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金正恩体制に突きつけられた「負の遺産」

高英起デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト

北朝鮮の金正恩氏が、「人道に対する罪」で裁かれようとしている。早ければ明日(18日)にも北朝鮮人権決議案が、国連総会本会議で採択されようとしているが、進展如何によっては、「人道犯罪者」として金正恩氏の責任がICC(国際司法裁判所)で問われる可能性が高まってきた。

「人道に対する罪」について、辞書は次のように説明している。「戦前または戦時中一切の一般人民に対して為された殺戮,殲滅,奴隷的虐使,追放その他の非人道的行為,または政治的,人種的もしくは宗教的理由に基づく迫害行為」(コトバンク)。

これ以上ないほどの恐ろしい罪だ。連想される名前はヒトラー、スターリン、ポル・ポトあたりだろうか。そしてここに、金正恩氏の名前が加えられようとしている。弱冠33歳の彼は、いつの間にこれほどの罪を犯したのか。

実際のところ、彼が問われている罪のほとんどは彼の祖父(金日成)、そしてちょうど3年前に死んだ父親(金正日)によって重ねられたものだ。正恩氏も、とんでもない「負の遺産」を押し付けられたものである。

政敵を血の粛清で葬り去ることによって確立させた金日成体制。核危機や経済問題を瀬戸際外交と先軍政治で乗り切った金正日体制。いずれも共通しているのは、独裁体制を築き上げる過程で生み出される矛盾を「人権侵害」という形で北朝鮮住民に押しつけたことだ。

「政治犯収容所」「言論統制」「大飢饉」など、北朝鮮が生み出したほぼ全ての矛盾は「人権侵害」として住民の生命と財産を脅かしてきた。

そのことをわかっているのか、彼は国際社会からの追及に、弁明のためのウソを重ねている。その陰で、重大な人権蹂躙(まず間違いなく殺戮も)が現在進行形で重ねられているからだ。それを見透かされながらも、正恩氏はなお弁明に必死だ。

国連で北朝鮮が追い詰められる上で重要な役割を果たした、申東赫(シン・ドンヒョク)という脱北者がいる。生き地獄のような政治犯収容所を脱出したという彼の証言の信用を貶めるべく、北朝鮮当局は彼の実父をビデオに出演させ、息子を犯罪者呼ばわりさせた。なかなかに凝った内容だが、そのうち制作陣の誰か(あるいはその関係者)が脱北して真相をぶちまけるから、「やらせ」であることは遠からずバレる。

それを薄々知りつつも、北朝鮮は黙っていられない。それだけ、いまを乗り切ることに必死なのだ。最近、正恩氏の側近がプーチン大統領と会ったのも同じ文脈からだろう。ウクライナ問題で孤立するロシアにすりより、国連安保理で拒否権を行使してもらおうという魂胆なのだ。

正恩氏がここまで必死になるのは、「人道に対する罪」が、北朝鮮の体制が望んできたものすべてをぶち壊しにするからだ。核とミサイルを材料にいくら取引を試みても、まともな国(そして企業)は“ヒトラー”と商売などしない。これまで自ら望んで鎖国体制を敷いてきた北朝鮮は、国を開きたくとも開けない闇の中に封じ込められてしまうのだ。

正恩氏が「人道に対する罪」から逃れるために、できそうなことはひとつしかない。いますぐ政治犯収容所を閉鎖して、すべての罪を祖父と父になすりつけ、断罪するのだ。

人道的犯罪を犯した北朝鮮体制自らが過ちを認めることだ。それが出来なければ、北朝鮮と金正恩氏には、未来永劫「反人道的犯罪国家」「人道犯罪者」という屈辱のイメージが付きまとうだろう。

しかしそこでまた、難題にぶち当たる。祖父と父の権威に頼らずに、彼に何ができるのかという問題だ。

結局のところ、正恩氏はトランプの「ババ」を引かされたのだ。祖父も父も、独裁者として最期を迎え、「王の間」で天寿をまっとうできた。しかし正恩氏にはおそらく、これからも数十年もの人生が残っている。

今日(17日)は、金正日氏の3周忌である。本来なら3年喪が明けて、金正恩氏が新時代を切り拓いていく日になるはずだった。しかし、明日にでも金正恩氏は独裁者として歴史に深く刻み込まれのかもしれないのだ。

デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト

北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。関西大学経済学部卒業。98年から99年まで中国吉林省延辺大学に留学し、北朝鮮難民「脱北者」の現状や、北朝鮮内部情報を発信するが、北朝鮮当局の逆鱗に触れ、二度の指名手配を受ける。雑誌、週刊誌への執筆、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に『コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記―』(新潮社)『金正恩核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』(宝島社)『北朝鮮ポップスの世界』(共著)(花伝社)など。YouTube「高英起チャンネル」でも独自情報を発信中。

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