石垣田が消える? 悪魔の選択

ごちそうと言われる食べものはやまほどありますが、ため息が出るほど「おいしい」という言葉がぴったりなのは、炊き立てのご飯です。 新潟県南部の米どころで食べるご飯はまさにごちそうです。

つい先日のことですが、新潟県津南町(つなんまち)にある秋山郷に行きました。

秋山郷は日本有数の「里山文化」のあるところ、つまり人々が自然とともに生き自然とともに暮らしているところですが、その中の結東(けっとう)という集落の山で素晴らしい棚田を見ることができました。

それもただの棚田ではなく「石垣田」。まるで城を築くかのように、大小さまざま、形もさまざまに、ただひたすら山の斜面の高みにまで階段状に続く棚田の一枚一枚を、石垣がしっかりと支えているのです。

ちょうど収穫寸前の時期、石垣田はまさに黄金色の穂波に埋め尽くされていました。石垣づくりにいったいどれだけの時間をかかったことでしょう。何百年もの長い時間のなかでほぼ人力だけで築かれてきたこと、米作りに携わってきた先人たちの艱難辛苦、喜怒哀楽を想うと、涙がにじむほど感動しました。

しばし石垣田の壮観に魅せられたまま、至福のときを過ごしました。

石垣田で取れる米がおいしいのだそうです。こじんまりした郵便局をのぞいたら、地元の人が都会の知人に宅配便で送る新米入りのダンボールが見えました。

江戸時代の文人鈴木牧之(すずき ぼくし 1770-1842)は塩沢生まれの商人でしたが、魚沼地方や秋山郷を旅しては、風景、風俗、文化、行事など、この地に生きる人々の営みを挿絵入りのエッセイに書き残しました。

代表作の「北越雪譜」は40年もかかって書いた名著です。蓑の隙間から細かい雪が舞い込み肌を刺す豪雪の描写に、「こんな暮らしがあったのか」と驚いた記憶があります。

苗場(なえば)スキー場で有名になった「苗場山」は、山上に広大な湿原があります。

湿原に散在する浅い池に水草が水面に顔を出し、それがちょうど田植え後の田んぼのように見えたということから、牧之が苗場山と命名したといいます。

夏に苗場山に登って、「牧之の見たのはこの風景だ」と感慨を持って眺めました。実に的確な名前と思いました。

その牧之は「秋山紀行」に、秋山郷の農民の正真正銘の「一汁一菜」という貧しい暮らしに驚きながらも「飯は美味く、食が進んで三椀も食べた」としています。

石垣田産の米は特別に味がよかったのでしょう。

確かに、棚田の米がおいしいのには科学的根拠があるようです。カリウムはイネの生育に不可欠の栄養素です。ですから水田ではカリウム肥料を施すわけですが、平地の水田と違って棚田では森林から流れてくる水のなかにカリウムが含まれているので、水田ほどカリウム肥料を与えなくてもおいしいコメができます。

いまのように肥料が豊かではない昔に、理由はともかく棚田の米は美味しいことを発見した人々の英知、その観察眼に頭が下がります。

石垣田は里山文化を象徴する農民遺産として未来に残したいものですが、現実には厳しい問題に直面しています。

もしかしたらあと数年の寿命しか残っていないかもしれません。

少子高齢化、過疎化は、石垣田の面倒を見る人がいなくなっています。狭い斜面なので機械を有効に使えません。

何よりも生産する米の価格競争力がありません。

TPP交渉の結果で安価な米がどんどん流入するようになれば、ほとんどその瞬間に消えてしまう運命にあります。

米の価格を唯一無二の尺度とする限り、伝統も文化も水と稲作の技術も経験も風景も環境も、一気に崩壊、荒廃に向かうことになります。

築くのに数百年、壊れるのは一瞬。

安価を信奉し安いという価値だけに目がくらんで、現代人が過去からの遺産と未来への選択肢を売り渡してしまう。

これはもう「悪魔の選択」です。

世界に類のない高密度の長時間労働に耐えながら真面目な日本人が稼ぐお金は、燃料と食料と資源の輸入のために海外に流出しています。 あるいは、マネーゲームによる例外的な金満家を肥やしています。

それがここ50年余り続いてきた経済社会構造のもたらしたものでした。

これにはプラスもありましたが、マイナスもありました。

石垣田が消えていいはずはありません。里山にある燃料と食料に関わる「遺産」を活用する経済社会構造を、少なくとも日本人のサブシステムとして維持して行くように、知恵を絞ろうではありませんか。

それが、これから先の50年、100年を創造して行く方向と確信しています。