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松田直樹がこの世を去って9年。鶏のささみの記憶

小宮良之スポーツライター・小説家
横浜F・マリノス時代の松田直樹(写真:アフロスポーツ)

 コロナ禍によって外出は少なくなり、いつしかスーパーマーケットまでもが、貴重な気晴らしの場所になった。肉売り場で、鶏肉のささみを物色する。佐賀の「ふもと赤鶏」のパックを手にしたときだ。

<マツも鶏肉のささみ好きだったなぁ>

 筆者はぼんやりと思った。彼と鶏料理を食べた光景がよみがえる。人の記憶の糸は、不思議な形でつながっているものだ。

 2011年8月4日、この世を去った松田直樹を悼む。

世界と戦うための肉体

 筆者は松田直樹に密着取材をしていた時代、よく二人で横浜に出かけて食事をした。日韓ワールドカップや横浜F・マリノスでの連覇など日本を代表したディフェンダーとは、決まってカレーか、鶏料理だった。その後、カフェに行ってフルーツジュースを飲みながら、3時間以上にわたってサッカーを語り尽くす。それがパターンだった。

 なかでも、松田は鶏肉のささみに強いこだわりを持っていた。低脂肪高たんぱくのささみは、そもそも多くのアスリートに好まれる。

「(2002年)日韓ワールドカップの頃の筋トレは、常に限界まで体を苛めていたからね。いつも、足がつりそうな状態だった。でも限界までやったからこそ、筋肉もついたと思う」

 松田はそう話していたが、真剣に体を作って、世界と対峙した男ならではの極限を体験したのだろう。必然的に、料理にも気を配るようになった。食事はパワーとスピードの源だったのだ。

 Jリーグでの松田は身体能力に恵まれている方だったが、日本代表として世界で戦うことで、十分ではないと認識した。怪物のようなストライカーたちと互角に戦うには、ディフェンスとして肉体を鍛えるしかなかった。しかし単に筋肉をつけるだけでは、スピードが失われる。スピードを失わない、質の良い筋肉をつける必要があった。

「俊(中村俊輔)、能活(川口能活)、ボンバー(中澤佑二)は世界を知ってるよね。ずっと一緒に戦ってきたと思っている。あいつらは俺が認めた選手だけど、話なんかしなくても、サッカー好きだな、というのを感じるんだよ。練習から妥協しないで戦えている。日本代表として恥ずかしくない選手だ」

 仲間を自慢するように言う時の松田の顔は、美しくすらあった。

 亡くなってから9年、記憶は美化されているのか。

松本で会う約束

 2011年シーズン、松田が新天地として求めた松本に、筆者はなかなか行けずにいた。

「松本に必ず行く」

 そう約束していたし、物語は終わっていないはずだった。しかし取材のプライオリティとして、日本代表、J1、J2があって、当時連載していた「アンチ・ドロップアウト」では一人の選手にフォーカスして密着することで、時間が取れなかった。スペインを含めたヨーロッパ取材もフィールドワークで、JFLの取材をするには日程を無理にこじ開ける必要があったのだ。

 ようやく時間が取れて、まずは7月末のFC町田ゼルビア対松本戦に顔を出そうと、連絡を入れた。

「コミヤさん、ざんねーん、出場停止。松本に来てよ」

 松田からはすぐに返信が来た。筆者は軽い気持ちで「松本に行くよ」と返信したはずだ。

 筆者は、町田戦に行くのを取りやめ、松本取材の日程を探ったが、彼に会うことはできなかった。町田戦の翌週、松田は練習中に倒れ、病院に搬送された。数日格闘した後、帰らぬ人になった。

 人生の出会いと別れは、たぶん、そのように紙一重なのだろう。

人の心をつかめる男

 松田は人の好き嫌いがあったが、嫌いになったら、眼中に入れないだけで、悪いことは言わなかった。そして気に入った人には、面と向かって何でも言う。そういう男っぽい男だった。

「俺のことは何でも書いていいよ。プライベートのことまで全部話しちゃっているけど、信頼しているから。それも物語になるなら、書いちゃってよ。原稿チェックとか、そんなのもいらない。楽しみにしている」

 そう言ってハンドルを握る横顔が、今も目に焼き付いている。人間、そこまで信頼されると少しも裏切れない。最高の作品を作る、と意気込む。何よりも叱咤になった。

 その点、松田という男は本能的に人との接し方を知っていたのだろう。

ガツガツ食べても品がある

「ここの鶏、マジうまいからさ!」

 彼はそう言って、誇らしげに勧めた。親子丼をがつがつと書き込むように食べる姿に、“豪快なのに品があるな”と感心したのを覚えている。

 鶏のささみに対する嗜好は、高校時代からだという。当時は、育ち盛り。お母さんに親子丼を作ってもらい、そこにニンニクをトッピングとして混ぜて、体力増強に努めていた。

「あれは、いくらでも食えたよ。まあ、洒落たもんじゃなくて、家の料理だけどね」

 松田は嬉しそうに洩らしていた。褒める一方で、下げるような話し方をするとき、彼が本当に、心からそれを大事にしている証拠だった。母親に作ってもらった親子丼は、彼のベースになっていて、大人になってもそれを守り続けていたのだろう。とても不器用で、愛らしい。

 筆者も鶏肉のささみが好きだ。人と会うのが仕事の特性上、見苦しい体形になりたくない。アスリートとご飯に行くのに、みっともない恰好はNGだ。

 買い物かごに入れたささみは、パスタでキノコと小松菜を入れ、ペペロンチーノにでもすることにした。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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