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高校サッカー部の体罰が発覚。シゴキでチームは強くなる?

小宮良之スポーツライター・小説家
指導者と選手の関係が問われる。(写真:アフロ)

埼玉県の私立高校でサッカー部の練習中、30歳代男性コーチが男子部員の顔などをたたく体罰を与えていたことが分かった。その様子はTwitterで動画として投稿され、発覚。同校はこれを受けて翌日の6月13日、コーチを解雇している。

同校はサッカー強豪校。渦中にあるコーチは元プロ選手で、外部から指導を委託されていたという。「熱心な指導者」という声も漏れてくる。

しかし、動画のイメージは強烈だ。

「体罰は許されない」

処分は、極めて妥当と言えるだろう。

では、許されないにもかかわらず、いまだに体罰を撲滅できないのはなぜか?

シゴキが日常的だった時代

その昔、"運動部"の練習は合理性を欠いていた。90年代までは多くの部活で、ビンタやゲンコツが横行。当時はいわゆる"鉄拳"を受けていない生徒のほうが少ないかも知れない。

「監督の機嫌次第でグラウンドを何周も走らされることもあったし、もしチームが恥ずかしい負け方をしようものなら、タッチラインに選手を並べて片っ端からビンタを食らった」

30代~40代でJリーグでも活躍したサッカー選手たちは、似たような証言をしている。

多くの指導者は理不尽な鬼だった。また、先輩の後輩に対するしごきはストレスのはけ口で、後輩はそれに耐えることが競技を続ける条件。夜中に板の間に正座をさせられ、膝の上に雑誌を積み上げられる経験のあるサッカー部員も少なくないだろう。

しかし、現代ではしごきの類は教育上許されない。竹刀を持った教師はもはや化石同然。あからさまに乱暴な指導者は、学校教育の現場から消えた。

その一方で、件の選手たちはこうも続ける。

「シゴキは悪い。でも不思議だけど、不条理な指導現場がすべてマイナスに作用していたとは思えない」

その意見は少なくないのが現状がある。

人によって、シゴキでめげない心が作られることは大いにあり得る。肉体を鍛えるときは均質量を上げていくわけだが、心を鍛えるのも同じ作業。しごかれることで心の筋肉は鍛えられる。

「あんなひどいしごきを受けてもやってきた俺たちが負けるはずはない」と心を奮い立たせる。惰性で練習をしてきただけの選手たちと対戦したとき、力の差を見せつけるし、自信が身に付いた可能性はある。

ただし、それは歪な鍛え方と断言できる。

不必要な負荷がかけられている状態で、“質のいい心の筋肉”にはなっていない。“やらされている“という感覚では、肉体は思うように動かなくなってしまう。心も合理的に効率的に鍛えないと、真の強さは手に入らない。心を鍛えることは、考える力を手に入れることとほぼ同義である。

「結局、当時の指導の多くは思い通りにならない苛立ちを、選手にぶつけていただけだったと思う。やっぱり、それを正当化するべきではない。今は選手一人一人が考えられるようにならないと」

当時、シゴキを受けてきた現代の指導者の大半はそう総括する。

にも関わらず、こうした問題が絶えない理由はどこにあるのか?

「分かりましたか?」に対する「はい」の意味

現代になって、日本でも体育や運動をスポーツへと進化発展させつつある。心身の鍛練、だけでなく、身体を動かすことを楽しみ、人間関係を学ぶ、そうした欧米の考え方を採り入れてきた。同時に教育現場の変化も大きいだろう。今は学校で叱ることも難しい状況。その環境で、体罰やシゴキなど言語道断ということだろう。

しかし、欧米とはベースが違っている。

欧米では個人主義が根付いている。例えば個人主義とは個人が目の前の相手に対しても真っ向から持論を展開し、相手の意見も直接聞き止め、その対話によって結論に近づける、とも説明できるだろうか。ネットなど匿名での行為ではない。複数の人間がいる場でも、イエスとノーをはっきり言える土壌があるのだ。

あるスペイン人コーチは日本のサッカー少年たちと接し、驚きを隠せなかったという。例えばプレーの説明をしたとき、「分かりましたか?」と訊ねると、「はい!」と気持ちの良い返事が返ってきた。ところが実際にやらせてみると、何も分かっていない。プレー能力の問題かと思ったが、そうではなかった。

スペイン人は「はい」と言うとき、それを理解した状況になっている(たとえ解釈が間違えていたとしても)。論理的に腑に落ちなかった場合、とことん質問をぶつけてくるからだ。なぜそうなるのか、指導者は問いに対する答えを持ち、説明し、対話によって、関係を深めるのである。

一方、日本人は「はい」という返事をする。分かっていようと、分かっていまいと、とりあえず「はい」と返す習慣がある。多くの「はい」は分かった合図ではなく、条件反射に近い。また、年上の人に「分からない」「それは違う」と異論を挟めない文化もあり、多くのチームメイトがいる場では「分からないというのが恥ずかしい」「邪魔になる」とこそこそと確認し合う傾向があるのだ。

「日本人は素直。でも、本当に分かってるか、掘り下げる必要がある。その点、育成は難しさがあるかも知れない」

スペイン人コーチは語っていた。たしかに、スペイン人の子供を指導する現場のほうが、その場はやたらと面倒が多い。しかし理解した状態でスタートを切れるので、一端、始まったら円滑に行く場合が多い。一方で日本人の子供たちはすぐにスタートできるものの、分かっていない状態もしばしばだ。

こうしたズレを根気よく修正できない――。そのときに、多くの体罰が待っているのではないか。「なぜ、あれほど言ったのに分からない!返事はしたはずなのに」。指導者の頭に血が上ってしまう。

「どの国でも、育成は大変な仕事で、なかなか正解がない。周りは適当なことを言うけどね。モンスターペアレンツもいるし、反発することやひがむことだけに囚われてしまう選手もいる。本当に忍耐の仕事だよ」

スペイン人コーチは肩を竦めていたが、人を育てるというのは簡単ではない。頭が下がる仕事である。尊敬されるべき立場だろう。

それだけに、教える側は指導に対する熱さを忍耐でコントロールできるか、が問われるのだ。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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