科学詐欺師に騙されるメディア 「誤報」の背景(1)

10月11日の読売新聞1面トップを飾った「iPS細胞で心筋移植」の記事は、「誤報」ということになった。取材に初歩的な誤りがあったためだが、一方、科学研究における不正、虚偽、データの改ざん、論文のねつ造の多発、再発には、社会的背景が大きな影響を与えています。これをテーマの少々長い論評を書いたので掲載します。1回の長さはおよそ2000字が目途ということなので、7回に分けて連載します。

科学の不正、メディアの対応

科学ニュースが新聞一面トップになるのは珍しい出来事です。

10月11日の読売新聞朝刊1面の「iPS心筋を移植 初の臨床応用 ハーバート大日本人科学者、心不全患者に」は、もし真実だったら大スクープだったでしょう。

しかし、報道と同時に真偽に関する疑惑が噴出、わずか2日後の読売新聞夕刊はiPS心筋移植報道を「事実関係を調査します」として、事実上の撤回宣言を出すことになりました。詰めの甘さが招いた「誤報」でした。

最初に記事を見たとき、思わず口をついて出た言葉は「ウッソー!」でした。動物実験を重ねることなく一足飛びに患者に応用したのは死に瀕している患者を救うためだったとか、実施に関係した研究者は5人とか、倫理委員会の「暫定承認」を受けたとか、やたらとハーバート大を強調していることとか、異例の行動を「正義」と「権威」で正当化する詐欺師の手口が感じられたからです。それも口から出まかせのお粗末さでたちまち化けの皮がはがれた結果になりました。

読売新聞は「誤報」をしたということですぐに検証作業を始めることにしました。

このような科学詐欺師が登場するには背景があります。

研究者は論文を通じて業績を発表します。その論文のねつ造事件をたどると、何百年も前からあることで珍しくありません。

科学詐欺師の虚偽発表の動機は、やはり目のくらむような金と名誉が期待できるからです。もちろんそうした動機を生む社会経済的背景があります。露見しなければ特許を通じて大もうけできるかもしれません。巨額の資金が特定の研究分野に流れ込むことで利権の恩恵にあずかる夢もあるでしょう。

だからこそ、近年論文ねつ造までは行かなくても、データの改ざん、証拠の画像の修正などが頻発するようになってきているのです。

マスメディアを利用するのも科学詐欺師の常とう手段です。成功すれば世論が追い風になります。

一方、メディアの方はといえば、科学の世界は私利私欲の性善なる研究者が真理探究に努めているものとの「誤解」があります。スクープの対象になるような最先端の研究は理解するのが難しいこともあり、「専門家」を自称する研究者の発言を鵜呑みにしてしまいがちです。それが「誤報」につながります。

「誤報」の過度の防止にはリスクがあります。メディアが「誤報」を避けるために慎重になりすぎ自己規制が過ぎると、メディアの本来の役割である権力の不正監視がおろそかになる可能性があります。これはメディアだけではなく、社会にとってのリスクです。

「科学ニュースは誤報があってはいけない」という批判がありますが、あまりの声が大きいと、私には「メディアの役割を放棄せよ」と聞えます。科学が社会環境と無縁の状態で存在しているわけではないからです。

誤報がないように最大限努力をしてニュースを伝えるのは使命ですが、誤報のないニュースなどもともとないのです。誤報があったら撤回修正することは必要です。しかし、誤報を恐れて伝えないことの方が社会にとって弊害を生むことになります。

というようなわけで、今回の「誤報」に関しては、科学の世界で常態化している不正の問題、メディアのビヘイビアの両方から見ることが必要です。少々長くはなりますが、連載で両方の問題を書いてみようと思います。

===不正は3人に1人===

まずは、イギリスの科学雑誌「ネイチャー」が2005年6月9日に掲載したコメンタリー「科学者は不適切な行動をしている」と題する世界初の調査結果を紹介します。

アメリカの国立衛生研究所(NIH)のファンドで生命倫理の専門家3人が行ったもので、「過去3年間に不適当な行為があったか」の質問に答えてもらった無記名調査の結果です。

対象はバイオの分野の中堅と若手の研究者です。中堅と若手、それぞれ3409人と4160人の研究者に調査用紙を送り、1768人と1479人、合計3247人から「Yesか、Noか」の回答を得ました。

回収率は52%と43%ということになります。中堅と若手で回答の傾向が多少違いますが、ここでは全体の傾向で見ることにします。

1~16は不適切行為の例、数字は「Yes」と回答した人のパーセントです。

1.データの偽造、“調理”   0.3

2.主要な被験者要件を無視   0.3

3.研究成果に基づく製品を製造している企業との関係を非公表  0.3

4.不適切な学生、被験者、依頼人と関係  1.4

5.許可なく、あるいはクレジットなく、他人のアイディアを使用  1.4

6.研究に関連して秘密情報を承認なく使用  1.7

7.以前の研究のデータと矛盾するデータを使用  6.0

8.マイナーな被験者要件の非検証  7.6

9.他の研究者のデータの欠陥、データの誤った解釈を黙認  12.5

10.研究計画、手法、成果を、スポンサーの圧力で変更  15.5

11.同一のデータ、成果を二重投稿  4.7

12.不適切な著者のクレジット  10.0

13.論文や提言に、手法や成果の詳細を無記述  10.8

14.不適切、不適当な研究を計画  13.5

15.不正確な判断で観察結果、分析データを不採用  15.3

16.不適切な研究テーマに関するデータ保管  27.5

回答に応じた研究者の33%が、1から10までの行為を「Yes」と認めました。科学のコミュニティーがこうした不適切行為について「シロ」ではない状況が分かります。データの偽造、盗用、ねつ造が常態化し、それは科学研究の倫理に大きく影響しているというわけです。

これは決してアメリカだけのことではありません。他のことと同じように、アメリカンスタンダードはどこの国にも普遍的になって行きます。

むしろ「科学の研究は人間の好奇心からくる真実の探求」であり、「世俗とは関係のない聖なる領域の行為」と思い込むことの方が、非科学的になっているのです。(2回目に続く)