迫る衆議院解散総選挙~大義は必要なのか?

(写真:ロイター/アフロ)

 安倍首相は9月25日夕の記者会見で、28日召集の臨時国会冒頭に衆院を解散する意向を表明する予定だ。すでに永田町は解散総選挙を想定して慌ただしくなっているが、首相が正式に解散について語るのは25日夕の記者会見が初めてになる。この衆議院解散という制度はもっと改善して欲しいと思う。「いきなり解散」では候補者の十分な選挙準備もできないし、政策論争などをする時間もない。憲法で保証されている首相の権利、というが、憲法では首相が解散権を持っているとは明確に書かれていない。憲法第69条に、内閣不信任決議が可決された場合、首相は内閣を総辞職させるか、衆議院を解散すると書かれている。しかしこのパターンの解散は多くあるわけではない。憲法7条には「天皇は『内閣』の助言と承認に基づいて、衆議院を解散する」と書かれている。これを「解釈」して、首相が衆議院解散を行う権利があるとされているのだ。これが一般化して、4年の任期を全うしたケースは1回あっただけだ。これは憲法に明記されているというよりは、勝手にルールを作ったというものだ。私は、憲法69条のケースを除いては、首相は解散ができない、という新たなルールにしてしまったほうがいいと思う。日本はあまりに選挙が多い。政策論争もほとんどできない状態にするのだから、価値の低い選挙が多いのだ。

 ただ、現在のルールはルール。このもとに選挙をしていくしかない。

 今回の解散に関して、野党側から「安倍首相の解散には大義がない」という批判がなされている。これにはちょっと疑問がある。そもそもこれまでの解散総選挙でどれだけの「大義」があったのか。小泉首相の「郵政民営化解散総選挙」が例に挙げられるが、あれが本当に大義と言えるものであったのだろうか。国民の多くは郵政民営化について投票したのではなく、首相の決断力・行動力に投票した。国民もあまり関心のなかった郵政民営化というワンイシューで総選挙を行うことのほうが問題であった。

 安倍首相の解散の大義について考えてみよう。

 戦いにおいては大義がある側が士気があがり、戦いに有利になる。安倍自民に大義がない、と批判するのであれば、野党側が自らに有利な大義を明確にすればいいだけのことだ。野党側からすれば、「アベノミクスの失敗」「憲法改正の問題」「危険な安倍安全保障政策」などが主張できるはずだ。安倍自民側に大義がないのであれば、野党に有利になるはずだ。「大義がない総選挙反対」の掛け声ではむしろ野党にはマイナスにしかならない。安倍首相は政権与党の側から、自らの「大義」を語ればいいことだ。与党は挑戦を受ける側だから、基本的に現状維持でいい。明確な「大義」がなくても、現状維持を求める国民、つまり安倍内閣を容認する国民が多ければ、安倍自民はいいのだ。

 安倍内閣に問題があると国民が感じれば、選挙は不利になり、大きな問題がないと感じれば有利になるだけだ。「大義」が問われているのは、挑戦者である野党の側だ。野党は現政権に不満を持ち、それを変革しようというのだから、明確な「大義」と展望を明示する必要がある。野党がやるべきことは、安倍首相に解散の大義がないと批判するのではなく、来るべき総選挙で明確な「大義」の旗を自ら掲げて戦うことだ。

 今回の選挙では野党は明確な「大義」の旗を用意できていないように思われる。だから選挙戦は厳しいのだ。今からでもいいから野党は明確な大義の旗を掲げて欲しい。

 この総選挙で最も注目されるのは改憲と安全保障政策だ。「いきなり解散総選挙」で、実質的な選挙期間が短い。これだけは選挙を通じてしっかりと議論してほしい。現在、多くの青年会議所が公開討論会を企画している。解散総選挙では活発な争点の議論をお願いしたい。安倍自民も将来の展望、つまり「大義」を掲げて戦って欲しい。野党はそれ以上の「大義」を掲げて欲しい。