三浦翔平、“残り半分の人生”でやりたいこと

ドラマ収録の合間、インタビューに応じてくれた三浦翔平さん

 2008年に日本テレビ系「ごくせん」(第3シリーズ)でドラマ初出演を果たして以降、数々の人気ドラマ・映画に出演してきた三浦翔平さん。意外にもドラマ初主演は、今年4月スタートのAbemaTVオリジナル連続ドラマ「会社は学校じゃねぇんだよ」とあって、この春は大きな注目を集めました。昨年デビュー10周年、そして今年6月3日に30歳という節目を迎えた三浦さんの、これまで…そしてこれからに迫りました!

――30歳の誕生日に、デビュー10周年記念の写真集を発売しましたね。

 タイトルは「&(アンド)」。“オフとオン”だったり、“ハワイと東京”とか、“今までとこれから”みたいな。いろんな“○○と○○”をかけて、「&(アンド)」っていうタイトルにしました。

 中身は【ハワイ編】と【東京編】になっていて、【ハワイ編】は今までの10年間…ということで、慣れているスタッフ&カメラマンである「Myojo」のチームで撮影しました。今までのイメージで、休日の過ごし方みたいな感じをハワイで。サーフィンしたり、バイクに乗ったり、オフの雰囲気たっぷりです。

 

 【東京編】は、新田桂一さんというカメラマンとやりたい!ということで、スタッフも全部、新田さんのチームにして、【ハワイ編】とはまったくの別物として撮りました。それはそれで新しい“画”になっています。すごくね、オシャレな感じの写真なんですよ、【東京編】は。

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――デビューからの10年を振り返って、どんな感想ですか?

 長いようで、意外とすぐ…だったかな。なんか気づいたら10年経っちゃったなって。

 ターニングポイントは、変わり目でいうと25歳かも。25歳から趣味が増えて、ゴルフ、格闘技、サーフィンを本格的に始めたし。バイクもまた免許を取ったのが25歳だし。

 25歳までは趣味とかがあまりなかったから、オフの日とかは飲んでいたんです。で、朝まで飲んで次の日、1日無駄にするっていうのが多かったから、そろそろ趣味がほしいなって時に、…それがたぶん25歳。飲むのに疲れたのかな。健康的な生活になりました(笑)。

 

 25歳で出演した2014年1月期の日本テレビ系「明日、ママがいない」では、料理をする役柄だったから料理もできるようになったし。

 あと、24歳までは連ドラを連投していて結構出ずっぱりだったんです。切れ目なく仕事をしていたんですが、ちょっと疲れていたところにちょうど半年ほどオフがあって、それらが25歳で重なった感じです。

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――そんな25歳の時、仕事に対する気持ちも変わりました?

 変わりましたね。それまでは、朝まで飲んで仕事の現場に行ったりしたこともありましたけど、今はよほどのことがないと、そんなことはしなくなった。

 そして、昔は同年代と遊んでいたけど、25歳くらいから先輩と会うことが増えました。「KAT-TUN」の亀梨(和也)くん、(渡部)篤郎さん、(高橋)克典さん、上地(雄輔)さん…とか。いろんな先輩たちと話すようになりました。仕事の共演がきっかけの方もいるし、プライベートで紹介された方っていうのもあるし。

 現場では、プロデューサーとか監督とかとも話すようになったかも。今までは、台本があって監督の言われたとおりにやってきたけど、役とか作品について「こうした方がおもしろいんじゃないですか?」とか、自分から能動的に提案するようになったというか、役のことを考える余裕ができたんですね。連投で出ずっぱりだと、いっぱいいっぱいで考えられなかった。本当に、いろんなタイミングが25歳でやってきた感じです。

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――昨年秋から上演された「劇団☆新感線」の舞台「髑髏城の七人 season月 上弦の月」も、何年か後にターニングポイントになるのでは?

 そうですね。実は初舞台(「SAMURAI 7」)は22歳だったんですけど、その時はわけも分からず終わってしまって。そして今回「髑髏城…」をやらせてもらって、映像とは違ったお芝居の仕方があるっていうのが本当に勉強になりました。だから、何年か後に振り返ったらターニングポイントになっているのかも。

 先日、「髑髏城…」で共演した(福士)蒼汰と(早乙女)太一くんと、現在(取材時)上演されている「修羅天魔~髑髏城の七人 Season極」を観に行ったんです。開演の音楽が一緒だから、それを聴いた途端、みんなで「なんか(始まるぞって)嫌な気持ちになるよね」って言い合ったりして(笑)。今も仲良しですね。

 特に、太一くんは一緒に話していても全然年下とは思えない。唯一年下でも呼び捨てにしないのは太一くんだけ(笑)。なんせ、殺陣(たて)がすごいし。3歳から舞台に立っているから貫禄が…。

 太一くんは、ドラマ「会社は学校じゃねぇんだよ」も一緒に出たけど、また舞台と違って、魅力がある人だなって。

 だからこそ実は一番やりたいのは、海外で太一くんに殺陣を盛り込んだ舞台をやってもらって、広めること。日本のカルチャーを、作り手の側で観てみたいんです。だって、まず自分がそれを観たいんだもん。自分が観たいものをやりたい。ただ、自分は出たくないんです。キャスティングして、作って、「観てください」って、そっち側。

 「会社は学校じゃ…」で主演させてもらったりすると、Webのドラマだからこそ、今まで“やれない”と思っていたことができる環境が新鮮で。別の視点で見られるようになったから、作る方もやりたいなって。

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――交友関係が広いから、作る側であればキャスティングも得意なのでは?

 それはあるかも。芸能活動10年間で一番培ってきたものって、交友関係、人脈かもしれません。

 この間、占いに行った時に「あなたは“財運の星”もないし“成功する星”もない」って言われたものの、「でも、なぜあなたがなんとかなっているかっていうと、“周りが助けてくれる星”を持っているから」って。「変なことになっても、誰かしらが助けてくれるから大丈夫よ」と占い師さんに言われて、すごく気が楽になったんです。確かに、なんとかなっているなって。

 人脈は、自然と広がりました。20代前半の頃にいろんなところに顔を出していたのが、今につながっているからよかったかなって。無駄なことはなかったなって。飲みすぎて体は酷使したけど(笑)。佐藤健とか、「Hey!Say!JUMP」の高木雄也とか、三浦春馬とか、仲良いですね。

 実はこの前、よく集まるみんなで「同学年(88、89年生まれ)はすごいね」って話になったんです。健もそうだし、仲がいい「ONE OK ROCK」のTakaでしょ、松坂桃李、濱田岳、吉高由里子、「Perfume」、黒木メイサ、ボクシングだと井岡一翔選手、サッカーだと香川真司選手、野球だと巨人の坂本勇人選手も88年。なんかすごく多くて。

 そんな人達も含め、Takaの誕生日とかにはいろんな業界の人が集まるので、とても刺激になります。

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――Takaさんと知り合ったきっかけは?

 出会ったのは、20歳くらいの時かな。芸能界に入ってすぐの頃。

 山田親太朗を通じて知り合ったんです。俺が、「ONE OK ROCK」の『完全感覚Dreamer』か何かのPV(プロモーションビデオ)を観て、親太朗に「このバンドいいね」「絶対売れるよね」「この人に会いたい」って言っていたことがあって。

 そしたら後日、たまたま親太朗が焼き肉を食べている場に呼ばれて、そこに行ったらTakaがいて。「PV観てます」みたいな感じで同級生だからすぐ仲良くなって、それからはほぼ毎日一緒にいました。

 

 Takaは今でこそ世界で活躍しているけど、10年前はまだ(ライブハウスの)Zeppでツアーとかをしていて。でも、その時から「海外に行く」って言っていて。そして、「やっと(日本)武道館決まった」「やっとここから行けるわ」って話をして、「おめでとう」って言ってたら、あれよあれよとアリーナツアーやって、スタジアムやって、ドームやって、海外行って…。今やもう半分海外だから、あいつ、外国人だから(笑)。

 もともと英語しゃべれなかったのに、すごく努力して習得して。すごいよね、彼は。

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――当然、刺激もビンビン受ける?

 そう、いろいろ海外のショービジネスの話を聞いたりしますね。音楽にかけるお金の規模が違う…というところから始まって、ハリウッドの話も。予算がケタ違いだからすごく大きなものを製作できるし、ギャラも破格な反面、きっちり自己責任も求められる、みたいな。

 でもその分、日本みたいに“撮って出し”がなくて、何年前から企画して、長い時間をかけて撮影して、公開するのは何年後っていう、長期間スパンのスケジュールだから、余裕を持って作品が作れるとか聞くと、いいなって。何十年か後に、日本もそういう風にできるようになるのかな。

――今後、自身が海外進出する…という野望は?

 自分がプレイヤーとして海外へ行くのは、ないかな。10年経って思った。自分はプレイヤーじゃないなって。

 さっきも言ったような、(早乙女)太一くんに殺陣をやってもらう舞台を、海外に持って行くようなことには興味があります。

 今回、久々に舞台に出演して思ったんですけど、すごく才能のある人たちが有名じゃないのはおかしいなって。めちゃくちゃお芝居がうまいのに、全然名前も知られていない人とか、めちゃくちゃ殺陣がうまいのにアンサンブルでしか入れない人とか、結構いて。これが日本なんだなって残念な気持ちと、その人たちにもっと頑張ってほしいって気持ちがあるから、海外に行くならプロデュース側に回ってやりたいなって。

 特に「髑髏城…」では、本当にうまい人ばかりだったから、そういう人たちを見ていると、自分の限界が見えるというか。限界ってこれくらいかなって。たぶん、これ以上はないかなって。もうちょっと頑張ってもこれくらいしかいかないかなって。

 だから、若手を育ててプロデュースしたい。プロデューサーになりたいって気持ちがあります。とにかく作品を作っていきたいです。映画だったり舞台だったり。

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――30歳という節目を迎えて、今後の人生を考えたりしますか?

 ずっと思っているのは、30歳って“半分”だと。人間バリバリ元気で、なんでも自由にできるって、だいたい60歳くらいまでかなって。もちろん、それ以降でも元気な人はいるけど。そう考えると人生もう半分しかないから、1日1日を無駄にしたくない。食べるものはちゃんと食べたいし、寝る時間もちゃんとほしいし、遊ぶ時間も、仕事の時間もそう。

 

 将来的には家庭も持ちたいし、子供もほしい。そういう欲望をかなえるためには、あと30年しかないなら、あんまり周りにかまっていられないなと。だから、1日1日を大事に生きましょう、っていうのが30歳を迎えての心境かな(笑)。

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 40歳までは働いて、そこからは仕事は年に1本くらいのペースがいいなとか。あとはハワイでカレー屋さんをやって…。なんでカレー?なんでハワイか?実はずっとハワイに憧れがあって。海が好きなんですよ。この間、父親と話していたら、俺って小さい時から1人で海に入っていたらしいです。とにかく「海に行きたい」と言っていた子供だったって。沖縄は好きでよく行っていたんですけど、ハワイは28歳くらいまで行ったことがなくて。で、初めて行ったら「なんていいところなんだ!」と。

 そして、俺はカレーが好きなんだけど、ハワイにおいしいカレー屋さんがないから作ってしまおうと思って。仕事が入ったら日本で仕事して、終わったらハワイに戻って、あとはサーフィンしながらのほほんとカレーを食べて、髭(ひげ)はやして、こ~んなお腹出て(笑)…そんな生活がいいなぁって考えたりしています。

 (撮影:KOZOクリエイターズ)

【インタビュー後記】

今月3日、三浦くんの30歳の誕生日に行われた写真集の発売イベントで、「交際については事実でございます。結婚についてはまだ本当に何も決まっていないので、そっとしておいていただけたら」と、集まった報道陣を前に桐谷美玲さんとの交際を宣言した。イベントが先に決まっていたとはいえ、マスコミをシャットアウトすることも、囲み会見を断ることもできたはず。プライベートが報じられたことで、取材対応をやめてしまった例はいくらでもある。それでも彼がマスコミの前で堂々と宣言したのは、桐谷さんと結婚を前提に真剣に交際しているからであり、彼女を守るためだったからではないだろうか。さらに囲み会見では、リポーターから「誕生日プレゼントにほしいものは?」と聞かれて、「そっとしておいてほしい」という機転の利いた切り返し。これには報道陣も爆笑だった。潔く男らしい対応を見せた三浦くんに、記者たちから「いい男だね」「カッコイイ」と賛辞の声が上がっていた。いつの日か、その日が来たら、筋を通す彼らしくきちんと発表してくれることだろう。吉報を静かに待ちたいと思う。

■三浦翔平(みうら・しょうへい)

1988年6月3日生まれ、東京都出身。A型、身長181cm。趣味はサーフィン、ツーリング、スポーツ全般。特技はバスケットボール。2007年に行われた「第20回 ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」で【フォトジェニック賞】と【理想の恋人賞】を受賞し、芸能界入り。

2008年の日本テレビ系ドラマ「ごくせん」(第3シリーズ)で俳優デビュー。2011年に映画「THE LAST MESSAGE 海猿」(2010年公開)で「第34回日本アカデミー賞」【新人俳優賞】を受賞。