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ドキュメント:北朝鮮亡命兵「救出作戦」の実戦状況

高英起デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト
ジープを乗り捨てて走る北朝鮮の亡命兵士(提供:United Nations Command/ロイター/アフロ)

国連軍が公開した板門店の監視カメラの映像は、13日午後3時11分に朝鮮人民軍(北朝鮮軍)の下士官、呉(オ)氏が運転するジープを捉えたところから始まる。ジープは北から南へ向かって疾走、2分後には軍事境界線手前に到達した。この間、いくつかの分かれ道があるが、呉氏が迷った様子はなく、土地勘のあることがうかがえる。

韓国軍中佐「私が犠牲になっても」

午後3時15分、呉氏が動けなくなったジープを捨てて、韓国側へ向かって走り出す。そしてその2秒後、カメラの視界に入ってきた北朝鮮軍の追撃兵2人が呉氏に向かって銃撃を開始。わずかに遅れてやってきた兵士2人も、銃撃に加わった。

このとき、自動小銃を持った追撃兵ひとりは、地面に腹ばいになる「伏せ撃ち」の姿勢を取った。どうやら、「膝撃ち」の姿勢を取ろうとして、落ち葉で滑ったように見える。ほかの3人は拳銃を持った2人が「立ち撃ち」で、自動小銃を持った1人が「膝撃ち」である。

このとき彼らは、軍事境界線からわずか2メートルほど北側にいた。彼らの左手に見える建物は、かつて北側の中立国監視委員会が会議場としていたもので、現在は使われていない。軍事境界線をまたぐ形で立っており、半分は韓国側に位置する。

呉氏が全速力で走り去ると、追撃兵のうち3人は後方へ下がったが、「伏せ撃ち」の1人はなお、呉氏を追いかける動きを見せた。南へ駆け出したこの兵士は一瞬、建物よりも南側へ入り、慌てて戻っていった。呉氏がジープを捨ててからここまで、約27秒。銃撃は12~13秒で、その間に40発余りの銃弾が発射された。

(参考記事:駆け出す兵士に追手が銃撃…国連軍が北朝鮮兵亡命の映像公開

この間、北朝鮮軍は2つの停戦協定違反を犯している。まず、追撃兵が軍事境界線を越えたのは明らかだ。次に追撃兵が自動小銃を携帯していたのも問題だ。協定では、共同警備区域(JSA)の警備兵が携帯できるのは拳銃1丁または手動式のライフル1丁に限られているからだ。

一方、北朝鮮側エリアでは戦闘拡大に備えるように、金日成主席の名前が刻まれた記念碑の前に、十数人の兵士が重武装で集結していた。

そして3時43分、韓国側施設「自由の家」左側の遮蔽物の陰に、呉氏が倒れている姿が監視カメラで確認される。その12分後の3時55分、韓国側警備大隊長のクォン・ヨンファン中佐と副士官2人が、匍匐(ほふく)前進で呉氏に接近した。呉氏から北朝鮮側警戒所までの距離は、100mもない。訓練された狙撃兵ならば、絶対に外さない距離だ。増員された北朝鮮兵が、銃を向けている様子も見えたという。

呉氏まで10mほどの距離に近づいたところで、クォン中佐は「伏せ撃ち」の姿勢を取り、K-2自動小銃を構えた。北側の動きに異変が見られた場合、部下たちと呉氏を援護して応射するためだ。まさに「実戦」そのものの状況である。

副士官2人は匍匐前進を続け、呉氏に到達。クォン中佐のいる位置まで引っ張っていき、3人は呉氏とともに20m離れた安全地帯に移動した。呉氏はこうして韓国軍に救助された後、米軍航空医務後送部隊「ダストオフ(DUSTOFF)」のヘリで応急処置を受けつつ、京畿道の圏域外傷センターに指定されている亜洲大学病院に運ばれた。

このときのクォン中佐の行動を巡っては、「(指揮を取るべき)大隊長がなぜ、直接救助に向かったのか」との疑問も一部で出た。それに対してクォン中佐は、次のように説明している。

「救助に向かった時点ではすでに、(韓国側の)増援部隊の配置が済み、いつでも交戦できる状況だった。死ぬかもしれないところに、部下を送り出すことができなかった。指揮は、米軍の警備大隊長が取ることもできるので、私が犠牲になっても大丈夫だと判断した」

さらにクォン中佐は、このようにも語ったという。

「北朝鮮軍は右往左往したが、我が方の兵士たちは私の指示に従い、一糸乱れぬ動きを見せた。部下たちを誇らしく思う」

(参考記事:北朝鮮の亡命兵士の腸が寄生虫だらけになった理由

(参考記事:北朝鮮女性を苦しめる「マダラス」と呼ばれる性上納行為

デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト

北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。関西大学経済学部卒業。98年から99年まで中国吉林省延辺大学に留学し、北朝鮮難民「脱北者」の現状や、北朝鮮内部情報を発信するが、北朝鮮当局の逆鱗に触れ、二度の指名手配を受ける。雑誌、週刊誌への執筆、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に『コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記―』(新潮社)『金正恩核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』(宝島社)『北朝鮮ポップスの世界』(共著)(花伝社)など。YouTube「高英起チャンネル」でも独自情報を発信中。

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