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妻を襲った夫の「奴隷」たち…北朝鮮社会で最も陰惨な事件

高英起デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト
金正恩氏(朝鮮中央テレビ)

 先日、本欄でも取り上げた北朝鮮で起きた、保衛員(秘密警察)の妻の殺人事件。

 暴言、暴行、拷問など恨みを買いやすい立場にある保衛員の妻に対する報復殺人との見方が浮上していたが、犯人が逮捕され、その実像が明らかにありつつある。

 容疑者として逮捕されたのは、会寧(フェリョン)市の南門洞(ナムムンドン)に住むキム某(40代)とハン某(30代)という2人の女性だ。北朝鮮では異例の、事件発生からわずか5日後の逮捕だった。

 北朝鮮では一般的に、事件の通報を受けてから捜査が始まるまで10日ほどかかる。ひとつの保安署(警察署)には1日に数十件の通報があり、処理が追いついていないからだ。特にコロナ禍で治安の悪化が言われている今はなおさらのことだろう。

 だが、今回は被害者が保衛員の妻だという点で、政治的に深刻な事件とみなされ、会寧市安全部(警察署)は通常の3倍の15人を動員して捜査。迅速に容疑者逮捕へと繋がる異例の展開となった。

 捜査班が、被害者が殺害された当日に携帯電話で通話した人物を徹底的に洗い出した結果、キムとハンの両者が捜査線上に浮かんだ。取り調べでキムは「ハンと結託して、保衛員の妻を動物園の近くに呼び出して殺害した」と自白した。

 実はこの2人、被害者の夫の情報員、つまり手下のスパイであることが判明し、衝撃が広がっている。2人は市場や職場で、体制に都合の悪い噂話や情報を収集して、保衛員に報告する役割を担っていたという。

 北朝鮮の保衛員は、多ければひとりで数十人もの情報員を運用し、身近な人々の言動を密告させている。情報員たちの多くは、何も好きこのんでやっているわけではなく、保衛員が恐ろしくて渋々従っているのだ。

(参考記事:濡れ衣の女性に性暴行も…北朝鮮で警察官への報復殺人が続発

 仮に保衛員の要求を断って不興を買えば、自分が政治犯に仕立て上げられかねない。特に女性の情報員たちは同じ理由から、性的な関係を強要されているケースもある。

 そのような事情を踏まえると、保衛員の「奴隷」にさせられた女性らが恨みを抱き、報復殺人に走ったとも考えられる。

 一方、市民の間ではこんな噂が広がっているという。

「緻密に準備された計画的な殺人だけあって、保衛員(被害者の夫)が情報員に殺害させたのではないか」

 いずれの見立てが正しいにせよ、北朝鮮社会の最も陰惨な部分を背景にした事件と言える。

 波紋が広がることを恐れた安全部は、事件の捜査結果を隠蔽しようとする動きを見せているという。

デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト

北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。関西大学経済学部卒業。98年から99年まで中国吉林省延辺大学に留学し、北朝鮮難民「脱北者」の現状や、北朝鮮内部情報を発信するが、北朝鮮当局の逆鱗に触れ、二度の指名手配を受ける。雑誌、週刊誌への執筆、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に『コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記―』(新潮社)『金正恩核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』(宝島社)『北朝鮮ポップスの世界』(共著)(花伝社)など。YouTube「高英起チャンネル」でも独自情報を発信中。

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