「核兵器は絶対悪」で思い出す『核の冬』

きょうは、68回目のヒロシマの日でした。

平和記念式典で広島の松井一美市長は「核兵器を「非人道的兵器の極みで絶対悪」と述べました。

核廃絶を国是としながら4月のNPT再検討会議では、80か国が賛成した共同声明の「いかなるときにも」の文言が、アメリカの核の傘で守られているという現実にそぐわないという理由で日本政府は賛同しませんでした。

また、NPTに加盟していないインドに向けて、日本は首相がセールスマンとなって原発を輸出しようとしています。

ひとつ残念だったのは、核兵器と表裏一体の「原子力平和利用」には甘い姿勢ですが、現状に一線を画す広島市長の言葉でした。

「絶対悪」で思い出したのは、NHKでディレクターをしていたおよそ30年前に私が企画した番組「核戦争後の地球~世界の科学者は警告する~」です。1984年8月6日と7日に前後編として放送しました。

もし核戦争が起きたら人類は生き残れるか。この問いに対してさまざまな分野の100人を越える世界的科学者に取材し、核戦争のもたらす破局的結末について警告するドキュメンタリーでした。

80年代前半は核兵器の均衡によって続いてきた「冷戦」の末期です。米ソ両大国が保有する核弾頭はおよそ5万発。両超大国はたがいに一つの攻撃目標に対し複数の核弾頭の照準を合わせていました。

核弾頭は小型化し高性能化していました。爆撃機と原子力潜水艦と大陸間弾道弾は、核攻撃の「トライポッド(3つの脚)」といいますが、「C3I」網(指揮、管制、通信、諜報のこと)と組み合わされて臨戦態勢が完成し、他に可動式の小型ミサイルも発達して戦場の実戦で使用可能な状況になっていました。

冷戦とは、核戦争勃発を抑止するための核兵器による「恐怖の均衡」のことです。しかし、このころ宇宙空間まで戦場とする技術の進歩で「恐怖の均衡」が崩れるのではないかとの疑心暗鬼が高まりつつありました。

その状況の中で、もし先制攻撃に踏み切るようなことになれば、世界はどうなるのか。世界は核戦争の深淵を見たのです。企画にきっかけは核廃絶以外に未来はないという、その思いからでした。

声明の「絶対悪」から連想した『核の冬』は、取材の過程で浮かび上がってきた核戦争がもたらす破局の具体例でした。

アメリカのカール・セーガン博士ら提唱した概念です。たがいに敵に対して核攻撃をすれば、世界各地で大規模な火災が発生します。そのため膨大な量の黒煙が立ち上ります。

都会の火災は身の回りにある大量の石油製品のために、黒煙の最大の発生源になります。道路のアスファルトも黒煙を上げて燃えます。森林が燃えます。こうした火災で生じる黒煙は、数千メートルの上空にまで達して漂います。

そのうち黒煙は太陽の赤外線を吸収して温度が上がるとともにさらに上空に昇り、風に流されて広がりながら成層圏に達し、時間がたつにつれて地球を覆い尽くします。宇宙から見れば青い星という地球は、核戦争の結果、灰色の星に変わるというのです。

その時地上では、黒煙が太陽光線を遮るために急激な温度変化が起きる可能性があります。セーガン博士らは、これを核戦争がもたらす突然の冬ということで「核の冬」と名付けました。核の冬による気温低下の程度には議論がありましたが、いずれにせよ核戦争が世界の気候を変え、人類は苛烈な異常気象に生存を脅かされます。

自然生態系の破壊、農業の破壊、人間社会の破壊と連鎖反応を繰り返しながら、核戦争にかろうじて生き残った人類を直撃することになるからです。

もちろん核兵器の影響は「核の冬」だけではありません。世界の原子力発電所は核攻撃の目標になっていました。原発に蓄えられた放射性廃棄物がまき散らされる事態、つまり何百ものチェルノブイリやフクシマの放射能汚染がもたらしたような事態が起きることでしょう。人類は放射能に満ちた環境から逃れるすべはありません。

核戦争は「絶対悪」として、核廃絶を実現すること。それは未来の世代に対して負うべき責任であると私は思います。

後日談になりますが、「核戦争後に地球」は放送番組としては大成功でした。世界のかなりの数の国々でも放送されました。けっこうな賞もたくさん頂いて、「人生に一回くらいは褒められることもあるんだな」と能天気に喜んでいたら、突然逆風に襲われました。

某大学教授の一行が「NHKの核戦争後の地球に関する公開質問状」を携えて局を訪問してきたり、同じ内容で国会の委員会で当時の民社党所属の某議員が質問と称するNHK批判の演説をしたり、某雑誌が核戦争後の地球の虚構と題する論考を掲載したり・・・。

その内容の出所は一緒で、それこそ虚構でした。

たとえば、「核の冬」はソ連の謀略であると断定して、その証拠としてモスクワ放送が番組と同じ内容を放送したとか、核の冬について論評したA教授の「生き残るのはシュエルター内で軍人の死体を食べたゴキブリだけ」という言葉を捉えて、ゴキブリが軍人と民間人を見分けられる理由を示せとか、核の冬で凍結しても魚類は海中に逃げるから、映像にあったように逃げ場を失った魚類が氷上で死ぬはずがないとか、まあ、その程度の「質問」でした。モスクワ放送と番組の類似点という一覧表までご丁寧に作っていただきましたが、ご苦労なことでした。

放送に先立って有楽町の外人記者クラブで試写し記者会見をしました。アメリカのABC、イギリスのBBC、新聞各紙も、「NHKが核廃絶の番組を制作」と報道しましたが、モスクワ放送がもしNHK番組と同じ内容を放送したのだったら、それはモスクワ放送が取材した結果だったのでしょう。民社党の某議員の質問に対し、政府委員(自民党)が「もしそうだったら遺憾」と述べましたが、NHKに対するマスコミ各社の応援があり、NHKの方も逆風に揺らぐことなく、時間とともに一件落着でした。

とはいえ、あまりめでたい話ばかりではありません。

クレームがくれば自己規制する傾向があります。クレームの内容が問題ではなく、クレームの有無が問題なのです。クレームをつける側はその事情を良く知っていて、とにかくクレームをつける。それはボディーブローのように効いてくるのです。

クレームをつける側の権力が強いほど、自己規制の度合いが強まります。言いがかりであっても権力を無視できないのです。この結果、クレームと自己規制のスパイラルが始まります。これはNHKだけの事情ではなく、メディア一般の傾向と言ってよいでしょう。その時頼りになるのは、報道の自由を保障する憲法21条、自己規制してはならないと思い返す根拠としての憲法12条です。

いかにその条文を掲げてしめくくりにしたいと思います。

憲法21条「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由はこれを保障する」

憲法12条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」