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ジョアン・フェリックスは世界最高の選手になれるか?ルイ・コスタのサウダージ

小宮良之スポーツライター・小説家
”ルイ・コスタ二世”とも言われるジョアン・フェリックス(写真:ムツ・カワモリ/アフロ)

 2019-20シーズン、ポルトガル代表FW、ジョアン・フェリックス(19歳)のプレーが開幕から脚光を浴びている。開幕のヘタフェ戦、後半54分に自陣からボールを持ちあがり、4人を置き去りにPKを誘発したシーンは圧巻だった。ベンフィカからアトレティコ・マドリーへ、1億2600万ユーロ(約150億円)で移籍。リオネル・メッシ、クリスティアーノ・ロナウドが君臨した後の「新世界」に君臨するべきスターだ。

 スキルやビジョンは出色。相手を翻弄するようにボールを動かし、逆を取れる。一瞬の判断に優れ、電撃のようなパスやコントロールで、劇的に局面を変えられる。

<ルイ・コスタ二世>

 端麗な風貌も含め、優雅なプレーが90年代から2000年代に活躍した偉大な選手と比較される。

 しかし特記すべきは、その得点感覚だろう。巧みな動きでボールを呼び込み、鋭くゴールネットを揺らせる。アクロバティックなボレーも得意とし、ボクシングでカウンターパンチを入れるように、来たボールに合わせる動きが特別に優れている。昨シーズンもベンフィカのエースとして、18歳ながら20得点を記録した(カップ戦を含む)。紛うことなきゴールゲッターの一人で、その点、ルイ・コスタを大きく上回る。

 ジョアン・フェリックスはかつての英雄以上に、その名を世界に轟かせるのか。

ルイ・コスタの原点取材で見た風景

 10年ほど昔のことだ。ポルトガル、リスボンの郊外にあるダマイアという町を、筆者は訪れた。当時、ポルトガルサッカーを背負っていたファンタジスタ、ルイ・コスタの原点取材だった。

 ルイ・コスタがボールを夢中で蹴っていたというフットサル場を訪ねた。当時所属していたベンフィカからはフットサルを禁止されていたが(ケガする場合がある理由)、近所の友人とプレーするのが楽しく、内緒で大会に出場。見事、優勝をかっさらっていたという。コンビを組んでいた友人は、のちにポルトガル代表のフットサル選手になった。

 また、ルイ・コスタは細身なのに、周囲が目を見張る大食漢だったという。一度のランチで鶏一匹の丸焼きを平らげてしまい、パンは12個も食べた。腹ごしらえをすると、またボールを蹴る。まるで、人気アニメのキャラクターのようだ。

 自国ポルトガルで開催された1991年のワールドユース(現在のU―20W杯)で優勝した後には、ご褒美に高級な日本車を購入した。しかし自宅から出た途端、次のカーブで車体をぶつけてしまった。以来、実家周辺では運転をしないという。

 世界的なMFの人となりを知るエピソードが満載で、実に楽しかった。

 しかし、スター選手の光と影を知らしめられた取材がある。

「“ルイ・コスタになれなかった男“に会ってみるか?」

 取材に協力してくれていたポルトガルの大手スポーツ紙「A BOLA」の記者が言った。断る理由がない。リスボン郊外にあるサンタ・イリアという町に車で移動した。

 “ルイ・コスタになれなかった男”パウロ・ピラールと夕食を共にすることになった。

ルイ・コスタになれなかった男

 ピラールはポルトガル国内で期待された選手だった。ルイ・コスタが優勝したワールドユース、大会開幕2か月前まで主力としてプレーしていた。ルイ・コスタと同じポジションだが、レギュラーはピラールのほうだった。スポルティング・リスボンでルイス・フィーゴとチームメイトで、二人のコンビがポルトガルの動力になっていたという。

 しかしピラールは大会直前、左膝前十字靭帯を怪我した。治療とリハビリで2年を費やし、当然ながらワールドユースは棒に振っている。運命は大きく変わってしまった。

―悔しくはなかったですが?

 したたかにワインを飲み続けるピラールに、筆者は愚問を投げた。

「そりゃあ、まあね。大会決勝はリスボンのダ・ルス(スタジアム)で、10万人の観客が埋まったから。それは壮観で、あんな光景は見たことがなかった。けどね、俺は嬉しかったよ。決勝でブラジルに勝った後の会見、ルイ(コスタ)はPK戦で勝利をつかむ一撃を決めていたんだが、優勝とゴールを俺に捧げてくれた。あいつは俺の気持ちをわかってくれていたのさ。もしかしたら、そこにいたのは自分ではなく、俺だったかもしれないって」

 ピラールは誇るような悲しむような、何とも言えない表情を浮かべた。

交差する運命

 怪我をした後、ピラールのプレーはさっぱりだったという。治療やリハビリに問題があったのか、キレを失っていた。名門スポルティングの有望選手として期限付き移籍を繰り返すも、1部でも、2部でも、そして3部でも、どのクラブでも思っていたような結果を残せなかった。そして二十代半ば、スパイクを脱いだ。

 一方、ルイ・コスタは目もくらむような成功を成し遂げている。ベンフィカで国内リーグ優勝を果たした後、セリエA、フィオレンティーナで旋風を起こし、ACミランではセリエA、UEFAチャンピオンズリーグ優勝など数々のタイトルを勝ち取った。ポルトガル代表としても、日韓ワールドカップだけでなく、3度の欧州選手権に出場し、2004年大会は自国開催で決勝に進出した。

 ピラールとルイ・コスタの差は何だったのか――。路面電車がガタゴトと走るリスボンという町は、サウダージの感傷を連れてくる。しかし、時代は容赦なく動いていた。ルイ・コスタが歓喜し、ピラールが失意に暮れたダ・ルスは取り壊され、すでに新設されていたのだ。

 その差を考えても、答えは出ない。

<運命>

 そう括るべきだろうか。ルイ・コスタはたぐいまれな運を持っていた。しかし、与えられても生かせない選手もいる。運をつかむだけの才能があって、気まぐれに才能が試される瞬間が巡ってくるのかもしれない。

ジョアン・フェリックスの運命

「ロナウドは5度のバロンドール(世界最優秀選手賞)を受賞している。彼のようになりたい、と思わない選手はいないだろう。僕も彼はあこがれだよ」

 ジョアン・フェリックスは言う。ロナウドは、ルイ・コスタにあこがれていたという。世代はつながるのか。

「いいプレーをした後、称賛されたけど、もっといいプレーを求められる。悪いプレーをしたら、今度は批判される。ずっといいプレーをし続ける、そのために練習に打ち込むしかないよ」

 はたして、ジョアン・フェリックスは運に恵まれるだけの才能を持ち、才能を生かすだけの運を持っているか。

 アトレティコの指揮官ディエゴ・シメオネが、ジョアン・フェリックスについてこう語っている。

「彼は学び取ろうとする意欲が、とにかく素晴らしい。持っている才能は素晴らしいし、適応も早く、どのポジションでも自分のプレーを見せられる。プレービジョンが群を抜いているおかげだろう。しかし、大事なのはやはり意欲。それが彼の進んでいく道の過程で助けになるはずだ」 

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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