大会が増え、試合数が多すぎる。

肥大化したサッカーマーケット

 かつて欧州チャンピオンズカップと呼ばれ、欧州各国の優勝チームだけが参加した大会は、今や欧州チャンピオンズリーグとして大幅に拡大している(16チームのトーナメントから32チームのグループステージ+トーナメントで、予選も含めると80チーム近くが参加)。UEFAランキング上位の国は4チーム、最多で5チームが出場。グループステージにたどり着くまで、予選がプレーオフも含めて4回戦もある。予選に出場するための予備予選まであるのだ。

 一方で有力クラブだけで結託し、「UEFAスーパーリーグ」などという構想まで飛び出す始末。どんなお題目を並べても、「スター選手同士の試合が金になる」という魂胆が見え見えだ。

 UEFAカップ、カップウィナーズカップをひとつにしたヨーロッパリーグも、結果的に規模が大きくなっている。また、欧州南米の王者が一発勝負で対決していたインターコンチネンタルカップは、大陸の王者同士が争うクラブワールドカップとして大会化した。市場拡大のためで、実体は欧州、南米以外が王者になることはないのだが…。

 FIFA主催の代表レベルでも、例えばワールドカップは出場国がどんどん増えて、試合数も同時に増えた(16か国から32か国と倍増)。UEFA主催のEUROも、今や複数の国での共催になっている。また、ネーションズリーグと呼ばれる欧州国同士の大会まで新たに生まれた。

 試合数が増大する。結果、一つ一つの価値は下がる。さもなければ、ひずみが出る。

 2021年、極めつけは東京五輪だった。

五輪にサッカーは必要なのか?

 五輪サッカーは、U-23で最大3人のオーバーエイジを使える大会である。

 ただ、その存在意義が分からない。サッカーにおける世界最高峰の大会はワールドカップだ。

「ワールドカップは他の競技もあるが、五輪でもやっている」

 そんな声もあるかもしれないが、ワールドカップと言っていいのは、サッカーのワールドカップだけ。規模も伝統も飛び抜けた大会である。

 にもかかわらず、五輪サッカーは必要か?

 その疑問は消えない。

 ワールドカップと差別化するために、23歳以下の頂上決戦としたが、無理矢理だろう。23歳は、もはや若手ではない。欧州や南米ではたいていクラブで主力になっているだけに(FIFA管轄ではない大会だけに)クラブが拒否できる状況で、事実フランスなどは2軍以下とも言えるメンバー構成だった。若手年代最高峰は、FIFAはUー20ワールドカップ、UEFAはUー21欧州選手権だ。

 五輪サッカーはどこにも属さない。日本や限られた国しか、重きを置いていない戦いと言える。

 なぜなら、プロで活動する選手にとって、五輪は体を休めるべき大事なオフシーズンに開催される(ワールドカップやEUROと管轄が違うので、リーグの日程変更は考慮されない)。シーズン後は体を休めて、プレシーズンから徐々にリズムを上げるもので、そのサイクルは昔から続けられてきた。つまり、それなりに理由があるわけで、それを無視したら報いを受ける。

 案の定、五輪は暗い影を落とすことになった。お国事情で出場した有力選手に、故障者が続出したのだ。

ペドリは五輪強行出場でケガに見舞われ…

 2020ー21シーズン、ペドリ(FCバルセロナ)は18才で代表、クラブで60試合近くを戦っていたにもかかわらず、スペイン五輪代表にまで選出された。当然、反対する声も上がったが…。

「五輪は一生に一度。自分はサッカーボールを蹴るのが好きだし、試合が多いことは何の問題もないよ」

 ペドリ自身、そう語って五輪出場を強行した。

 しかし、その代償は大きかった。消耗は歴然。大会後、所属するバルサに合流してから、小さな筋肉系のトラブルを起こしていた。そして昨年9月、チャンピオンズリーグ初戦のバイエルン・ミュンヘン戦で左足大腿四頭筋のケガに見舞われてしまった。

「理学療法士と、改めて体作りから」

 そのような決定が下されるほど、体はひどい状況で、年内はピッチに立つことができなかった。1年間で許容できるプレー時間を完全に超えていたのだ。

 スペイン五輪代表では、こうした例は枚挙にいとまがない。EUROにも出たミケル・オジャルサバル(レアル・ソシエダ)はチームのエースにもかかわらず、完全に出遅れてしまった。同じくダニ・オルモ(RBライプツィヒ)に至っては、ケガと復帰を繰り返し、満足に試合に出られていない。五輪登録選手で、大会後の2,3カ月で故障者リストに一度も入っていない選手のほうが少ないのが現状だ。

久保も犠牲者

 実は日本サッカー五輪代表選手も同じ現象が起こっている。

 主力としてチームをけん引した久保建英もケガに見舞われ、マジョルカでは2カ月も戦列を離れることになった。堂安律もケガで、所属クラブでは出遅れた。獅子奮迅だった遠藤航も、ブンデスリーガ、代表と連戦で蓄積した疲労からか、プレーレベルを落としている。また、マルセイユから戻ってきて代表と五輪を休みなく戦った酒井宏樹も、一時は静養を取るほどだった。

 サッカー選手はボールを蹴ることへの意欲を見せ、それを満たすことで新たなる欲求に駆り立てられる。試合を重ねることでうまくなるし、真剣勝負の場を心から求めている。しかし肉体や精神の容量を超えた試合数は、選手本人を何らかの形で蝕む。プレー水準を低下させるか、あるいはケガで無理やりにプレー停止となるか。

「選手にはしっかりとした休息が必要」

 マンチェスター・シティのジョゼップ・グアルディオラ監督はそう言って、フェラン・トーレスやロドリなどの五輪帯同を許さなかった。正しい判断だったと言えるだろう。選手は参加したい希望があるし、周りも「行かせてやれば」という風潮になりがちだが、クラブには招集を拒否する権利があり、”悪者になって”それを行使した。

 サッカー選手という有限の財産を守るには、「休養」が不可欠である。それは、「試合に出ない、出さない」という選択かもしれない。選手自身にその判断を求めるのは酷だ。

 大会を運営する人間がプレーヤーズファーストを忘れず、彼らを守る判断も必要だろう。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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