選挙でのウグイス嬢による名前の連呼は意味があるのか~社会学の視点から

 統一地方選の後半戦が始まっています。選挙のあるところ、ないところとありますから、日本全国一斉に選挙モードとはいきません。しかし、選挙のあるところでは、選挙カーからのウグイス嬢による名前の連呼や駅前での辻立ちなどが行われています。

 選挙カーからのウグイス嬢による名前の連呼がどれだけ票に結びつくでしょうか。「うるさい!だまれ!静かにしろ!」と思った人も少なくないでしょう。昼寝でもしていたら、名前の連呼を聞けば、逆に「絶対にこの候補者には一票を入れないぞ!」と思った人もいるでしょう。実際に選挙カーからの名前の連呼はほとんど票には結びついていないという調査もあります。

 また駅前などでの辻立ちも効果が疑われるものです。辻立ちをしている候補者の前には、誰もいないこともしばしば。数名いればいい方と言える状態です。仮に人がいても、ほとんど演説を聞いている雰囲気はありません。演説の初めから終わりまでを聞いて、意味のあるメッセージを受け取った人は非常に少ないでしょう。寂しくなるような辻立ち。一体なぜ、候補者はそうして一見無駄にもおもえることをしているのでしょうか。

 選挙カーでの名前の連呼や駅前や広場などでの辻立ちをしなかった時のことを考えましょう。何かが足りないですね。一言で言えば、威勢です。選挙カーからの名前の連呼は、陣営を奮い立たせる効果があるのです。有権者に向けてのメッセージというよりも陣営の支援者に向けてのメッセージととっていいでしょう。ウグイス嬢がなりふり構わず、名前を連呼し、手を振り、笑顔で対応し、頭を下げるパフォーマンスに、選挙陣営の人々は、「さあ、やるぞ!」と気が引き締まるのです。いわば、ウグイス嬢による名前の連呼は「突撃ラッパ」のようなもの。突撃ラッパがなければ選挙が盛り上がらないのです。政策提言をすることのない日本のちょっと歪んだ選挙戦ですが、この効果は無視できないのです。

 駅前などでの辻立ちも、政策を伝えるという本来の意味とは異なる効果があるのです。政策そのものであれば、静かなところでじっくりと話をしなければ、メッセージが伝わるはずがありません。忙しい出勤時に、「わーわー」と政策を語られても耳に入るはずがありません。聴衆のいない状況で辻立ちをする意味は果たしてあるのでしょうか。

 これもウグイス嬢による名前の連呼と同じように、本来の趣旨とは異なった効果があるのです。聴衆が少なくても、たとえ全くいなくても有権者に訴えようとする健気な「姿勢」に支持者は心打たれ、この人のためなら選挙をしっかりと手伝うぞと思うのです。この辻立ちができない候補者は、選挙や政治に対する真剣さが足りない、と評価されるのです。辻立ちそのものには、政策を伝えるという点ではあまり効果はありません。しかし、生真面目な態度が陣営の支持者を動かすことに繋がるのです。

 選挙は戦いです。勢いがなければ、勝つことができません。ウグイス嬢による名前の連呼や辻立ちは、陣営を引き締め、興奮状態、つまりトランス状態を作り上げるのです。この状態を経験した人のなかで、やみつきになる人も少なくないと思われます。明るく、大きな声で、なりふり構わず名前を連呼するウグイス嬢がいる陣営が有利に立つのです。

 この日本型の選挙がいいのか?と問われると、確かに答えに困ります。政策とはかけ離れたところでの選挙ではやはり問題といえるでしょう。とはいえ、ウグイス嬢の名前の連呼や辻立ちは確かに効果はあるのです。これにプラスして本格的な政策提言、政策論争がある必要がありますね。