「憎悪」はバルサの力の源泉。CL決勝を前に変わらぬ流儀。フィーゴは今も許されざる者。

バルサ時代、キャプテンマークを巻くフィーゴ。(写真:アフロ)

MORBO

それはスペイン語で「疾患」という意味だが、「不健全なモノが放つ魅力」とも訳される。病的、偏執的な魅力といったところか。実はそれこそが、サッカー世界最高峰のリーガエスパニョーラの力の源泉となっている。

6月6日の欧州チャンピオンズリーグ決勝でのイベント行事を巡っても、そのらしさは表出していた。FCバルセロナ対ユベントスというスペインとイタリアの名門クラブ同士の対決になったことで、前座としてかつての名選手が集った世界選抜とバルサ・ユーベ混合OB選抜という「レジェンドマッチ」が行われることになった。UEFAはバルサの選手として、当然のようにルイス・フィーゴをピックアップ。参加選手の一覧にも組み入れた。

ところが、数時間後にはフィーゴの名前は消されることになった。

即日にバルサ側が抗議していたのだ。

フィーゴは2000年に、宿敵のレアル・マドリーへ移籍している。当時、ペセテーロ(守銭奴)、トライドール(裏切り者)と怒りを買った。カンプ・ノウにマドリーの白いユニフォームを着て戻ったとき、110デシベル以上の騒音が耳をつんざいた。彼がバルセロナで経営していた日本料理店の窓には石などが投げつけられ(事件そのもの被害はたいしたことはなかったが)、不人気で閉店することになった。

フィーゴの言い分は、「プロ選手として当然の判断をしたまで」だった。年俸アップ交渉が不調に終わったバルサよりも、6100万ユーロ(当時では移籍金史上最高額の100億ペセタ)もの移籍金を支払い、高額な年俸を提示してきたマドリーに移籍したのは当然の決断。悪いのは自分ではなく、自分の能力を評価しなかったクラブだ、という心境だった。

しかし、バルサを取り巻く人間にとっては、金額次第でマドリーに移籍するなどは言語道断である。MORBOに罹った人々は、フィーゴを恨むことになった。恨む衝動を抑えられない。フィーゴに復讐心を抱くと、愉悦を感じるようになっていった。それは罵ることであり、絶望を願うことであり、フィーゴのいるマドリーを叩き潰すことであったりした。彼らの怨嗟はどす黒いものだが、それを愉しんですらいるから厄介である。

そもそもの話、バルサ、マドリーという両クラブを支える人々はお互いが憎しみ合い、そこで生じたMORBOによって競争力を高めてきたという側面を持っている。

拙著「エル・クラシコ」(河出書房)では、こんな逸話を書き記した。

長年バルサのソシオ(チーム会員)だった老父が病に伏せり、いよいよ厳しい様態になったとき、息子たちを集めると嗄れた声で言った。

「遺産はおまえたちが均等に分けろ。ただし、1000ユーロは俺をマドリーのソシオにするために使え」

息子たちは一同、肺腑を衝かれる思いだった。死期の近づいた父はいよいよ気が触れたのだ、と悲しんだ。

「父さん、おかしな話をしないでくれよ。僕たち一家は、生まれついてのクレじゃないか!」

一人の息子が声を裏返し、父を正気に戻そうと必死になった。

すると、父は毒気のある笑みを口の端に浮かべた。

「誰に物を言っておる。当たり前だろうが」

息子たちはいよいよ訝しんだ。頭の中で物事が整理できず、意味不明なことを言っているのだと、神様に祈りたい気持ちになった。

「だったら、変な冗談はよしてくれ」

息子たちが一斉に懇願するような目をすると、息も苦しいはずの父が、にやにやしながら続けた。

「俺は本気だぞ。これでクレが死ぬことはないと思わんか? メレンゲのクソ親父がくたばるだけだ。おまえらも大いに喜べ」

息子たちは雷に打たれたように一斉に病室を出て、父をマドリーのソシオ登録をするために駆け出していった。息を引き取るために手続きを終えなければならない。

「メレンゲを一人殺せるぞ!」

息子たちの双眸は、何かに取り憑かれたように血走っていた―。

嘘のような本当の逸話である。バルサとマドリーが戦うクラシコ(伝統の一戦)において、友情や愛情という人間らしい温もりは一切感じられない。ただひたすら相手を認めず、生きるか死ぬかで争う―。その精神はまさにMORBOだ。まったくもって、イカれている。そんなイカれた人々が、バルサ、マドリー以外でも各都市、各クラブにいて、憤怒や怨恨が渦巻く堆く積み上げられているのだ。

チャンピオンズリーグ決勝の前座試合であっても、バルサの人々は裏切り者を許さない。おそらくは100年経っても、恨みが晴れることはないだろう。なんたる不健全だろうか。そこには、人間の偏執さが匂う。それに気分を悪くする人がいても、不思議ではない。なぜなら、そこにいる人々は疾患に罹っているのだから。