LGBTの人々は「被害者面」してるのか?

(写真:アフロ)

 最近フジテレビが30周年を期して、30年前に流行った保毛尾田保毛男(ほもおだほもお)を復活させ、それに対しLGBTコミュニティが抗議声明を発したことで炎上が起き、社長謝罪まで追い込まれたことは記憶に新しいかと思います

 そして保毛尾田保毛男に対し、友人のトランスジェンダーの杉山文野くんが、以下のような「願い」を書いています。嘲笑される対象としての怖さ、そこから逃れるために、わざと自分も保毛尾田の真似をしてしまった等、胸をえぐられる気持ちになりました。

『知らない』は社会の責任だ -保毛尾田保毛男 の一件に関して-

 http://www.huffingtonpost.jp/sugiyama-fumino/fuji-minaoka_a_23228611/?ncid=tweetlnkjphpmg00000001

 さて、そのブログに対し、ウーマンラッシュアワーの村本大輔さん(https://twitter.com/WRHMURAMOTO)という著名な芸人の方が、以下のような発言をされていました。

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「お前だけが被害者面すんな、おれも学歴や職業や考えで差別されてる」

【ウーマン村本「お前だけが被害者面すんな」「バカが偽善者面して当事者を語るな」】

 これに対し、あまりにもあまりだと思ったので、僕も異議を唱えました。

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 そのまま寝てしまったのですが、朝起きたら、ご本人から以下の返答がありました。

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 彼によると保毛尾田保毛男は「ゲイを笑っているのではなく、石橋貴明を笑っていて」、僕は「バカが偽善者面して当事者を語る」ことをしているそうです。

(一点どうでも良いですが、偽善者面というのはおかしくて、正しくは「善人面」ではないかな、と思います)

 こうした一連の村本さんの意見に、改めて異議を唱えたいと思います。理由は2つです。

 1つは、村本さんが34万人のTwitterフォロワーを持ち、テレビ等にも出られていて、社会的影響力が大変大きな方だからです。

 2つ目に、まさに村本さんに代表されるスタンスこそが、社会的な抑圧を生み出して来た典型であり、多くの社会運動が闘ってきたものだからです。

 以下、詳細を述べます。

【「被害者面をする」ことは悪いことか】

 まず、村本さんはLGBTである杉山氏に「お前だけが被害者面をするな。おれも学歴や職業や考えで差別されてると思うことは沢山ある」と言います。

 差別を受けている人は他にもいるから、差別を受けても自分だけを特殊化してはいけない、という論理です。

 おかしいですよね?

 「差別されて痛い」ということは、誰しも言って良いはずで、他に差別されている人がいるということとは無関係です。

 そして自分が痛いからと言って、今現に痛がっている人に対し、「俺も痛いんだから、お前も我慢しろよ」というのは、抑圧以外の何物でもありません。

 村本氏の論理を使えば、ほぼ全ての社会的な不公正、例えば女性差別や人種差別、障害者差別などに対し、「俺も差別されて痛いんだから、お前だけが特権的に差別されて痛いなんていうなよ」と抑圧できてしまいます。

 お前が痛かろうが何だろうが、「俺は」痛いんだよ、と当事者は語る権利があるのです。

【役ではなく、役者を笑っている、という逃げは可能か】

 そして村本氏は「あれはみんなゲイを笑ってるんじゃなくて、石橋貴明って人を笑ってる」と言いました。

 本当でしょうか?

 保毛尾田保毛男を嗤うということは、彼がカリカチュアしている「ホモ」キャラの、「気持ち悪さ」「滑稽さ」を笑っているのは自明です。

 また、万に一つ、保毛尾田保毛男を石橋貴明として、純粋に保毛尾田と切り離して、石橋貴明さんのみに笑いを求める読み込み方をする視聴者がいたとしましょう。(あんまりいないと思うけど)

 そうだったとしても、保毛尾田によって傷ついている当事者が一定数以上多くいるのだったら、一部の「切り離して笑える」人がいたとしてもなお、表現の仕方としては考え直すべきなのではないでしょうか。

【非当事者は当事者を語れないのか】

 また、村本氏は「バカが偽善者面して当事者を語るな」ということですが、これは社会運動でよくある「非当事者は当事者を語れないのか」問題とほぼ同じなので、ここで改めて触れておきたいと思います。

 例えば人種差別を受けている黒人に対し、非当事者である白人が「人種差別はよくないよ」と声をあげた時に、村本さんが僕に対し行なったように「偽善者面して当事者を語るな」ということは可能ですが、それは正しいでしょうか?

 もし非当事者が声をあげることを「当事者でもないのに語るな」と抑圧してしまったら、異議申し立ての声はマイノリティの中だけにとどまり、差別の構造そのものは温存されてしまいます。

 差別や社会的な不公正は多くの場合、マジョリティ側に内在しており、マイノリティの異議申し立てが、マジョリティ側に届かなければ変わっていかないものです。

 よって、「当事者でもないのに語るな」というのは、「不公正な構造に変化をもたらすな」と同義であり、こうした発言は変革を阻む抑圧的な言説であると言えるでしょう。

【まとめ】

 「保毛尾田保毛男に傷ついた」という当事者の声を「被害者面」「差別されているのはLGBTだけでない」と言う言説は、単なる抑圧だし、「(非当事者が)善人面して当事者を語るな」というのも、変革を阻む抑圧です。

 残念ながらウーマンラッシュアワーの村本氏は、無意識のうちにマジョリティによる抑圧に手を貸し、おそらくそれに全く気づいていません。「みんなが言わないような深いこと言ってる俺、すごい」という意識なのだとしたら、とても残念です。

 本稿が、彼に少しでも違った視点を提供できれば、望外の幸せです。彼と彼に同調する多くの方々に届くことを願って。