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英BBC、デジタル最優先表明 メディア利用の変化を反映し、主軸を放送から配信へ

小林恭子ジャーナリスト
ロンドンにある、BBCの放送センター(写真:ロイター/アフロ)

 (新聞通信調査会発行の「メディア展望」7月号掲載の筆者記事に補足しました。)

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 5月末、英国の公共サービス放送最大手BBC(英国放送協会)がかつて新聞業界で変革の合言葉となった「デジタル・ファースト(デジタル最優先)」を表明した。経営資源をこれまでの主眼であった放送業からデジタル配信に投入する。これに伴い、今後約3年で職員を最大1000人削減する。「1000人削減」は日本でも大きな注目を集め、複数のメディアがこれを報じた。

 今年に入って、BBCに対する日本からの関心が高まっている。

 1月中旬、英デジタル・文化・メディア・スポーツ(DCMS)省のナディーン・ドリス大臣がBBCのテレビ・ライセンス料制度(日本のNHKの放送受信料と同じ仕組み。以下「受信料制度」と表記)の終了を示唆するツイートを出すと、NHKの受信料制度の先行きに不安感が漂った。4月には同省が放送業の将来図を描いた白書を発表し、この中でBBCの一律徴収型受信料の見直しが提案された。「NHKの受信料制度にも影響が及ぶのではないか」という懸念が出た。

 BBCは10年以上にわたってほかの主要放送局とともにデジタルの領域でサービスを拡大させてきた。デジタルのさらなる優先化は「放送業」ではなくなる将来を見据えての生き残り策である。その背景を紹介してみたい。

 なお、冒頭でBBCを「公共サービス放送最大手」と表記したが、英国ではBBCの他に、日本では民放の部類に入る主要放送局(ITV、チャンネル4、チャンネル5など)が「公共サービス放送(Public Service Broadcasting=PSB)」の枠に入る。放送を公共サービスの1つとしてとらえている。PSBとして放送免許を得ると、報道番組の不偏不党が義務化され、番組構成にも規制がかかる。

政府白書の概要

 4月28日、DCMS省が発表した放送白書は、冒頭で「世界的な成功」を収めた英国のクリエイティブ経済の中でPSBは「その成功の脈動する心臓部」と位置づけた。

 白書によると、メディアの消費環境は大きく変化している。1日当たりの動画の視聴時間の中で、放送局の番組を放送時に視聴する時間の割合は74%(2017年)から61%(2020年)に減少した。今年3月時点では半分弱にまで落ちた。

 逆に、有料制の動画サービスの利用は2017年の6%から2020年の19%に増加。米国発の大手動画配信サービス、ネットフリックスや、アマゾン、アップルなどが巨額の予算を使いながら存在感を増大させている。

 国内の放送業を守るため、政府は「これまで通信・放送の監督機関オフコムの規制対象外になっていた大手オンデマンドサービスをオフコムの規制下に置く」、「オンデマンドサービスのプラットフォームでは主要放送局の番組が優先的に選択できるようにする」などを提案し、BBCについては受信料制度について見直しを進めることを明示した。

 BBCは約10年ごとに更新される「王立憲章」によってその存立が定められているが、現在の王立憲章(2027年12月末まで有効)が終了するまでは一律徴収型の受信料制度は維持することになっている。

 白書の中で、政府は視聴者の番組コンテンツへのアクセスの仕方が大きく変わっていることを指摘する。「放送時に番組を視聴する人が減っており、受信認可を得ないことを選択する世帯が増えている」。この傾向が続けば、受信料を払う世帯が減少し、BBCが現在の規模を維持するには「受信料を上げざるを得なくなる」。低所得層への負担が増すことを示唆した。政府はまた、受信料の未払いが刑事罰につながる現行制度に懸念を寄せた。「もっと公正で適切な資金繰りのメカニズム」を導入するべきではないか、と問いかけた。

 筆者はこれまで、BBCの現行の受信料制度を支持してきた。しかし、メディア利用の環境が大きく変わる中、今のままではいられないことを痛感している。

BBCのデジタル重視、人員「削減」

 BBCが再視聴(オンデマンド)サービス「BBC iPlayer」を本格的に提供し始めたのは2007年である。過去15年間、ほかの放送局との競争やネットフリックスの躍進を横目でにらみながら、サービス内容を拡充させてきた。iPlayerで番組をダウンロードした後の保存期間の長期化、ネットフリックスをまねてシリーズ物をまとめて出す「ボックスセット」の導入などはその一環であった。

 英国の主要放送局によるオンデマンドサービスは原則無料で提供されてきた。現在までに同時放送も常態となった。どのデバイスでも視聴可能だ。「番組表に沿って、決められた時間にテレビの前に座って視聴する」必要がほぼなくなっている。

 5月26日、BBCのティム・デイビー会長は職員向け演説の中でBBCがこれから向かう道を示した。「オンデマンドの時代に、すべての視聴者にとって関連性があり、価値があるBBCにする」ための構想である。「放送業はこれからも続くが、ほとんどがオンデマンドの世界に移行しているのは間違いない」。

 経営資金を大幅にデジタルサービスに振り分け、iPlayer用の新番組制作に「相当の金額を投資する」、「iPlayerの週平均利用率を50%から75%に上昇させる」、「国内と海外向けのニュース部門を一本化する」などの柱を挙げた。

 デジタル優先化の過程では「今後2-3年以内に国内活動の人員の約6%にあたる約1000の職種を削減する見込みがある」という。この削減は「労組との十分な話し合いの上」で行われ、かつ「適切なスキルと経験を持つ人には再雇用の道を開くようにしたい」。経営資源の配分が変われば、職種が削減あるいは追加されるのは不思議ではないだろう。

 デイビー会長の演説の中で、筆者が注意を喚起したいのは「すべての視聴者にとって関連性があり、価値があるBBC」を目指している部分だ。

 演説の最後には「すべての人にとってのBBC」、「あまねく利用できるサービスであり続ける」、と強調している。

 英国では放送業を公共サービスの1つとしてとらえる考え方が伝統的に続いてきた。視聴者世帯から受信料を徴収してこれで国内の活動を賄うBBCにとっては特に、貧富や教育程度の差や居住地域の違い、どんなデバイスを利用するかにかかわらず、英国に住むすべての人が同じようにBBCの放送及びデジタル配信を楽しめるようにすることが必須になる。

 社会全体にとって公正・公平な新たな仕組みとは何か。具体的な議論が年内に始まる見込みとなっている。

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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