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侠気の男グリーズマンは「メッシ・ロナウド時代」を突き破れるか?

小宮良之スポーツライター・小説家
推進力のあるドリブルでDFを抜くグリーズマン(写真:ロイター/アフロ)

晩夏、レアル・ソシエダの練習場「スビエタ」。トレーニングを終えた彼は、暑さを凌ぐように上半身裸のままアイスをなめていた。

「日本ってどんな国なの?」

彼はアイスを片手に、唐突に聞いてきた。簡潔に答えると、納得したのか、納得しなかったのか、聞くだけ聞いて、笑顔を残してロッカールームに戻っていった。好奇心は旺盛だが、マイペースなのだろう。しかしその憎めない感じが、彼の魅力の一つかも知れない。

あれから5,6年が経過し、彼は世界最高のフットボーラーの座が手に手が届く場所にいる。

フランス代表FWアントワーヌ・グリーズマンは、「メッシ・ロナウド時代」を突き破れるのか?

見向きもされなかった幼少期

少年時代のグリーズマンは、フランス国内のプロクラブの下部組織で門前払いされている。地元の小さなクラブに所属しながら、何十回もテストに参加したが、結果はいつも同じだった。不合格。チームの練習着すら与えられず、適当なジャマイカ代表のユニフォームを渡される屈辱も受けた。

「チビでやせっぽっち。何をやらせても無理。どう見ても、プロとしては育たない」

そう烙印を押されていた。

フランスリーグはアフリカ系選手が中心で、屈強かつスピードのあるプレーが主流。ごつごつとしたコンタクトが多く、小さく技巧的な選手は育成からプライオリティにならない(余談だが、そのスカウティングの傾向はヴァイッド・ハリルホジッチも持っている)。

転機は、13歳の時だった。グリーズマン少年は、パリのトーナメントに参加した。例の如く、フランス国内のクラブからは見向きもされなかったが、スペインの古豪レアル・ソシエダのスカウト、エリック・オルアトに見いだされたのだ。

もっとも、グリーズマンは言葉の問題のあるスペインになじめず、頭角を現すのは時間がかかった。心配されたように体格的な劣勢もあって、ユースまでは目立った功績を挙げていない。フィジカルコンタクトが多い試合では、短所が目立った。もし潮目が悪かったら、そのまま沈んでいた可能性は十分にあった。

しかし、2009―10シーズンにどうにかレアル・ソシエダBに昇格していたグリーズマンは、トップチームのけが人が多数出たことで急遽、プレシーズンに参加することになる。

「正直、アントワーヌはBチームでも微妙な状況だった。でも、トップは左サイドの左利きを求めていてね。けが人が多く出たから、アントワーヌにやらせてみたんだが、おやっと思ったよ。技術は申し分なく、サイドバックと連係できるし、労も惜しまない。そして、ゴールも決めたんだ」

そう振り返っているのは、当時の監督であるマルティン・ラサルテだ。ラサルテは、グリーズマンを抜擢、1シーズンを戦わせた。技巧に優れた選手が多く、ボールプレー主体だっただけに、肉体的劣性は出なかった。そして試合を重ねる中で、筋力的にも逞しくなっていったのである。

ゴールセンスはいかに磨かれたか

グリーズマンは、チームを2部から1部に引き上げるのに一役買った。

彼にとって、リーガエスパニョーラを代表する古豪クラブがたまたま2部にいたことが僥倖だったと言える。降格したレアル・ソシエダは2部の中では技術戦術に秀でた選手の集団で、フィジカル勝負をせずに済んだ。また、1部クラブだったら経験豊かな外国人選手と競争関係になっていたかも知れないし、相手の力が上過ぎて打ちひしがれていたかも知れない。

「アントワーヌは、とにかく練習熱心だった」とラサルテ監督は後述している。

「いつも居残りでFKの練習。それに、クロスに合わせるシュートも熱心で。クラウディオ・ブラーボ(現マンチェスター・シティ)にGKを頼んで、カルロス・ブエノにはヘディングのコツをとことん聞いていた。どうやれば身体を入れたら、予備動作で勝てるのか。ニアなら軌道を読めたら、最初にコンタクトすれば身体が小さくても勝てる、とか。アントワーヌは勇敢で愛嬌があって、チームの天使のような存在だった」

ウルグアイ時代にルイス・スアレスをプロデビューさせたラサルテは、グリーズマンのゴールゲッターとしての異能に気付いたのだろう。

グリーズマンはゴールを重ねることで、着実に成長していった。2列目の選手だが、どこのスポットでボールを受け、ネットに叩き込むか、のイメージを描けているし、推敲するテクニックも持っている。左足のリズムは独特だが、それだけでなく右足や頭でもゴールを叩き込めた。

彼を導いた侠気

もちろん、グリーズマンは挫折しかけたこともあった。プロ2,3年目で大金が入り、有名人になって女の子に囲まれ、調子に乗っている。

しかし、ブラーボが先輩として、「プロフットボーラーはどう生きるべきか」をまるで父親のように厳しく優しく諭したという。

おかげで、グリーズマンは一人の男として成長している。そのフットボールスタイルは「ラプラタ川」(アルゼンチンとウルグアイの間を流れる川)と言われるほどに。南米の選手のライフスタイルの影響が強いのだ。

例えば、マテ茶を好む点はその最たるものだろう。伝統的なマテはひょうたん型の陽気に、ボンビージャと言われるストローを差し込み、回し飲みする。ひととき、お互いの話を語り合い、思いを一つにする。コミュニケーション力を高め、分け隔てなく人に接し、空間のいいものを取り込む。グリーズマンはそのマテをブエノ、ブラーボだけでなく、アトレティコでゴディン、アウグスト、ヒメネスらとも楽しんでいる。

そこで、侠気が培われた。「仲間のために、己のすべての力を使い切る。それによって、仲間もそれを返してくれる」。それは男気とも言い換えられる。

「(補強禁止処分にチームがあるのに)もし移籍していたら、卑怯者だった。今はかつてないほど、一つになるべきときだ」

先日、グリーズマンはそう語ってアトレティコに残留した。マンチェスター・ユナイテッドなどプレミアリーグのクラブへの移籍を念頭に置いていたが、それを撤回。男気を見せた。

小さく、痩せて細身だった彼は、コンビネーションの中で自分の力を発揮する才能を持っていた。それを糧に、プロとしての成功をつかんだ。「一人ではサッカーは勝てない」。それを肌で知っている。

もっとも、勝負事は甘くない。

グリーズマンは、未だにリーガエスパニョーラには最後の最後で手が届いていない。チャンピオンズリーグは2015―16シーズンは決勝で、2016―17シーズンは準決勝で、同じくレアル・マドリーに敗れている。EURO2016もフランス代表として決勝に進んだものの、クリスティアーノ・ロナウド擁するポルトガルに涙を呑んだ。チームタイトルは2部優勝、スペインスーパーカップなど限られている。

リーダーとしてチームを頂点に立たせたとき――。グリーズマンは覇権を握り、王位に就くだろう。そのとき、「メッシ・ロナウド時代」に風穴を開ける。

「僕はチームの一員としてすべてを出し切る。それだけだよ」

そう語る侠気の男は新シーズン、果敢に挑む。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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