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金正恩氏「1年5ヶ月の空白」から見えてくる危機

高英起デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト
金正恩氏(朝鮮中央通信)

 朝鮮人民軍(北朝鮮軍)に関する人事で気になる動きがあった。9月7日、朝鮮労働党中央委員会政治局は、朴正天(パク・チョンチョン)前朝鮮人民軍総参謀長が、党中央委員会政治局の常務委員(党書記兼任)に任命されたとの公報を発表した。また、劉進(ユ・ジン)、リム・グァンイル、張正男(チャン・ジョンナム)の各氏が党中央委員会政治局委員候補に昇格した。リム氏は軍総参謀長、劉氏は党軍需工業部長に任命された。

 常務委員は党の権力中枢を占める要職だ。今後、朴正天氏の主導で、北朝鮮が核・ミサイルなど軍事力の強化を再開する可能性もある。

 一方、金正恩総書記の軍関連の動きをめぐり、昨年から異例と言える事態が続いている。デイリーNKジャパンが、金正恩氏の2020年以後の動静を調べたところ、1年5ヶ月も軍部隊の現地指導や視察を行っていないことが明らかになったのだ。

 金正恩氏は2020年4月12日、空軍の追撃襲撃機連隊を視察し、「不屈の祖国防衛精神と肉弾自爆精神を身につけたこの連隊の戦闘飛行士たちは自分らの高い飛行戦闘任務遂行能力を誇示することで、領空守護意志をはっきり示した」と強調した。この視察を最後に現時点(9月8日)まで、金正恩氏は一度も軍部隊の視察を行っていない。

 金正恩氏は2011年以後、頻繁に軍部隊を訪れていた。砲弾や銃弾が飛び交う演習を見るのがよほど好きなのか、軍部隊の視察では満面の笑みを浮かべ、無邪気にはしゃぐ姿が北朝鮮公式メディアにより発信されてきた。こうした前例からすると、この1年5ヶ月の「空白期間」は異例だ。

 金正恩氏が軍部隊を訪れなくなった理由として、まず考えられるのは新型コロナウイルス(COVID-19)問題だ。軍隊には3密が避けられない環境がある。しかも地方に出向くのは確かに感染リスクが高まる。しかし、金正恩氏はすでにCOVID-19が世界的な感染問題となりつつあった2020年2月から4月まで頻繁に軍部隊を訪れていた。同年8月には黄海北道(ファンヘブクト)の水害被災地に自らSUV車のハンドルを握って訪れた。

 最も考えられる理由は健康問題だ。2020年4月、金正恩氏の死亡説が世界に流れた。これは韓国デイリーNKが報じた「金正恩氏が心血管手術を受けた」というスクープが発端だった。金正恩氏は5月に登場し死亡説を打ち消すが、右腕にはそれまでになかったカテーテル痕らしきものが見える。金正恩氏は、心血管治療(ステント治療)を受けていた可能性が高い、すなわち心臓に爆弾を抱えているわけだ。

 それでも、金正恩氏は党の行事は頻繁にこなしている。同年10月には朝鮮労働党創建75周年軍事パレード、2021年1月には労働党第8回大会、同大会を記念する軍事パレードを開催した。これだけを見ると、精力的に公開活動に勤しんでいるようだが、いずれも地方に出向く視察や軍部隊の指導に比べると、体力的にも精神的にも負担が大きい活動ではない。金正恩氏が現地指導で地方を訪れる時、特殊な動線の問題から多大なストレスを強いられており、とりわけトイレ問題は深刻だとされる。

(参考記事:金正恩氏が一般人と同じトイレを使えない訳)

 金正恩政権は、今年12月で丸10年となる。日米韓など比べ、かなりの長期政権となっているのだ。もちろん、独裁国家ならではの長期政権であり肯定的な評価は下せないが、侮れない政権であること認めざるをえない。しかしここに来て、金正恩氏の健康問題こそが北朝鮮体制存続の最大のリスクになる可能性を「1年5ヶ月の空白」が物語っている。

デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト

北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。関西大学経済学部卒業。98年から99年まで中国吉林省延辺大学に留学し、北朝鮮難民「脱北者」の現状や、北朝鮮内部情報を発信するが、北朝鮮当局の逆鱗に触れ、二度の指名手配を受ける。雑誌、週刊誌への執筆、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に『コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記―』(新潮社)『金正恩核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』(宝島社)『北朝鮮ポップスの世界』(共著)(花伝社)など。YouTube「高英起チャンネル」でも独自情報を発信中。

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