高校生の政治活動が容認~ますます重要なバランスのとれた指導方法

(写真:アフロ)

 2016年の参議院選挙から選挙権年齢が18歳に引き下げられることを受けて、文部科学省は高校生の政治活動を校外では容認する通知を出しています。このことについてはすでに私は、「高校生の政治活動が容認へ~学校への届出が必要となると課題は残る」http://bylines.news.yahoo.co.jp/kodamakatsuya/20151221-00052649 の記事を書いています。

 私は、基本的に若者が多くの人からの刺激を受け、様々な意見を聞き、体験をしていくことは教育上重要なことと考えています。そうした体験が社会への理解を深め、社会力・政治力を高めると思っています。

 しかし、こうした政治参画が一方的な指導・導きのもとに行われたらやはり教育としては問題があると思っています。一方的なイデオロギーの押しつけはどのようなものとしても、若年期の教育としては適切とは思えません。バランスのとれた教育方法の確立が求められています。

 スウェーデンに留学していたとき、息子の中学校の教育参観がありました。その時のテーマは「平和教育」。私も平和の国スウェーデンで、どのような「平和教育」が展開されるのか、興味津々でした。その授業では二人の講師が呼ばれていました。一人は平和運動を行っている活動家で、もう一人は軍隊からの人でした。つまり、平和運動家と軍人の意見を両方聞こうというのです。そしてその上で、グループでの討論の時間が設けられます。片方だけの意見ではなく、反対する意見も聞いた上で、さあ、自分たちはどう判断しようかという議論があるのです。教師によれば、平和教育とは、一方的なイデオロギーを「教え込む」のではなく、様々な意見を聞いた上で、自ら判断し、行動する力を養う教育だ、というのです。なるほど。

 平和のためにはどうすればいいのか。軍事は一切もってはダメだと主張する人もいます。限定的な使用をするなら平和に役立つという人もいます。ある程度の軍事力を持たないと、かえって平和でなくなるという人もいます。できるだけ多様な人の意見を聞き、その情報と知識を持って、判断し、行動する力をつけることはまさに平和教育の基本と言っていいのではないでしょうか。

 政治活動をする上でも、この能力をしっかりと付けておくことが重要です。一方的な主張にだけ同調する姿勢となっていると、政治参画教育はマイナスも強くなります。右であろうと、左であろうと、硬直化した発想しかでなくなります。柔軟で創造力のある発想と能力をつけることが必要なのです。私は、政治参画を避けるのではなく、学校教育の中で、こうした能力を身に付けることをすべきだと思っています。学校教育の中で避けていたら、そこを出たときに、一方的な発想しかできない硬直化した人間ができてしまいかねないのです。インターネット上での議論をみると、右でも左でも、一方的で相手を罵倒するだけの主張に多く出くわします。これではまともな議論はできません。違う意見の相手の論点も理解し、その上でどのように合意を得るための主張をし、行動をするのか。新たな発想は可能なのか。そうしたことができる人間教育が求められているのです。

 生徒に政治参画をさせればそれでいい、というものではありません。学校教育の中で、柔軟でバランスのとれた発想ができる能力開発が必要なのです。日本では避けてきた教育分野といえるでしょう。避けるのでなく、真正面から取り組みたいものです。