砂漠を生き抜く 上野の科学博物館企画展

東京上野の科学博物館で「砂漠を生き抜く」をテーマにした企画展を見てきました。

砂漠という厳しい環境に生きている人間、動物、植物を、アフリカ大陸北部のサハラ砂漠を周辺の4か国、アルジェリア、スーダン、エジプト、サウジアラビアを例に整理しています。

この中で私が特に興味をもったのは、アルジェリアの砂漠にあるオアシスでした。

アルジェリアのオアシスでは、人間と動物と植物が乏しい水を分かち合いながら生きています。

降水量は年間100mm、日本のほぼ20分の1、コップに半分ほどです。カラカラに乾燥した一帯には違いないのですが、それでもところどころにオアシスがあり、そこにはナツメヤシを中心に農業を営む人々が暮らしています。

オアシスですから、そこは水のあるところを意味していますが、自然に水の湧く泉があるわけではありません。

実は山地から引いているのです。

山地からの人工の地下水路をフォッガーロといいます。フォッガーロを掘削するには、ところどころに立坑を掘って、底から前後にトンネルを掘り進んで水路にします。ですから高い地点から眺めると、高地からオアシスに向かって、砂漠の中に立坑が点々と続いて見えます。

フォッガーロの水はオアシスに至ると、マシラアに溜まります。ラクダの水飲み場、人々が生活用水を得る池です。

次に、マラシアを溢れる水はカスリーという分水装置によって、複数の水路に配水されます。新しい水路はサーギヤといいます。暗渠と明渠があるそうです。

そして、家畜除けの塀で囲まれた農園の中のマジンという貯水池に流れ込んで溜まります。

農園で栽培するナツメヤシは、食料から建材、衣類、工芸品、燃料になる万能の作物ですが、農民は必要に応じてマジンから潅水するのです。

人間はラクダを飼うようになってはじめて砂漠で暮らせる能力を得ました。紀元前5000年前頃のことです。

砂漠の植物を人間が直接食べることはできませんが、ラクダは食べられます。ラクダに仲介をまかせることで、砂漠の植物が姿を変えたラクダの乳、酪業製品、肉として食べられるようになったのです。

今でもラクダは暮らしに不可欠です。糞は燃料に、皮などは工芸品、衣類に、砂漠を行く輸送の便にと、暮らしと一体になって共存しています。

ナツメヤシ、ラクダ、砂漠の民。三者の依存関係はいのちの源です。そしていのちの源を支えるのは、フォッガーロによって山地から導かれる水なのです。

水の共有こそが村落の存立の鍵だったということから、あるドキュメンタリー番組を思い出しました。このテーマは世界共通です。

1974年11月に放送になった「稲がまた実るとき」。私が過去に制作した忘れがたいドキュメンタリー番組のひとつです。

NHKアーカイブスで再放送した時に資料としたVHS録画テープが本棚の片隅に残っていました。

舞台は富山平野の神通川流域の扇状地。

神通川上流の岐阜県の神岡鉱山が廃棄物の中に含まれていたカドミウムのために、イタイイタイ病で知られる健康被害が発生した一帯です。

扇状地は豊かな水田地帯になってきました。上流から下流に向かって無数の田んぼが階段状に続きます。一つの田んぼの水が流れる先には次の田んぼの水口があり、その田んぼを潤した水は、その次の田んぼの水口に流れ込むという仕組みです。さらに村人は流れを自家の敷地の中に導いて、飲料水をはじめ生活用水にしていました。

水は農村の伝統的な共有の財産であり、村人は水汚染を避けるために万全の注意を払ってきました。

しかし、三井金属鉱業の神岡鉱山(岐阜県)が盛業を極めるなかで、川に投棄された排滓中のカドミウムが、田んぼで栽培された稲、そして米飯として、また飲み水を経て村人の体内に入りこみました。

やがてカドミウムの慢性中毒症状となって現れました。いつしか人と環境が蝕まれたのです。カドミウムが体内に蓄積されると骨が脆くなります。特に骨粗鬆症になる傾向の強い中高年女性に激烈な症状が出ました。

ちょっとしたはずみに骨折が起きるのです。発症した女性たちは全身を走る痛みに耐えかねて「イタイ、イタイ」と泣きました。

それがそのまま病名になったのです。

性生活はままならず夫との不和は家庭の崩壊を招きました。骨折しなくても腎臓が侵されました。腎臓障害には性差はありませんでした。

カドミウムによる健康被害が報告されたのは1910年、故萩野昇医師と農学者故吉岡金市がカドミウム原因を1961年に突き止めましたが、被害者と企業が和解したのは、100年以上たった今日2013年12月17日でした。

いずれにせよ、数百年位わたって水と共存してきたライフスタイルが、一転して健康被害、環境破壊の原因になったのです。緑なす田んぼは、カドミウム汚染田になりました。

敷地に引きこんでいた流れは、毒水に変わったのです。

その後、長く苦しい裁判の結果ようやく発生源の企業責任が認められました。

そして1974年、汚染田の復元実験が開始されることになりました。

パワーシャベルで田んぼから汚染土を剥ぎ取り、山から運んできた粘土分の多い土に入れ替え、ブルドーザーで均し、酸性を中和するために石灰を投入、最後に湛水して、インスタント水田が誕生しました。

ドキュメンタリーは、インスタント実験田の建設に始まり、田植えから収穫までに1年を追いました。

当時、米に含まれるカドミウムの許容量は0.4ppmでした。実験田の米が0.4ppm以下に収まるかどうかが注目点の一つ、一方、都市化、兼業化が進む中で農業の見通しが明るいとは言えないだけに、カドミウム汚染の評判を重ねた地域の農民たちが時代に翻弄されてゆくことがもう一つの注目点でした。

実験結果は、収穫された米のカドミウム含有量は、約0.4ppmというきわどいものでした。

いま改めて試写すると、内容が福島原発事故の放射能汚染と被害農民の姿に二重写しになっています。

国策企業の無軌道が、農民と環境の知恵と経験に基づく共存関係を無慈悲にも破壊する様子です。

歴史は繰り返すのです。過去はどんどん水に流して忘れ、同じ過ちを繰り返す。私たちの国の健忘症はますます重症化しているようにも思えます。

40年も前のドキュメンタリーでしたが、撮影中のこと、出会った人々のことを懐かしく思い出しました。今どうしているだろう。故人になった方々も多いことでしょう。ドキュメンタリーの出来栄えですが、制作者としてのメッセージも明確で、自分でいうのも気恥ずかしいものの、今でも鑑賞に耐えるいい番組になっていると思います。

科博の「砂漠を生き抜く」話に戻ります。

ラクダとの共存が暮らしの基盤という例をもうひとつ。水不足が続くとき、ラクダの乳は人間の飲み水の代わりになるそうです。

利用可能な水に含まれる塩分濃度でいうと、人間は0.15%、牛は0.7%、羊は1.8%、ラクダは5.5%だそうです。

海水の塩分濃度は大体3.5%ですから、ラクダは海水を飲用にできます。

それでいて腎臓に負担が出ない仕組みになっているばかりか、乳の塩分濃度は0.9%くらい。つまり、生理的食塩水のように人間の血液塩分濃度とほぼ同じ、したがって水代わりの飲用可能なのだそうです。

またラクダは、砂漠の極端な気温の変化に適応できる「変温動物」だそうです。

体温が40℃~34℃の間で変化する能力を備えているのです。

企画展では、ラクダの剥製が飾られていました。大きくて立派です。江戸時代に見世物に供されたラクダは、図体は大きいが動きが緩慢な様子で、そのため体が大きいけれど働かずにいる怠け者を「ラクダ」という悪口ができたといいます。

これはラクダにとっていささか不名誉、決してそんなことはありません。砂漠で生き抜いているだけに、私たちが知らない不思議な超能力を持った、もしかしたら神獣かもしれません。

企画展、2014年2月9日まで開かれています。