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新幹線で携帯電話での通話が解禁 背景にある日本人の「うち」と「よそ」の意識、組織ぐるみの隠ぺい体質

小宮信夫立正大学教授(犯罪学)/社会学博士
(写真:アフロ)

今日から、新幹線「のぞみ」の7号車で、携帯電話での通話が自由にできるようになった。しかし元々、西洋諸国では、列車内でも、普通に堂々と携帯電話で会話している。例外的に、「クワイエット・カー(静かな車両)」でのみ、通話が禁じられている。要するに、西洋では、原則と例外が逆転しているのだ。なぜ、日本だけが、電車内の通話を禁止しているのか。

車内通話を禁止する理由

そもそも、車内通話が禁止されるようになったのは、携帯電話が普及するにつれ、鉄道各社に「車内通話がうるさい」という苦情が殺到したからだ。日本民営鉄道協会のマナーアンケート「駅と電車内の迷惑行為ランキング」でも、調査を開始した1999年から2003年まで「携帯電話の使用」が1位だった。

では、なぜ日本人は車内通話を不快に感じるのか。

常識的には、声が大きくてやかましいから、ということになるのだろうが、これはおかしい。やかましいのが理由なら、バカ騒ぎする若者やマシンガントークのシニアも負けてはいない。しかも携帯電話は、ヒソヒソ話でも周囲をイライラさせている。したがって、声の大きさではない何かが、不快感をもたらしているはずだ。

「うち」と「よそ」

社会学的に考えると、不快感が生じる背景には日本人独特の「うち」意識があると思えてくる。「うち」意識とは、自分の所属集団を「うちの会社」「うちの学校」などと呼びつつ、そこに自分の居場所を見いだし、そこを安心感や安定感の源泉とすることだ。

これとセットになっているのが「よそ」意識である。それは、自分の所属集団の外側にいる知らない人(社会一般)に対して、自分とは無関係と考え、それゆえ無関心・無責任になることである。

「うち」が特定の場所に根差しているのに対し、「よそ」はどこか別の場所を指しているにすぎない。「うち」世界にいるのは身内(うち)なので、多くのことが内々(うちうち)で済まされるのに対し、「よそ」世界にいるのはよそ者なので、互いによそよそしい態度が示される

日本人の間では、こうした「うち/よそ」の二分法が鮮明である。

ところが、西洋人の間ではこの二分法が不鮮明である。西洋人のそれは、「個人/社会」の二分法だからだ。

さらに中国人も、日本人よりも西洋人の方に近いらしい。つまり、個人主義的ということのようだ。「中国人1人は日本人10人に値するかもしれないが、日本人100人は中国人1,000人に相当する」などと言われる。中国人の個人主義と日本人の集団主義を誇張したものではあるが、そうした特性があることは否めない。

西洋諸国では、個人が能力や趣味に合ったネットワークを張り巡らし、それが社会になっている。人々は一つの場(単一の集団)につなぎ止められることなく、社会の中を浮遊している。

しかし日本では、所属集団が磁場のように人々を引き留め、ネットワークの拡充を阻んでいる。

要するに、西洋の社会は内陸国のように移動が容易だが、日本の社会は群島国のように移動が困難なのだ。日本人は、自分がいる一つの島(「うち」集団)のことはよく知っているし、知る必要もあるが、他の島(「よそ」集団)のことはほとんど知らないし、知る必要もないのである。

電車はわが家?

皆さんは、自分の部屋にだれかを招き入れたとき、その人が携帯電話で別の人と話し始めたら、どう感じるだろうか。「なんて失礼な人だ」と思わないだろうか。もし思うのなら、それが車内通話に対する不快感の正体である。

つまり、電車に乗り込んでいるときも、まるで「うちの家」にいるかのように、極端に言えば、自分の部屋にいるかのように反応する。反応の対象は、自分の目の前にいながら、つまり「うち」にいるのに、心ここにあらずで「よそ」の人に関心を向けている、不遜な態度である。だからこそ不愉快になるのだ。

明治大学の石川幹人教授も、「携帯電話で話し始めると、その人だけが別の世界に出て行ってしまい、連帯感が壊され周囲が不快感を抱く」と述べている。

電車内は「公共の場」であるはずだが、意識の中では依然として自分の部屋のまま、というわけだ。

これが西洋であれば話は簡単だ。「個人/社会」の二分法、言い換えれば「私/公」の二分法の下では、自分の部屋でない電車内は「公共の場」と意識せざるを得ない。何となく不快に思ったとしても、車内の公共性は尊重されなければならない、と自分を納得させるしかない。

ところが、日本の「うち」は伸縮自在だ。少なくとも、電車内は「うち」であるらしい。だからこそ、ロングシートの電車に乗り込んでいる最中でも、おにぎりやハンバーガーを食べ、念入りに化粧を施し、泥酔状態で熟睡している。

しかし海外では、電車の座席で酒を飲んだり、食事をしたりすることは認められていない。

車内飲食に罰金(約4万円)を科すとするシンガポールの駅構内標識(右上、筆者撮影)
車内飲食に罰金(約4万円)を科すとするシンガポールの駅構内標識(右上、筆者撮影)

日本人の多くが、車内の様子を監視カメラで見られることに抵抗があるのも、「うち」意識の表れに違いない。

対照的に、イギリスでは、20年前から、車内に監視カメラが設置されている。スペインやイタリアなどの列車、ドイツや中国などの地下鉄、オランダやオーストラリアなどの路面電車にも、車内監視カメラが導入されている。そこには、電車内は「公共の場」なので、「うち(私的空間)」と同じようなプライバシーは認められないという了解がある。

このように、海外では、電車内が「公共の場」とされている以上、道路上の場合と同様に、携帯電話の通話を認めることに何のためらいもない。

しかし、日本では、携帯電話の車内通話は、「うち」世界における無礼な振る舞いなので、許されざる行為と見なされる。

犯罪実態は見えにくい

実は、こうした「うち」世界の性質こそが、日本の犯罪事情の真の姿を見えにくくしている。

前述したように、「うち」集団は小さな島であり、外には出られない運命共同体である。そのため、個々人の能力や性格を度外視して一つにまとまる必要がある。それに打ってつけのルールがウェットな「甘えと義理」である。バラバラな個人をベタベタに接着しようというわけだ。

義理は情緒的な負担である。したがって、その内容は無定量・無限大であるが、それを果たしていれば、所属集団への甘えを期待できる。だが義理をおろそかにすると、にらまれて島流し(村八分)になるかもしれない。

そこで、無数の情緒的なルール(義理)を、たとえそれがささいなことであっても、あるいは不合理なことであっても律義に守るようになる。いわゆる「同調圧力」である。

一方、個人主義的な意識が強い西洋では、集団の外に出るためのハードルは低い。そのため、「うち」集団のように一つにまとまる必要はない。むしろ、一つにまとまることを嫌悪する。個人があちこち動き回る社会にふさわしいルールは、ドライな「権利と義務」である。個人と個人がぶつかりトラブルが発生したら、その都度調整すればいいだけのことだ。

このように西洋型の集団は、日本の「うち」集団と異なり、トラブルそのものを抑え込もうとはしない。したがって、犯罪が日本よりも多発しても不思議ではない。

しかし、日本型の「うち」集団の団結力が犯罪を助長することもある。

例えば、「同調圧力」に屈しない人には容赦ない攻撃が加えられる。「いじめ」である。しかし、同調プレッシャーが強いから、集団メンバーのだれ一人として「それはおかしい」「やめた方がいい」と声を上げられず、いじめがエスカレートする。

体罰も同じだ。同調プレッシャーが強いから、教師仲間も子どもも「こんな指導は非科学的だ」「暴力は許されない」とは言えない。

社内のセクハラやパワハラも同じだ。被害者は「うち」集団からの追放を恐れて、泣き寝入りする。しかし、上司も同僚も、同調プレッシャーが強いから、見て見ぬふりをしてしまう。

仮にトラブルが集団内で顕在化しても、「うち」集団にとっては、集団を守ることが最優先なので、トラブルが「よそ」世界に知られないように必死になる。いわゆる「隠ぺい体質」である。

コンプライアンス(法令順守)のためにチクれば、集団の「和」を乱したとして、村八分にされる危険性が高い。そのため、セクハラ、パワハラ、いじめ、体罰だけでなく、食品偽装や建築偽装なども、なかなか表に出ない。

こうして、「うち」世界の犯罪は闇に葬られることになる。

確かに、公的には(刑法犯認知件数ベースで)、日本の犯罪率は海外に比べて低い。しかし、それはあくまでも、「よそ」世界の数字である。

被害届が出されず、したがって認知されない「うち」世界の犯罪は、いったいどのくらいあるのか。それは誰にも分からない。もしかしたら、「うち」+「よそ」の合計で見れば、犯罪率は、日本と海外で変わらないのかもしれない。

立正大学教授(犯罪学)/社会学博士

日本人として初めてケンブリッジ大学大学院犯罪学研究科を修了。国連アジア極東犯罪防止研修所、法務省法務総合研究所などを経て現職。「地域安全マップ」の考案者。警察庁の安全・安心まちづくり調査研究会座長、東京都の非行防止・被害防止教育委員会座長などを歴任。代表的著作は、『写真でわかる世界の防犯 ――遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館、全国学校図書館協議会選定図書)。NHK「クローズアップ現代」、日本テレビ「世界一受けたい授業」などテレビへの出演、新聞の取材(これまでの記事は1700件以上)、全国各地での講演も多数。公式ホームページとYouTube チャンネルは「小宮信夫の犯罪学の部屋」。

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