形骸化しつつある「ぶら下がり取材」~政治家と政治記者の緊張感あるやりとりが政治を活性化する

安倍首相は2006~07年の第1次安倍内閣の際には、首相官邸で立ち止まって記者団の質問を受ける「ぶら下がり取材」に応じていましたが、今回は応じない方針を示しています。そもそもこの「ぶら下がり取材」とはいったい何なのでしょうか。

以前から、首相をはじめ重要な政治家には記者は「ぶら下がり」的に付きまとい、インフォーマルな情報の収集を行ってきました。オフレコとなるものも多いのですが、記事にしなくてもそうした重要情報を前もって得ているかどうかは、記者の手腕の見せ所でした。首相に近づける距離も、首相との人間関係、記者としての風格、経験、信頼度、そして厚かましさ、などが微妙に関わります。誰もが同じ情報を得ることができるわけではありませんでした。重要な、しかし隠されている情報を得ることができる記者と、記者会見の情報をベースにするしかない記者とでは大きな差ができます。

この状況が変わったのが小泉内閣の時と言われます。2002年に首相官邸が新しくなり、官邸内の警備が強化されました。それによって、記者が首相にインフォーマルに接触する機会が少なくなったのです。そこで小泉首相は、1日に2回ほどインフォーマル的な質疑応答の時間を設けたのです。これが現在の「ぶら下がり取材」の原型になっているといわれます。

小泉首相は、情報をうまく記者に提供することによって、メディア情報をコントロールしようと考えました。彼の情報は「劇場型選挙」と重なり、記者にとって魅力があるものであり、「ぶら下がり取材」の情報は新聞の一面を飾りました。首相にとっても、記者にとっても価値のある形態と考えられました。

しかし、この「ぶら下がり取材」が形骸化してくると、もともと曖昧な性格だったゆえに、微妙な問題がでます。まず、非公式である、という認識から気が緩んで発言したことが、「失言」として取り扱われます。以前の政治家と記者との信頼関係は希薄になっており、ちょっと口を滑らすと命取りになりかねない状況が生まれました。また、「ぶら下がり取材」が形式化したために、公式記者発表の小さい版といった雰囲気も出始めます。すべての出入り記者がアクセスできる情報となると、いわゆる新聞社、記者の手腕ではなく、仲良しクラブの共有情報的となります。

つまり政治家としては、失言探しの記者による命取りになるリスクを負うことになり、メディアからすれば、政治家側が情報をコントトロールし、情報が平均化し、生きた情報が少なくなるというデメリットを受けることになります。

私は定例的で公式の記者会見はしっかりとする必要があると思いますが、インフォーマルな情報提供・収集は、やはり政治家と記者との人間関係でつかむものと思っています。読売と朝日の記事のもとの情報が同じ場所ばかり、では面白くありません。そうした記者クラブ的な志向が日本のメディアをつまらなくさせたとも思います。ダイナミックなスクープ記事は、そうした「ぶら下がり取材」からは生まれません。小さな失言記事ばかりが紙面をにぎわします。それは政治の本質とは思えません。

小泉内閣から約10年。「ぶら下がり取材」のあり方も変わる必要があるでしょう。もっと政治家と政治記者の緊張感あるやりとりがみてみたいのです。