「顔面を真っ赤にして激怒」金正恩氏、国内ナンバー2を処刑か

金正恩氏(朝鮮中央テレビ)

韓国紙・東亜日報の敏腕記者で、脱北者でもあるチュ・ソンハ氏が自身のブログで、かつて北朝鮮の「ナンバー2」と見られていた黄炳瑞(ファン・ビョンソ)元軍総政治局長が処刑された可能性が高いと伝えている。

黄炳瑞氏は2017年10月、公式の場から姿を消した。同11月には韓国の情報機関・国家情報院が国会情報委員会に対し、「党に対する不純な態度を問われ処罰されたもよう」と報告した。

女性芸能人処刑の責任者と

しかし翌年2月16日、北朝鮮メディアが報じた写真にその姿が確認され、6月には金正恩党委員長の中朝国境地帯の視察に同行。朝鮮中央通信などは黄炳瑞氏の肩書を「朝鮮労働党中央委員会の幹部」と伝えた。さらに8月13日、金正恩氏の平安南道(ピョンアンナムド)視察に同行したことが報道され際には、肩書は日本の中央省庁の次官に匹敵する「党中央委員会第1副部長」となっていた。

ところがこれから間もなく、黄炳瑞氏はまたもや公式の場から姿を消す。北朝鮮メディアに登場したのは、同年12月3日付の報道で金正恩氏の元山製靴工場視察に同行したことが伝えられたのが最後だ。2019年3月には、最高人民会議代議員の資格を失ったことが確認されている。

チュ・ソンハ氏によれば、転落のきっかけは2017年10月12日に行われた平壌万景台革命学院創立70周年行事での出来事だった。抗日パルチザン遺児を教育するため1947年に設立されたこの学校は、今も金正恩体制の核心エリートの養成を担っている。

記念行事に参加した金正恩氏は、施設を見て回り芸術公演を鑑賞した後、運動場に出た。ところが、こうしたイベントに付き物の体育行事が準備されていなかった。

金正恩氏は隣にいた黄炳瑞氏に、「なぜ体育行事を行わないのか」と質問。当時68歳だった黄炳瑞氏は33歳の金正恩氏に対し、あたふたした様子で「中央党(党中央委員会)と相談してそのようにした」と答えた。

この回答に金正恩氏は「中央党が、お前が相談すべき相手か」と怒りを露に出し、顔を真っ赤にして車で走り去ったという。北朝鮮では、革命の担い手である朝鮮労働党の頭脳・中央党といえども、金正恩氏に徹底的に服従することが求められる。誰かと誰かが相談して、物事を決められる場所ではないということだ。

黄炳瑞氏は当時、金正恩氏を含めわずか4人だけの党政治局常務委員であり、国務委員会副委員長、軍総政治局長、中央軍事委員などを務めていた。肩書で見れば、まさにナンバー2である。

そんな大幹部であっても、体育行事ひとつ自らの判断で決められないのだ。チュ・ソンハ氏は、「もちろん金正恩が腹を立てたのは、体育行事のためだけではないだろう。軍をしっかり統率できない黄炳瑞への積もり積もった不満が爆発したと見るべきだ」としている。

黄炳瑞氏が軍を統率できていなかったというのは、部隊内での飢餓や虐待の横行により、軍紀が乱れきっていることを言っているのかもしれない。

この行事の翌日から、軍総政治局は中央党組織指導部の検閲を受け、黄炳瑞氏をはじめとする幹部数人が「革命化」と呼ばれる再教育に送られたという。

その後、同氏が一時的な復権を経て再び姿を消したのは前述したとおりだ。チュ・ソンハ氏は、「昨年7月頃、黄炳瑞の運命が完全に終わったとの情報が、北朝鮮からもたらされた。彼の一族が消えたというのだ」と説明。

そして黄炳瑞氏のその後について、「教化所(刑務所)送りになったとか、平壌近郊の労働者に降格されたなどの情報が錯そうしていた。しかし、最も信頼性の高い情報源は、黄炳瑞が昨年5、6月頃に金元弘(キム・ウォノン)とともに処刑されたと伝えてきた」としている。金元弘氏は女性芸能人の処刑などを指揮した国家保衛省の元トップである。

(参考記事:女性芸能人たちを「失禁」させた金正恩氏の残酷ショー

チュ・ソンハ氏も、黄炳瑞氏が処刑されたものと断定はしていない。ただ、泣く子も黙る大幹部だった人物が、外部からはまったく姿を捉えられないほどに、徹底的に消し去られてしまったことだけは事実と言える。