ヒロシマ・ナガサキプロセス~核兵器廃絶までの現実的・具体的なロードマップ~ その1

1)新たな時代の流れ

広島市・長崎市に原爆が投下されてから70近くの年月が流れました。米ソ冷戦の終焉時には、核兵器廃絶への展望もみえるかと思えましたが、世界で紛争は相次ぎ、核拡散という点でも、インド、パキスタン、北朝鮮と広がりをみせるようになってしまいました。核兵器廃絶の夢はさらに遠のくという感じがしていました。しかし、最近、世界平和を考える上で心強い大きな流れが感じられるようになりました。まず、対人地雷禁止条約がNGOやミドルパワーと呼ばれる国々の力で成立しました。この運動は、1991年にアメリカのNGOであるアメリカベトナム退役軍人財団とドイツのNGO・メディアインターナショナルが対人地雷全面禁止に向けてキャンペーンを立ち上げることで合意したことにはじまります。その後、地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)が創設され、国際的な運動として展開されます。1996年にはカナダのオタワで対人地雷全面禁止にむけた国際会議が開催され、97年9月には対人地雷禁止条約の起草会議がオスロで開かれ、条文が作成されました。同年12月にオタワにて署名され、99年に発効しています。運動のはじめには、まず無理と思われた対人地雷の禁止条約がNGOなどの力で実現されたのは、まさに驚きでした。

その後、クラスター爆弾禁止条約においても同様なプロセスによって、実現されました。クラスター爆弾は子爆弾に不発弾が多く、それが、一般市民に対する被害につながり、悪魔の爆弾とさえ呼ばれていました。2006年ノルウェー政府はクラスター爆弾禁止に向けて動き出し、2007年2月にはクラスター爆弾禁止に関する国際会議を開催、有志国46ヶ国によるオスロ宣言が採択されました。対人地雷禁止条約と同様に国際NGOが活発に運動を支え、国際世論が形成されてきました。NGOに加え、国際赤十字や、ミドルパワーと呼ばれる中堅諸国もこのオスロプロセスに参加していきます。今年の5月30日、ダブリンで行なわれた国際会議の結果、有志国111ヶ国の全会一致で禁止条約案が採択されました。

アメリカやロシアなど軍事大国に軍縮の主導権を預けていたのでは、平和・軍縮への道を切り拓くことはほとんどできませんでした。今回のオタワプロセスやオスロプロセスは、ミドルパワーやNGOが中心となって、軍事大国を包囲する形で国際条約の実現が可能になったのです。軍事国主導の軍縮交渉から、地球市民主導の軍縮プロセスの設定へと時代は大きく変化しています。

核軍縮に関しても、様々な動きがあります。特に注目すべきなのは、キッシンジャー元国務長官、シュルツ元国務長官、ペリー元国防長官、ナン元上院軍事委員会委員長などの「現実主義者」たちが核廃絶の必要性を唱えだしたことです。核廃絶は、ヒロシマ・ナガサキの究極の願いとしても、それは「達しえぬ夢」とさえ考える人は少なくありませんでした。しかし、その「理想」を米ソ冷戦時代の軍事・外交のリアリストたちが支持してきたのは驚くべきことです。核を保有するメリットが低下する一方で、核が拡散するリスクが増大してきたということでしょう。「理想主義」の立場であろうと、「現実主義」の立場であろうと、結論としては、核兵器と人類は共存できない、ということで一致してきたのです。

米紙ウォール・ストリート・ジャーナルでキッシンジャー元国務長官、シュルツ元国務長官、ペリー元国防長官、ナン元上院軍事委員会委員長は、「核兵器のない世界」を2度にわたって呼び掛けました。キッシンジャー氏とシュルツ氏は共和党、ペリー氏とナン氏は民主党です。まさに党派を超えての訴えでした。これに対して、オルブライト元国務長官、ベーカー元国務長官、ブレジンスキー元大統領補佐官、クリストファー元国務長官、パウエル前国務長官といった人まで賛同したのです。時代は大きく変化しつつあります。核の大国「アメリカ」の現実主義者の中にさえ、核兵器の危険性をしっかりと認識し、廃絶の必要性を訴える時代になったのです。こうした動きに、旧ソ連共産党書記長で大統領も務めたゴルバチョフ氏も賛同を表明しました。まさに米ソ冷戦時代の主役たちが核兵器廃絶を唱えはじめたのです。

核廃絶への道が大きく拓けてきました。こうした時代背景をもとに、ヒロシマ・ナガサキが具体的なロードマップを提唱し、国際NGOとの連携を図るならば、「夢にすぎない」と思われた核廃絶が、現実のものとして展開されるはずです。もちろん、容易に実現できるわけではありません。中長期的な展開も視野に入れつつ、一歩づつ国際条約を現実化させていく「プロセス」が重要なのです。

私は、核廃絶にむけたプロセスを展開していく「ヒロシマ・ナガサキプロセス」を提唱し、多くの人々から賛同と支持を得ています。核兵器廃絶にむけた「ヒロシマ・ナガサキプロセス」の骨格を簡単に紹介します。長文なので、2回に分けての紹介になります。

2)これまでの動き

A)核兵器禁止条約へのプロセス

最近になって、核兵器廃絶にむけた国際条約を作ろうとする動きが活発化しています。モデル核兵器禁止条約とも呼ばれる核兵器禁止条約の動きは注目されます。1996年4月、「モデル核兵器禁止条約」は、核兵器の廃絶を求める各国の法律家、科学者、軍縮の専門家、医師及び活動家らが参加する3つの国際NGOから構成されるコンソーシアムによって起草されました。2007年4月、コスタリカ・マレーシア両政府の共同提案として正式に国連に提出されましたが、現在のところ、未採択です。

このモデル核兵器禁止条約は、開発(development)、実験(testing) 、製造(production)、備蓄(stockpiling)、移譲(transfer)、使用(use)、威嚇としての使用(threat of use)にわたって、 核の取り扱いを禁止するものです。まさに「モデル」というべき理想型が書かれています。それだけに、意味は大きいのですが、現実的にはすぐに採択される可能性は高いとはいえません。ここに至るまでの「プロセス」が必要となります。

この「モデル核兵器禁止条約」を起草する動きにおいても、国際NGOは重要な役割を果たしています。拡散に反対する国際科学技術者ネットワーク、拡散に反対する国際科学技術者ネットワーク、核戦争防止国際医師会議は、中心的な役割を果たしています。

また、広島市を中心とした平和市長会議も様々な提案をしています。平和市長会議は被爆75周年にあたる2020年までの核兵器廃絶を目指す「2020ビジョン(核兵器廃絶のための緊急行動)」を展開しています。2020ビジョンの中核は、核不拡散条約(NPT)をさらに推し進め、核保有国を巻き込んだ形で、核兵器廃絶を目指そうというものです。核兵器廃絶までのスケジュールは、2010年を目標とする核兵器禁止条約の発効、2020年を目標とする全ての核兵器の解体となっています。

2020ビジョンは、スイスのジュネーブで開催されたNPT再検討会議準備委員会において、2020年までの核兵器廃絶の道筋を示す「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を発表しました。この「ヒロシマ・ナガサキ議定書」は「核不拡散条約(NPT)締約国の同条約第6条に基づく核軍縮交渉義務の履行を促進するとともに、核兵器の使用と威嚇の違法性を示した1996 年の国際司法裁判所の勧告的意見に基づく全ての国の核軍縮義務の履行を促進するため、全ての局面で核軍縮に取り組む包括的な方策の確立を希求」すると主張します。つまり核兵器拡散条約の核軍縮交渉義務をしっかりと履行することによって、核保有国の核軍縮をすすめ、核兵器廃絶への道を目指すというものです。

こうした核廃絶への国際的な枠組みが活発化することは大変に好ましいことです。しかし、残念ながら現実には、モデル核兵器禁止条約も2020ビジョンも、国際世論を動かし、大きなうねりを作るまでには至っていません。こうした流れを踏まえながら、具体的な行動目標を設定し、核廃絶までのロードマップを「対人地雷禁止条約」や「クラスター爆弾禁止条約」を実現した方式で実現していこうというのがヒロシマ・ナガサキプロセスです。

B)非核兵器地帯条約の動き

これまでに署名された非核兵器地帯条約には、南極の軍事利用の禁止、南緯60度以南の地域におけるすべての核爆発及び放射性廃棄物の処分の禁止を定めた南極条約のほかに次の5つがあります。

1967年に署名され、1968年に発行しているトラテロルコ条約は中南米33カ国が締約国となっている画期的なものです。議定書は、「核兵器国が域内において非核化の義務に違反する行為を助長しないこと、締約国に対し核兵器の使用または威嚇を行わないことを規定しています。この条約が特にモデルとして注目されるのは、すべての核兵器国が批准しているということです。

1966年から始まったフランスによる南太平洋地域における核実験を背景に、この地域において核実験反対の気運が高まりました。1975年に国連総会にて、南太平洋における非核地帯設置を支持する決議が採択されました。それから11年後の1986年にこのラロトンガ条約は発効しています。ミクロネシア連邦、マーシャル諸島、パラオの3カ国を除く太平洋諸島フォーラム加盟の13カ国が締約しています。議定書は、「核兵器国による締約国に対する核兵器の使用および使用の威嚇を禁止し、また、域内(公海を含む)における核実験を禁止する」とうたっています。ロシア、中国、イギリス、フランスは批准していますが、アメリカは署名のみで批准はしていません。

バンコク条約は1995年にASEAN首脳会議において東南アジア10ヶ国の首脳により署名され、97年3月に発効したものです。議定書は、「核兵器国による域内(締約国の領域、大陸棚及び排他的経済水域)における核兵器の使用および使用の威嚇を禁止し、また、核兵器国が条約を尊重し、条約・議定書の違反行為に寄与しないことを規定する」としていますが、核保有国はすべて署名していません。

ペリパンダ条約は、1991年に南アフリカが核兵器を放棄したことから具体化し、1996年にアフリカ諸国42カ国によって署名されたものです。現在の批准国は25カ国であり、条約の発効要件の28カ国には達していません。フランス、中国、イギリスは批准していますが、アメリカとロシアは署名のみです。

セメイ条約(中央アジア非核兵器地帯条約)は、中央アジア5カ国(カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン)を対象にした条約です。2006年9月8日、カザフスタン・セミパラチンスクにおいて条約は署名されました。現在のところウズベキスタンとキルギスが批准していますが、未発効です。核保有国はまだ署名していません。

こうした条約の動きのほかに、モンゴルは1992年国連総会にて、オチルバト大統領が「モンゴル非核兵器地位宣言」を発表しました。1998年には国連総会は宣言を歓迎する「非核地位に関する決議」を採択しています。

これらの動きは、核兵器禁止条約と矛盾するものではなく、むしろ相互に補完・強化していくものといえます。問題は、これから非核地帯を作る必要のある地域、例えば、東アジアやヨーロッパなどにはすでに核兵器保有国が含まれており、交渉が難航する可能性が高いということです。そういう点では、モンゴルの単独での非核兵器地位宣言は興味深いものがあります。こうした「単独」の行動も含めて、国際的な連帯の中で動きを加速するという視点が大切です。