これからの地方自治を考えるうえで、最も重要なのは住民が自治をしていく、という発想です。地方分権、地方主権などが本物かどうかは、そこで本格的な住民自治が行われようとしているかどうか、だと考えています。国が予算を牛耳り、地方自治体が自由に予算を執行できない、と反乱を起こす必要がありますが、同様の構図は、地方自治体と住民との間にもあります。

 国が予算を決め、地方自治体(より正確には地方公共団体)がその手先として事業執行をする、というのが戦後の日本の社会構図です。ここには住民の意志はほとんど入らない。「陳情」という独特の日本の政治文化では多少、意志の伝達は可能ですが、住民が主体の政治の形成とほど遠いものです。

 それでも日本経済が高度成長を遂げていた間は、この「日本モデル」でいいかのように思えた。陳情すれば、地域の道路のほとんどは舗装されたし、橋もかかりました。各自治体に博物館も美術館も、図書館もできました。しかし、この国が主体の社会構造は、1990年のバブル経済の破たんですでに成り立たなくなっていたのです。それでもあたかも成り立つかのように社会運営をするために、1990年代以降は巨額の借金を国は抱えていくことになります。その結果、日本は世界が驚くほどの累積財政赤字の多い国となっているのです。

 ただ、何とかしなければならないという声は聞こえています。だから、NPOやNGOが1990年代の後半からクローズアップされてきたのです。住民が主体で社会形成を構想し、そして実行する。このことができて初めて、住民は活力を得て、いきいきとした持続可能な社会が完成するのです。1998年に特定非営利活動促進法(通称、NPO法)が施行され、大きな期待が高まりました。

 しかし、このNPOの財源は日本ではほとんどなく、結局は掛け声に終わりつつあるという状態です。欧米のNPO/NGOが巨額の予算を獲得して、多くの専従を雇い、社会の重要なアクターとなっているのと比べて、日本のそれはあまりに貧弱です。私自身もこれからの社会におけるNPOの大切さを感じ、いくつかのNPOを作り、運営をしてきたが、容易なことではありません。厳しい社会環境の中、かろうじて運営しているというのが現実だ。休眠NPOやNPO法人の解散も増えてきました。

 ヨーロッパでは、EU、国や自治体などが、相当な額の「委託事業」をNPO/NGOに託すシステムができあがっています。日本の100万円単位の「補助金」ではなく、数千万円、数億円、あるいは数十億円単位の事業委託が行われ、それをもとにNPO/NGOは多くの専従を雇って、専門的な活動を行っています。アメリカでは、民間の財団法人や企業などがNPO/NGOに巨額の財政支援を行っています。日本のNPO/NGOには、公的機関からも民間機関からも欧米に匹敵するような財源はきていない。

 この社会構造を変え、住民主体の社会をつくることがこれからの日本の再建に最も重要なポイントです。社会変革の事業主体とならないで、「陳情」と「批判」だけを行う責任なきポジションに長く置かれると、自らはほとんど政治には関心がなくなります。政治の無関心層は増え、他方で、責任を取らない形での「社会クレーマー」が増え続けてきたのです。教育現場、自治体現場などでは親や市民からのクレームの増大に苦しんでいます。一見、住民がこうした問題に関心を持ち始めているかのように思えますが、住民は責任主体として発言しているわけではありません。無責任なクレームの増大は、社会にとって有益ではないのです。

 いかに自らが責任を感じ、汗水たらして社会をよくしていこうとする住民を増やしていくのか、がこれからの日本の最重要課題だと考えています。そのためにこそ、地域分権・地域主権が必要だ、というのが私の考えです。まずは、住民にやらせてみる、ことが第一歩です。日本の住民にはそうした能力がない、と批判する人が少なくない。その通りです。半世紀以上も実質的な社会改革の仕事をさせてもらえなかったら、社会構想や社会創造の能力は育っていません。今から時間をかけて、その力を住民が獲得する必要があります。住民が本気になれば、日本の社会は大きく変わっていくのです。

 本来的には国の予算をこうした住民自治の予算に割り当てるのがいいとは思いますが、それには時間がかかります。まずは自治体の予算を使って、本格的な住民自治を作っていくことが現実的な路線だと思います。名古屋市では地域委員会なるものが設立されましたが、実情はこうした発想とは大きくかけ離れたものになりました。住民自治の発想をほとんど理解されないままに政策化したことに問題はありました。しかし大きな方向性としては間違っていない。いかに住民を元気づけるか、がこれからの地方自治のキーワードです。がんばりましょう。