豆満江(トゥマンガン)を挟んで中国吉林省延辺の対岸に位置する北朝鮮の国境都市・会寧(フェリョン)にはかつて、「西太后」との異名を取った女帝が君臨していたという。中世ではなく、現代の北朝鮮での話だ。

本名をチョン・ピルスンというこの女性は、ある方法で地元の権力機関を掌握し、家族とともに贅沢三昧をしながら優雅に暮らしていた。しかしある時、当局の捜査によって不正が暴かれ、刑場の露と消えた。

その経緯を、韓国紙・東亜日報記者で、脱北者出身のチュ・ソンハ氏が自身のブログで伝えている。チョン氏が摘発された一件は、北朝鮮当局が国民に警告するための教育資料に掲載されており、チュ氏の解説もそれに基づいている。

チョン氏は長きにわたり、地元の旅館で支配人を務めていた。国家により指名された支配人は、旅館の事実上の経営者である。チョン氏は二重帳簿をつけて旅館の収益を横領し続けていたのだ。

だが、北朝鮮の地方都市で贅沢三昧をすれば、いやでも目立つ。地元当局が、それを感知しないはずがない。そこでチョン氏は、地元の有力幹部をことごとく籠絡した。旅館に招き、性接待を繰り返したのである。

しかしそれにしても、北朝鮮の地方都市において、旅館経営だけでどれほどの利益を上げられるのだろうか。これは推測だが、地元幹部と癒着して、組織的な売春や覚せい剤の密売など、様々な犯罪行為に加担していた可能性がある。

(参考記事:北朝鮮「性の狂宴」で処刑された11人の最高幹部

チュ・ソンハ氏の解説によれば、チョン氏の横領が発覚したのは、彼女の下で16年間にわたり経理を担当した女性職員が、どこかで漏らした内輪話がきっかけだった。その内容を把握した咸鏡北道(ハムギョンブクト)の保安部が、道庁所在地である清津(チョンジン)にチョン氏を呼び出して逮捕したという。

なぜ、清津に呼び出したのか。それはおそらく、会寧の地元当局はチョン氏と癒着しているため、まともな捜査は困難と判断したからだろう。あるいは、さすがの女帝も、清津の保安部にまでは接待の手が回らなかったのかもしれない。

逮捕後もチョン氏は、粘り強く無実を主張して抵抗した。罪を認めれば、死あるのみである。また彼女の右腕だった女性職員も、逮捕が迫るや、旅館の3階から飛び降りて自殺を試みた。チョン氏に義理を立てたのかもしれないし、取り調べで加えられる拷問を恐れたのかもしれない。

しかし最終的にチョン氏は、保安部から息子の覚せい剤乱用を立件すると脅され、横領の容疑をすべて認めたという。

だがハッキリ言って、これくらいの話は北朝鮮のどこにでもあることだ。チョン氏は単に、運が悪かっただけかもしれない。