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金正恩「女性にぎやかし部隊」に駆り出された、ある主婦の受難

高英起デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト
金正恩夫妻とモランボン楽団(朝鮮中央テレビ)

北朝鮮の労働現場の映像を見ていると、ワゴン車に積まれたスピーカーから威勢のいい声で何かを叫びつつけている一団をよく見かける。現地で「扇動隊」と呼ばれているものだ。正式には「機動芸術宣伝隊」と呼ばれ、1961年に故金日成主席の指示に基づいて発足した。

工場、企業所、協同農場、建設現場を周り、朝鮮労働党の政策を宣伝し、歌って踊って労働意欲を高めるのが目的で、優秀な隊には賞が与えられる。

どんな効果があるのか甚だ疑問だが、今でも各地で続けられている。さて、咸鏡北道(ハムギョンブクト)の災害被災地では、復旧作業に当たる人々を鼓舞するために扇動隊が動員されたのだが、鼓舞するどころか逆に倒れてしまう事件が起きたと、現地のデイリーNK内部情報筋が伝えた。

(参考記事:女性芸能人たちを「失禁」させた金正恩氏の残酷ショー

北朝鮮の各地、中でも北東部や北西部では、今月に入ってから降り続いた長雨により甚大な被害が発生したが、被災地の一つ、咸鏡北道の朝鮮労働党委員会は14日、女盟(朝鮮社会主義女性同盟)に対して、現場で扇動隊の活動を行うよう緊急指示を下した。

指示に基づき、女盟のメンバーは災害復旧に当たる作業員の出勤、退勤時間に合わせて、朝夕2時間ずつ道端で、歌って踊ってシュプレヒコールを叫びながら、花束を振り続けた。党委員会は、彼女らに扇動だけではなく、実際の復旧作業にも参加せよとの追加指示を下した。結局、彼女らは二手に分かれ、一方は復旧作業を、一方は扇動活動を続けた。

そんなある日、清津(チョンジン)市の女盟のメンバーが急に倒れた。現場にいた市人民委員長(市長)が自らの車に乗せて病院に搬送、診察を受けさせたところ、ひどい栄養失調と熱中症によるものだとの診断を受けた。

食糧難がひどくなる中、彼女は1日1杯の粥だけで糊口をしのぎ、水を飲んで空腹を満たしていたのだった。そんな窮状を知った人民委員長は、全住民の生活が苦しい中で、家庭の生計の責任を負う女性まで動員しなければならないのかと、党委員会にかけあった。つまり、普段なら彼女らは市場で商売をして一家を経済的に支えているが、動員によりそれができなくなり、ただでさえ苦しい生活がより苦しくなっているということだ。

それに対して党委員会は、人民委員長の態度がなっていないと逆に批判し、「今の世の中で苦しんでいない人がどこにいるのか」「皆が苦しいのに、一部だけを大目に見るようでは、誰が建設現場や行事に行こうとするのか」などと激しく罵ったという。

さらには人民委員長に対し、彼女や他の絶糧世帯(食糧が底をついた世帯)の生活上の困難を解決し、積極的に扇動に動員せよと、住民に対する責任を丸投げする始末だ。

この話を聞いた住民の間からは当然のように、人民委員長に対する支持と共に、党委員会を非難する声が上がったという。

「人民委員長の考えが全く正しいのに、党は女性をどれだけ苦労させているのか知ろうともせず、生きようが死のうが現場に追いやっている」(情報筋が伝えた住民の声)

「党が行政をバカにして見下す現象を党(の上部)に報告してもむしろ問題視されるだけだ」(同)

なお、倒れて入院した女性は、高熱を出したため、2日目からは自主隔離を強いられているという。食糧配給などのないままで、自宅に閉じ込めるというのが北朝鮮式の自主隔離だ。もしかすると生きて家から出てこれないかもしれない。

デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト

北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。関西大学経済学部卒業。98年から99年まで中国吉林省延辺大学に留学し、北朝鮮難民「脱北者」の現状や、北朝鮮内部情報を発信するが、北朝鮮当局の逆鱗に触れ、二度の指名手配を受ける。雑誌、週刊誌への執筆、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に『コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記―』(新潮社)『金正恩核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』(宝島社)『北朝鮮ポップスの世界』(共著)(花伝社)など。YouTube「高英起チャンネル」でも独自情報を発信中。

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