こんなに「前のめりの国」でいいのか?

ベルギーのブリュッセルとベルージュに行ってきました。

久しぶりにヨーロッパの街をホトホトと歩きました。

ブルッセルはベルギー王国の首都、またNATOやEUの本部にもなっています。

中世の11,12世紀、北ヨーロッパの商業都市として発展、当時は城壁に囲まれた都市でしたが、都市の実権を握っていたのは王様ではなく商人、手工業者のギルド(同業者組合)でした。経済力のあるギルドが政治を握っていた、市民権が王権を上回っていたのです。

大航海時代が始まるとともにギルドは衰退しますが、かつてのギルドの威光を示す金色の紋章を壁面に飾った建物が、いまでは観光の目玉になっているほどです。

今回もっとも印象に残ったのは、人々が暮らしを心から楽しんでいる様子です。

ちょうど日照時間が長い時期、薄暗くなるのは午後10時過ぎです。滞在中、幸い天気に恵まれたこともありますが、たくさんの人々に出会いました。

街の店や施設が開くには早くて午前9時から10時、それで4時30分から5時には閉じてしまいます。

例外はレストランやカフェです。午前中の街は閑散としていて、人が増えてくるのは昼過ぎからです。

レストランやカフェは歩道の真ん中までテーブル、イスを並べます。確かに、屋外での食事が気持ちがよい季節です。

そこに、いったいどこに大群衆が潜んでいたのかと驚くほどになるのは、まだまだ太陽がさんさんと降り注ぐ夕方の6時過ぎからです。

観光客だけではありません。仕事を終えた人たちがいっせいに街に繰り出すのか、歩道上のテーブルはすっかり埋まって、ベルギー名物のビールのジョッキを林立させての大騒ぎ。

東京あたりのビアホールがビジネスの男女で賑わうのと違うのは、まず年齢層の幅広さ。子ども連れのファミリーもいれば、かなりの高齢者もいます。車いすの人もいます。

そして、人種の多様さ。観光客を含め時間と空間をたまたま共にした人々が渾然一体となっています。

ビールとごちそうというのではなく、まさにそれぞれの人生が行き交ったその瞬間を愛おしく思っているような光景に、「一期一会」という言葉を連想しました。

ブリュッセルにもホームレスがいます。物乞いもいます。クスリ常用を疑わせる青白い顔の若い物乞いもいました。

世界を覆う格差社会から落ちこぼれる人がいるのは確かです。

しかし、それでもなお、人生を楽しむことを暮らしの一部とする人々の姿に、18世紀末の市民革命に始まるリベラルの伝統にもとづく「共生社会」の価値観は健在だと思いました。

「共生社会」の価値観とは、人生の勝ち組になることを最善とする競争至上主義とは対極にある価値観です。

ベルギー滞在中、ニュースはもっぱらスカイテレビ、BBC,CNNから知るだけでした。日本発のニュースといえば株の暴落くらいでした。

敢えて携帯もパソコンも持参しなかったベルギー滞在から帰国して、溜まっていた新聞を読むと相も変わらず国際的な大局観のない政治、選挙目当ての経済、極右主義者の発言など、あたかもモノに憑かれたような劇場型ニュースに溢れています。

たとえば、原発。

インドとの原子力協定締結に向けて、日本の国是であるはずの核廃絶に反することが明白な核拡散のリスクを顧みず、日印両首相が共同声明に署名しました。

福島原発事故の原因究明、被害救済、後始末が進まないままに、原発輸出に「前のめり」です。歴史に破廉恥の具体例として刻まれることでしょう。

さらに安倍政権は6月に成長戦略をまとめるということですが、そこには「原発の活用、再稼働に向けて政府一丸になって最大限取り組む」と、これも「前のめり」です。

6月1日には東京で「脱原発」を掲げて、世論を無視した原発政策への大規模な抗議集会が開かれましたが、電力4社は7月には8基の原発について「再稼働申請」を行うと、福島事故を忘れた「前のめり」姿勢を公表しています。こうした「前のめり」は原発に限ったことではありません。株価を上げるのは優先だがすぐに賃金アップに結びつくと思うな、地域経済が崩壊するのも仕方ない、サービス残業もありだ、企業ですぐ役立つように英会話教育が重要だ、農林水産業の壊滅、福祉、教育、医療の格差拡大の懸念があってもTPPを受け容れて「開国」だなど、列挙すれば果てしないことですが、これらはすべてワンパッケージの「前のめり」政策となっています。

経済戦争の「非常時」なのだから深く考えるな、問答無用、文句を言わずに国民全体が一心同体になって日本国という名の企業のために人生を捧げよ。そんな雰囲気です。

脇目も振らずに「前のめり」に突き進むべし。ついでに軍事大国にしたいという思惑も衣の下に鎧が見え隠れします。

不幸なことに、良心的でリベラルな政治家、財界人、知識人は、もはや絶滅危惧種状態になっているようです。

こんな「前のめり社会」が、未来世代に幸せをもたらすはずはありません。

私たちは、レミングの行進を続けてはならないのです。