宗像市大島で日露戦争の慰霊祭~日本とロシアの新たな友好と平和の懸け橋を!

慰霊碑(田辺直人撮影)

「皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ、各員一層奮励努力セヨ。」

これは、日露戦争の日本海海戦で総司令官東郷平八郎が旗艦・三笠から各艦に打電した有名な電文です。今でも重要な時期には、この文が引用されることもあり、多くの人が知っている電文です。日本海海戦は、日露戦争中の1905年5月27日、28日に行われた海戦です。東郷平八郎元帥率いる日本艦隊とロシアのバルチック艦隊とが沖ノ島沖で交戦し、日本軍がわずか数時間でバルチック艦隊を壊滅させ、日露戦争の勝利となった歴史的な海戦です。沖津宮の神官に仕えていた佐藤市五郎が、樹上からこの海戦の始終を目撃しており、子細は創建以来書き継がれている沖津宮日誌に記されているといわれます。

司馬遼太郎の『坂の上の雲』にも登場します。その小説では、日本海海戦が火ぶたを切った時のことを、玄界灘上にある宗像大社沖津宮(沖ノ島)の神職宗像繁丸の付き人佐藤市五郎の談として紹介しています。

宗像繁丸が受話器をとりあげると「バルチック艦隊が沖ノ島近海にせまった」という望楼の水兵の声がとびこみ、すぐ切られた。宗像は突ったったままみるみる血相が変わり、その場で褌一本の素っ裸になった。「市五郎、来い」というなり、海岸へ駆けおり、岩の上から海へとびこみ、潔斎をしたあと装束をつけ、社殿へかけのぼった。坂をのぼりつめたとき、西南の沖にあたって、濛気がピカッと輝いて消えた。そのあと、身のすくむような砲声がきこえた。・・・・。宗像は神殿で懸命に祝詞をあげた。その間、砲声が矢つぎばやにひびいた。

この日本海海戦は宗像大社のすぐそばで行われました。日本海軍の圧倒的な勝利で、この時の戦死者は日本が117人、ロシアが4830人と言われています。

ここからが宗像らしい対応です。大島に流れ着いた多くのロシア兵を、島民たちは丁重に葬ったそうです。そして宗像では去年から両国の戦没者を慰霊する催しを開いています。日本の兵士、ロシアの兵士の両方の慰霊をし、平和への誓いを新たにしようとするものです。今日は、大島に慰霊碑が建立され、在日ロシア大使をはじめ、ロシアの子供たちも訪れて日露の友好を誓いました。

戦争は素晴らしいとは言えませんが、その後に敵味方問わずに慰霊をして、こうした戦争が起きないように友好と平和のイベントを開くことは、本当に素晴らしい。日本とロシアとの間にはまだ解決していない北方領土の問題も横たわっています。しかし、友好と平和のへの交流は、こうした問題をも解決へと導くでしょう。

宗像大社は海の神社として知られています。海を友好と平和の道とする努力が宗像で行われていることに感動を覚えます。ロシア大使も出席しての慰霊祭。昨日の敵は今日の友、という言葉を実際の国際政治の中でも実現していきたいですね。