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脱北女性の「性的被害」を利用する金正恩氏、放置する韓国政府

高英起デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト
金正恩氏

最近まで韓国のバラエティ番組に出演していた脱北者が北朝鮮に戻っていたことが明らかになった。

タレントのイム・ジヒョンさんは昨年12月から今年1月にかけて、朝鮮日報系のテレビ朝鮮で放送中のバラエティ番組「モランボンクラブ」に4回出演し、その後はリアリティショー「南男北女セカンドシーズン」に今年4月まで出演していた。

ところが、最近になって彼女が姿を表したのは、北朝鮮の対外向けプロパガンダサイト「わが民族同士」で公開された「反共和国謀略宣伝戦に利用されていたチョン・ヘソンが明かす真実」という動画だった。

この動画で「イム・ジヒョンという名前は仮名だった」とし、チョン・ヘソンという名前で出演した彼女は、2014年1月に南朝鮮に行ったが、2017年6月に祖国の懐に再び抱かれ(帰国)、平安南道(ピョンアンナムド)安州(アンジュ)市の文峯洞(ムンボンドン)で両親と一緒に暮らしていると現状を語った。

脱北については、「たくさん食べることができ、お金もたくさん稼げるという幻想を持って南に行くことになった」とした上で、「金を稼ぐために酒場などをあちこち回ったが、お金で左右される南では肉体的・精神的な苦痛ばかりがつきまとった」と主張した。

北朝鮮当局がおぜん立てしたこのような動画で、出演者が本心を自由に語ることはできない。ただ、新天地を夢見ていた脱北者たちが、韓国で最底辺の生活に喘いでいるのも事実だ。

(参考記事:「自由」の夢やぶれ韓国でも性的搾取…脱北女性の厳しい現実

一方、一部の韓国メディアはイムさんがアダルトネット放送に出演し摘発されたとの情報を伝えたが、韓国警察は「摘発されたのは別の脱北女性である」として、これを否定した。ただこの件とは別に、人身売買で中国に送り出された北朝鮮女性が、何の法的保護も受けられない状態でアダルトビデオチャットへの出演を強制されるなどの性的被害に遭い、その過去が韓国定住後に取り沙汰される現象は実際に起きているという。

(参考記事:中国で「アダルトビデオチャット」を強いられる脱北女性たち

その原因は、中国政府が北朝鮮に協力し、脱北者を見つけしだい強制送還していることにあるわけだが、それに対し韓国政府が強力に抗議しているという話は伝わってこない。

そもそも韓国の文在寅大統領は、もともとは人権派弁護士だったはずだが、強制送還の恐怖に震えながら中国に潜伏し、現地でも韓国でも苦難にあえいでいる脱北者たちのことをどう考えているのか。

(参考記事:北朝鮮、脱北者拘禁施設の過酷な実態…「女性収監者は裸で調査」「性暴行」「強制堕胎」も

イムさんは「わが民族同士」の動画の中で、韓国のテレビ出演について次のように話している。

ある日、台本を見ると北朝鮮を批判するセリフが書かれており、政治的な発言は嫌だと断ったが、「40万ウォン(約4万円)稼ぐのが楽だと思っているのか?」として発言を強いられた――。

また、「一日一日が地獄のような」韓国社会に疑問を抱いた彼女は、両親に会いたくなり「血の涙を流し」ていたという。そして、知人が「銃殺されるぞ」と止めるのも聞かずに、北朝鮮に戻ったとも述べた。

前述したとおり、こうした内容の多くは、北朝鮮当局によって強制されたものだろう。

今回のイムさんが北朝鮮に戻ったことについて、本心からの行動ではなく、拉致や逮捕によるものだとの指摘がなされている。情報機関の関係者が中央日報に語ったところによると、脱北者が北朝鮮に残った家族を韓国に連れ出すために北朝鮮に一時的に戻ることはよくあることだとして、彼女も同じように家族を連れ出そうとし、その過程で逮捕された可能性を示唆した。

しかし確かなのは、北朝鮮当局が脱北者の窮状をよく把握しており、それを体制宣伝のために逆利用しているということだ。

韓国がいかに経済力や軍事力で北朝鮮を凌駕しようとも、同胞たる脱北者の人権救済のために抜本的な対策を講じることができないうちは、金正恩体制を否定し、朝鮮半島全体の民主化を主導する資格を認められることはないだろう。

それはすなわち、韓国の民主主義の脆弱さが、金正恩体制に存続の余地を与えているということを意味しているのだ。

デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト

北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。関西大学経済学部卒業。98年から99年まで中国吉林省延辺大学に留学し、北朝鮮難民「脱北者」の現状や、北朝鮮内部情報を発信するが、北朝鮮当局の逆鱗に触れ、二度の指名手配を受ける。雑誌、週刊誌への執筆、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に『コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記―』(新潮社)『金正恩核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』(宝島社)『北朝鮮ポップスの世界』(共著)(花伝社)など。YouTube「高英起チャンネル」でも独自情報を発信中。

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