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迫るマレーシア機撃墜1周年 疑惑のミサイルメーカーが反論記者会見を開催

小泉悠安全保障アナリスト
ブークM2防空システム(モスクワ市内にて)

「あのミサイル」の製造元

配備が進む新型防空システムS-400(モスクワ市内にて筆者撮影)
配備が進む新型防空システムS-400(モスクワ市内にて筆者撮影)

アルマーズ・アンテイと言われても大部分の読者は聴いたこともないと思われるが、旧ソ連の二大防空システム・メーカーであったアルマーズとアンテイが2002年に合併して設立された軍需企業である。

主力製品はもちろん防空システムで、イランへ供与される予定のS-300や中国への供与が取り沙汰されるS-400などいずれも同社の製品だ。ロシア軍の次期最新鋭防空システムS-500の開発も同社で進んでいる。

そしてもう一つ、同社には悪名高い製品がある。昨年7月にウクライナ上空でマレーシア機17便を撃墜し、乗客・乗員298名を殺害したとされる「ブーク」中距離防空システムである。

EUを提訴

アルマーズ・アンテイは昨年7月、米国やEUが発動した第三次対ロシア制裁の対象に含められた。しかも、米国が7月16日に発動した制裁では、アルマーズ・アンテイを含めた8社が制裁対象となったのに対し(後に対象はさらに増加)、EUが7月30日に発動した制裁では、軍需産業で制裁対象となったのはアルマーズ・アンテイだけであった。

EUの制裁決議文書には、同社の製品が親露派に供給され、「航空機を撃ち落としている」ことがその理由として記載されており、マレーシア機撃墜事件が大きく響いたことは間違いない。

これに対して今年5月、アルマーズ・アンテイは、この制裁が不当であるとして欧州裁判所にEUを提訴した。マレーシア機を撃墜したことに同社は責任を負っておらず、制裁を受けるいわれはないというのがその理由である。

仮に「ブーク」がマレーシア機を撃墜したとして、アルマーズ・アンテイが同システムを製造した時点ではそのような事態は想像もつかなかったであろうし、撃墜の実行者に対して同社が直接「ブーク」を供与した訳でもない。そう言う意味では、アルマーズ・アンテイの言い分にも頷ける部分は無いとも言えまい(全面的に同意できるかと言えば決してできないが)。

アルマーズ・アンテイの主張

ところが、アルマーズ・アンテイはさらに大胆な行動に出た。今月2日、モスクワで記者会見を開催し、詳細なデータを交えてマレーシア機撃墜時の状況を検証したのである(会見の模様については、こちらのロシア語ブログに豊富な図表の写真等が掲載されている)。

アルマーズ・アンテイがこのような行動に出たのは、もちろん同社の独断ではあるまい。マレーシア機撃墜事件がまもなく1周年を迎え、さらにEUが来月中には制裁を延長するか否か決断しなければならないというタイミングである。それを見計らってロシア政府が揺さぶりを掛ける戦略の一環と考えたほうがよいだろう。

なお、会見自体は非常に技術的な詳細にまで立ち入ったものであったが、ここではとりあえず、同社の主張を大きく次のようにまとめてみた。

  • 撃墜されたマレーシア機の弾痕を検証した結果、同機を撃墜したのは「ブークM1」型防空システムであった可能性が高い
  • ブークM1用の9M38M1ミサイルが搭載する9N314M1弾頭は、より旧式のブークMやより新型のブークM2の弾頭と異なっているため、判別がつく(ブークMは2種類、ブークM2は1種類の破片が飛散するように設計された弾頭を搭載するのに対し、ブークM1の9N314M1は3種類の破片を飛散させる)
  • 破片が飛散するよう設計された範囲から逆算すると、ミサイルは機体より南方から飛来したと考えられる。より具体的には、ウクライナ軍が占拠していたザロシェンスコエ村付近が発射地点と考えられる
  • ただし、誰が撃墜したかについてアルマーズ・アンテイとして明言することはしない
  • アルマーズ・アンテイでは1999年以降、ブークM1を製造していない。一方、2005年に同社がウクライナ軍の保有するブークM1の近代化改修契約を結んだ際には、同軍は991発のブークM1用ミサイルを保有していた

検証点1:弾頭によるシステムの特定

アルマーズ・アンテイの会見内容はさすがに製造元だけあり、微に入り細を穿つものであった。特に弾痕から弾頭の種類を特定し、最終的に「ブークM1」によるものと断定した点は見事である。

これについては4月、オランダの検察庁が、撃墜に使用されたシステムを「ブークM1-2」だと断定したという未確認報道が流れたことがある。ややこしいが、ブークM1-2はブークM1がブークM2へと発展する途上で開発された過渡的なバージョンで、M1型用の9M38M1ミサイルも、M2型用の9M317ミサイルも発射することができる。したがって、上記の未確認報道では何を根拠に破片をブークM1-2のものと断じたのかがはっきしりない。M1-2型はロシアしか保有しないため、断定できればロシア又は親露派の犯行説を決定的にできるという希望的観測が多分にあったのではないか。

いずれにせよ、この点は残骸の検証結果に関する最終報告書がアルマーズ・アンテイの主張に対してどれだけ説得力を持つか検証する必要があろう。

その一方、アルマーズ・アンテイの主張通り、撃墜がブークM1によるものであったとしても、このシステムはウクライナとロシアの双方が保有している。ロシアではブークM2の配備が進み、今後はさらに新型のブークM3の実戦配備さえ控えているから、M1型が二線級装備になっていることはたしかである。

しかし、昨年6月頃、ロシアが親露派に重装備を供給し始めた際にドンバスに送り込まれたのはまさにこうした二線級であった。したがって、撃墜手段がM1型であることを立証しても、それをただちにウクライナ犯行説と結びつけることはできない。

検証点2:ミサイルの飛来方向

もうひとつ、アルマーズ・アンテイの主張でいかにも胡散臭いのは、ミサイルの飛来方向に関するものだ。

すでに広く報じられている画像で明瞭に確認できるが、撃墜されたマレーシア機は機首の左側に多数の弾痕を残している。ミサイルは左側、地図上に直せば北側から飛んで来たというのが素直な解釈であろう。

しかし、アルマーズ・アンテイが詳細なCGを用いて解説しているように、ミサイルの弾頭は前方にばかり破片を飛散させるわけではない。9M38M1ミサイルの9N314M1弾頭について言えば、弾体に対して直角方向へ、ドーナツの輪のように破片が飛び散るよう設計されている。

したがって、9M38M1ミサイルはマレーシア機の南方(つまり右側)から飛来し、弾体がマレーシア機の機首を飛び越えたところで弾頭が炸裂したために左側に多数の弾痕が残った・・・というのがアルマーズ・アンテイの主張なのだが、それ自体がかなり苦しい説に見える上(普通は機首に接近した時点で近接信管が作動するのではないか?)、他のより自然なシナリオ(北方からの飛来)を排除する理由が充分でない。

「消えた」Su-25

「犯人」候補に挙がっていたSu-25攻撃機(Wikipedia)
「犯人」候補に挙がっていたSu-25攻撃機(Wikipedia)

今回の記者会見にはもうひとつの大きな意義がある。これまでロシア政府が陰に陽に唱えて来た「Su-25攻撃機による撃墜説」が、ロシア側からも正式に否定されたことだ。

撃墜事件の直後、ロシア軍参謀本部が開いた記者会見で「現場付近をウクライナ空軍のSu-25が飛行していた」と発表されたのを皮切りに、ロシアのメディアではSu-25説が周期的に取り上げられてきた。なかには、マレーシア機の弾痕がSu-25の搭載する機関砲と一致するとか、果ては「ある基地を離陸したSu-25が帰ってくると、積んでいたミサイルが無くなっていた。パイロットはひどい精神的ショックを受けていた」などという「出来過ぎ」な話まで流布していた。

しかし、本来は対地攻撃機であるSu-25がマレーシア機の飛行高度(約1万1000m)まで上昇できないのはちょっとした飛行機マニアでも知っていることで、現に製造元のスホーイ社のサイトにも上昇限界は7000mと書かれている。Su-25計画に深く関わったスホーイ社の元主任設計官、ウラジミール・ババクが、「Su-25があの高度まで上昇するのは不可能」と発言していることかしても明らかであろう。

さらにSu-25の速度や搭載可能な空対空ミサイルの威力など、ほぼあらゆる技術的要素からSu-25撃墜説には無理があった。

ならばロシアがしきりにSu-25説を推したのはなんだったのか。もちろんディスインフォメーションの一環であったのだろうが、それにしても不可解なことがある。ウクライナ空軍機が撃墜したというストーリーを描きたいならば、同空軍の保有するMiG-29やSu-27といった戦闘機による撃墜ということにすればよかった筈だ。

にもかかわらず、性能的に撃墜が不可能なSu-25を「主犯」に擬した理由は何か。また、ウクライナ航空局が当日の航空管制記録を公表したがらない理由は何か。このように考えていくと、当日、現場付近をウクライナ空軍のSu-25が飛行しており、しかもそれがあまり公にしたくないミッションを遂行中であった・・・という可能性が思わず浮かぶ。

以上は筆者の推理というより妄想であるが、マレーシア機撃墜事件が1年を経ても尚、多くの謎を残していることだけはたしかである。

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安全保障アナリスト

早稲田大学大学院修了後、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所客員研究員、国会図書館調査員、未来工学研究所研究員などを経て、現在は東京大学先端科学技術研究センター特任助教。主著に『現代ロシアの軍事戦略』(筑摩書房)、『帝国ロシアの地政学』(東京堂出版)、『軍事大国ロシア』(作品社)がある。

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