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エルミタージュ美術館が丸腰に? ロシア経済危機と内務省職員削減の余波

小泉悠安全保障アナリスト
エルミタージュ博物館「天窓の間」(写真:アフロ)

丸腰の「エルミタージュ」

エルミタージュ美術館を創設した女帝エカチェリーナ2世
エルミタージュ美術館を創設した女帝エカチェリーナ2世

ロシア帝国の首都として栄華を極め、今も洗練された古都として知られるサンクトペテルブルク。

その顔というべき存在が国立エルミタージュ美術館である。

エカチェリーナ女帝が18世紀半ばに開いたこの美術館は、世界でも有数のコレクションを誇り、昨年は世界中から325万人もの人々が足を運んだ。

ところが、そのエルミタージュが危機を迎えている。

警備の警察官が11月からいなくなってしまうのだという。

これはエルミタージュ美術館館長にしてロシア美術館連盟会長のミハイル・ピオトロフスキー氏が今月18日、ラジオ番組に出演した際に明らかにしたもの。

日本的な感覚では美術館に警察官が居るというのは違和感があるが、ロシアではちょっとした美術館にも警察官が常駐している光景は珍しくない。筆者自身も、あるとき美術館のドアを開けたら中にサブマシンガンを下げた警察官が居てぎょっとしたことがある。

ところがピオトロフスキー氏によれば、突然、11月1日以降は警察官を派遣しないとの通達(どこからの通達かは明らかでないがおそらく内務省からのもの)があったという。

しかも警備対象外となるのはエルミタージュに限らず、「ごく短い例外のリスト」に載っている施設を除く大部分の美術館が警察の警備を受けられなくなる見込みだ。

現在、美術館連盟は独自に警備組織を作ったり、民間警備会社と契約するなどして、貴重な美術品を盗難や暴徒から守る対策を検討中であるとしていう。

原因は内務省人員の大幅削減か

それにしても内務省がエルミタージュを含む美術館の警備をやめてしまうとはどういう訳だろうか。

これについてピオトロフスキー氏は関係各所に説明を求めたが回答を得られていないとしつつ、内務省職員の大幅削減が原因だとの見方を示している。

以前の小欄で紹介したように、経済危機に直面するロシア政府は予算カットを余儀なくされている。

それも当初は国防・安全保障は例外とされていたにも関わらず、今年7月、ロシア内務省は職員を11万人も大削減する方針を打ち出した。

それだけ政府の懐事情が苦しいという証左であろうが、だとすればエルミタージュにはとんだとばっちりである。

教育科学省は自前の警備隊を設置へ

ちなみにピオトロフスキー氏の暴露に先立つ今月4日には、インターファックス通信が教育科学省の興味深い内部文書を入手して報じている。

これは「ロシア連邦教育科学省の省内警備に関する規定」という省令の草案で、教育科学省に付属する施設や組織の警備を(内務省ではなく)教育科学省が独自に設置する警備隊が行うことを定めている。

警備隊は内務省で訓練を受け、暴徒鎮圧用装備・武器等は必要な場合だけ内務省から支給されるという。

美術館の場合と同様、ロシアでは教育・研究機関にも警察官が居り、モスクワ大学の寮などは警察官にいちいち学生証を見せねば出入りもできない。

だが、この省令案が事実なら、教育施設からも警察官は姿を消すことになりそうだ。

この文書がいつ作成されたものかは不明だが、エルミタージュの件と考え合わせると、内務省職員の大削減が決まったあたりで、美術館や教育施設の警備からは手を引くとの方針が決まっていたのではないだろうか。

厳しい財政状況では従来のように何から何まで内務省の手が回らないということだろう。

だが、ピオトロフスキー氏も指摘しているように、11月からいきなり警察が警備をやめてしまうというのはあまりに性急である。モスクワではつい先週もクレムリンに面したマネーシ広場での彫刻展覧会に男が乱入し、ソ連時代の前衛彫刻に火をつけるという事件が発生したばかりだった。

美術館や教育施設からサブマシンガンや面倒な出入りチェックが姿を消すのは歓迎だが、貴重な美術品の安全はこれまで通りであるよう望みたい。

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安全保障アナリスト

早稲田大学大学院修了後、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所客員研究員、国会図書館調査員、未来工学研究所研究員などを経て、現在は東京大学先端科学技術研究センター特任助教。主著に『現代ロシアの軍事戦略』(筑摩書房)、『帝国ロシアの地政学』(東京堂出版)、『軍事大国ロシア』(作品社)がある。

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