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子どもは犯罪者から逃げられない? 「襲われたら」よりも「襲われない方法」を考えよう

小宮信夫立正大学教授(犯罪学)/社会学博士
ミニ動物「コミリス」

Prepare For The Worst(最悪に備えよ)

「危機管理」と呼ばれるものには、危機が起こる前(平時)の「リスク・マネジメント」と、危機が起こった後(有事)の「クライシス・マネジメント」の2種類がある。

両者は安全確保における車の両輪だが、その決定的な違いは、リスク・マネジメントは被害をゼロにできるが、クライシス・マネジメントは被害をゼロには戻せないということだ。そのため、海外では、リスク・マネジメントにプライオリティが置かれている。

リスク・マネジメントの基本は、「最善を望み、最悪に備えよ」である。分かりやすく言えば、「悲観的に準備し、楽観的に行動せよ」だ。

映画の黒澤明監督は、「悪魔のように細心に、天使のように大胆に」と語っているが、同じスタンスの表現である。

中国最古の医学書にも、「名医は既病を治すのではなく未病を治す」と書かれている。今どきの言葉を使えば「予防に勝る治療なし」だが、これもリスク・マネジメントの発想だ。

しかし、日本で行われている子どもの防犯対策では、こうしたリスク・マネジメント(危険回避)よりも、クライシス・マネジメント(危機対応)が重視されている。海外とは真逆だ。

例えば、「防犯ブザーを鳴らせ」「大声で助けを呼べ」「走って逃げろ」「いかのおすしの合言葉を忘れるな」という対策はいずれも、クライシス・マネジメントである。とりわけ、前三者は襲われた後の対応であり、犯罪はすでに始まっている。つまり、正確には防犯(予防)とは呼べない対策なのだ。

同じ思考枠組みを交通安全対策に当てはめるなら、「車にぶつかったときは柔道の受け身をとれ」ということになってしまう。

クライシス・マネジメントの弱点

「襲われないためにどうするか」というリスク・マネジメントに比べ、「襲われたらどうするか」というクライシス・マネジメントでは、子どもが助かる可能性は低い。なぜなら、襲われたら恐怖で凍りついてしまうからだ。

ニューヨーク大学のジョゼフ・ルドゥー教授によると、恐怖は思考よりも早く条件反射的に起こるという。とすれば、恐怖を感じる場面では、対処の方法を知っていても、頭が真っ白になり、対処しようと思う前に、体が硬直してしまうはずだ。

千葉県松戸市の路上で下校途中の女児が刃物で切りつけられた事件(2011年)でも、前から歩いてきた男が刃物を持っていたので逃げようとしたが、転んだので刺されてしまった。体が固まって足がもつれたのであろう。

やはり、恐怖を感じる場面では、想定通りの行動はとれないと思った方がいい。

絶対に割れないと分かっていながら、なかなかガラス張りの廊下に一歩を踏み出せない(恐怖は思考よりも早く条件反射的に起こる):筆者撮影。
絶対に割れないと分かっていながら、なかなかガラス張りの廊下に一歩を踏み出せない(恐怖は思考よりも早く条件反射的に起こる):筆者撮影。

さらに、クライシス・マネジメントは、子どもの誘拐事件の実態にもそぐわない。というのは、警察庁の『子どもを対象とする略取誘拐事案の発生状況の概要』(2003年)が、「甘言・詐言を用いて」犯行に及んだ被疑者は全体の55%と報告しているからだ。

この調査の対象者には、中学生と高校生も含まれているので、小学生以下に限って推計すれば、被害児童の8割程度が、だまされて自分からついていったことになる。

確かに、東京・埼玉連続児童殺人事件(宮崎勤事件)も、神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)も、奈良女児誘拐殺害事件も、だまして連れ去ったケースだ。

そういえば、東京と神奈川で約50回、「ハムスターを見せてあげる」「カブトムシがいるよ」などと声をかけて、女児を団地の階段に誘い込んでは、「虫歯を見てあげる」と言って口を開けさせ、舌をなめていた事件もあった。

こうした「だまし」が入る犯罪は、クライシス・マネジメントでは防げない。

精神論(犯罪原因論)から戦略論(犯罪機会論)へ

日本の防犯対策がクライシス・マネジメント一辺倒になっている背景には「犯罪原因論」がある。

犯罪原因論は、読んで字のごとく、犯罪の原因を明らかにしようとするアプローチだが、犯罪の原因は犯罪者の動機にあるので、「どんな人が?」という視点になる。その結果、「犯行動機がある人」という意味で、「不審者」という言葉が生まれた。

これに対し、海外では、犯罪原因論ではなく、「犯罪機会論」が防犯対策を担っている。

犯罪機会論は、犯罪の機会(チャンス)を明らかにしようとするアプローチだが、犯罪の機会、つまり犯罪が成功しそうな雰囲気を作り出すのは場所なので、「どんな景色の場所で?」という視点になる。そのため、「不審者」という言葉は海外では使われていない。

「不審者」という言葉がまかり通っているのは、世界中で日本だけだが、そのように不審者に注目していると、対策は必然的に個人で防ぐ「マンツーマン・ディフェンス」(自助)になる。常に不審者と対峙している場面を想定するからだ。

それは、「子ども対不審者」という構図であり、子どもはすでに絶体絶命の事態に追い込まれている。したがって、その状況ではクライシス・マネジメントに頼らざるを得ない。しかし、「子ども対不審者」の実態は、「弱者対強者」なので、子どもにマンツーマン・ディフェンスを強いるのは酷と言わざるを得ない。

子どもが無理して抵抗すれば、逆ギレされて、取り返しのつかない結果になるかもしれない。実際、抵抗したために殺害されたケースもある。

対照的に、海外では、場所に注目しているので、対策は必然的に場所で守る「ゾーン・ディフェンス」(共助・公助)になる。ゾーン・ディフェンスは、リスク・マネジメントの手法である。

犯罪者に接触されない方法なので、子どもに危害が加わる危険性はない。「どんな人が?」と問う必要もない。犯罪機会論は、「人」には関心がないのである。

地域には、安全なゾーンと危険なゾーンがあるので、リスク・マネジメントを行うためには、ゾーンを識別することが必要だ。

それを可能にするのが「景色解読力」で、それを高める教育手法が「地域安全マップ」である。この能力を高めれば、純粋に犯罪者に接触されずに済む。接触されてからの話とは次元が違う。これこそが、真の「防犯」ではないだろうか。

「もしものときでも、がんばれば何とかなる」という精神論から、「がんばれないかもしれないから、もしものときをなくす」という戦略論への発想の転換が望まれる。

*子どもに必要な「景色解読力」については、次の動画をご覧いただきたい。

立正大学教授(犯罪学)/社会学博士

日本人として初めてケンブリッジ大学大学院犯罪学研究科を修了。国連アジア極東犯罪防止研修所、法務省法務総合研究所などを経て現職。「地域安全マップ」の考案者。警察庁の安全・安心まちづくり調査研究会座長、東京都の非行防止・被害防止教育委員会座長などを歴任。代表的著作は、『写真でわかる世界の防犯 ――遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館、全国学校図書館協議会選定図書)。NHK「クローズアップ現代」、日本テレビ「世界一受けたい授業」などテレビへの出演、新聞の取材(これまでの記事は1700件以上)、全国各地での講演も多数。公式ホームページとYouTube チャンネルは「小宮信夫の犯罪学の部屋」。

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